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幸せを手に入れる最後の方法 ~2年間のカウンセリング実録~ 15.悔やみきれない失言②

「まーくん、お時間ある?」



「咲笑ちゃん、どうしたの?」


「ごめんね、さっきパニック起こしそうだったの。

ひとりで外でごはん食べてたんだけど叫びだしそうで。」


「そうだったんだ。
大事な時に話せなくてごめんね。

今はもう大丈夫?」



「こちらこそごめんね。
もう、私だめかもしれない。

もう家族いらない。」


「もうダメだって思うくらいつらいことがあったんだ…。お母さんと?」


「うん。はっきり自覚してわかる。
これは虐待だ。」



「お母さん、ひょっとすると咲笑ちゃんに自立されると自分が必要なくなるみたいに思ってしまうのかな?

だから(お母さん自身は無意識に)咲笑ちゃんがつらくなるような行動を取るのかな?」


「違う。八つ当たり。」



「八つ当たりなの?わざわざ?咲笑ちゃんに?」


「母は私のこと分かってないの。

私が悪いことしたから、それがどんなに悪いことか私に知らしめて私がしたことを反省させてるの。
母にとっては教育なの。

母からはね、毎日連絡があるんだけど、食べ物の写真とか犬の写真とか送ってくるの。

『いらない?いらない?』って。

犬と一緒に持って行くよって。

いらないって何度も言うと機嫌損ねるから、食べたいって言ったの。

先々週の土曜日。

そしたらおぜんざいを持ってきてくれたから、私はそれを食べて、母には代わりに晩ごはんを出したの。

母と犬は午後9時くらいに帰ったんだけど、私は疲れ果てて何も出来なくて、ほぼ倒れるくらいの勢いで動けなくなって、何回か目を覚ましながら気絶したみたいに寝室ではない居間で寝てた。
それで風邪引いたの。

母はご機嫌で、私が東京行って元気になったからもう大丈夫だと思ってて。

木曜日にまた犬とうちに来て、あまりに母が『さえちゃんとのいざこざは、もう完全にクリアだよね!』みたいなこと言うから、実は眠れなかったんだよって言ったの。

そしたら、『そんなに嫌やったん?』って言いながら、『でも過去は変えられないから、明るい未来を見ようね!』って言うの。

まるで私が大きなミスをして病んだみたいに。

ポジティブ発言がつらくてつらくて、『無責任に聞こえるからやめて。』って言ったら、それからもうだめ。ヒステリーが始まってキレるキレる。

30年間信じてた、片想い状態で相手にされなかった、父親だと思ってた人が父親じゃなかったって知って、まだ傷が癒えなくて泣いたら『精神病だから病院行って。』って言うばっかり。」


「そっか。つらかったね。
お母さん、自分が悪いと思いたくないのかもね。

咲笑ちゃんを病気にすれば全部病気のせいにできるから、そんな風に思いたいのかも知れないね。」


「うん。前世とか占いとか絡んできて、もうお手上げ。
占い師さんの言葉が絶対なの。

そして犬が調子崩して。それもいつも私のせい。
私はいつもひたすら謝るの。

私そんなに悪いのかなぁ?
私死んだ方がいいのかな?

でももう1回、LAの友達と向こうで遊びたい。
六本木にも連れていってあげたい。」



「キツイね…お母さん、やっぱり咲笑ちゃんから離れられないんじゃないかな?

咲笑ちゃんが謝るのを待ってる様に感じる。
『あなたが悪いんでしょ!ゲーム』をしてるみたい。」



「母は私を楽にさせるために、祖母を恨んでるんだって。
そして私も、祖母を憎んでるんだって。

もうね、つらい。」


「悪い方に誘導してる風に聞こえるね。確かに。

僕の考えが絶対だとは思わないけど、大事なことだと思うから言っておくね。

心療内科は病院の大事な診療科のひとつだと思うけど、咲笑ちゃんには必要ないと僕は思う。

ひょっとすると、心療内科に行くと何か病名をつけられるかも知れない。
そしたらその時に、咲笑ちゃんはその病気になってしまうんじゃないかと思う。

咲笑ちゃんは悪くないよ。もちろん死んじゃいけない。
つらいと思うけど、これだけは絶対間違いない。」



「だよね。私の判断間違ってなかった。ありがとう。

死にたくないよ、でも逃げたい。もう話したくない。

通り魔みたいに傷つけてくる。
犬を出されるとほんとに死にたくなる。」



「咲笑ちゃんを縛るものを用意して、自分の思う方向に引っ張って行こうとしてるのかもね。
難しいな。思うことをうまく伝えられないけど…。

逃げずに立ち向かった咲笑ちゃんの勇気を僕は祝福してたんだけど、今は逃げるのが必要な時期なのかも知れないね。

どんな逃げ方をしても、生き抜く事が大切。

生き抜く咲笑ちゃんを応援してくれる人はたくさんいるもんね。

だからまずは生きよう。

そのために何をするのか、何をしないのか、それを考えることが今必要なのかもね。」


「私が負けたときは、私が死んだときじゃない。
私が子どもを生んで精神的な虐待をしたとき。

だから生む前に死のうって思うの。

そして『あ、生まずに生きればいいのか。』って気付いて、また頑張る方向に戻るんだけど。

でもね、お母さんになるの夢だったんだよ。」


「お母さんになるのが夢だったって前にも言ってたよね。

確かに自分が受けずに育った愛情を自分の子供に注ぐって難しいと思う。

咲笑ちゃんが自分の子供に精神的虐待をした時が、咲笑ちゃんが負けた時だっていうのも、その通りだと思う。

でも、咲笑ちゃんは一人じゃない。
応援してくれる人も、助けてくれる人もたくさんいる。

虐待をしない方法だって学んだし。

それでも咲笑ちゃんが負けそうな時には、僕がカウンセリングするよ。

だから夢を叶えて生きる道も、ちゃんと選択肢として残しておこう。

今は苦しみと共にある選択肢かも知れないけどね。」









幸せを手に入れる最後の方法
~2年間のカウンセリング実録~



最後までお読みくださり、ありがとうございました。



たとえ見習いたくない親でも、自分が同じようにしないってことは結構難しい。

だって他のモデルを知らないから。


でも、自分の「負けたとき」を明確にすると動けることもあります。



続きは明日更新します。

ぜひおつきあいください。

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