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映画『新しき世界』感想

この映画を観た者は「チョン・チョン兄貴……」と呻くことしかできなくなる。心だけはすっかり、兄貴の舎弟になってしまう。そして兄貴の、ジャソンへの愛情に溢れた最期に、涙せずにはいられない。

というわけで、兄貴とジャソンの関係に心乱された人間による、『新しき世界』の感想をお送りしたい。

チョン・チョン兄貴は初めから、目を引くキャラクターだった。
スマートな見た目ながら野心にギラつくヤクザ、イ・ジュングと対照的に、お茶目でどこか抜けてて猥雑で、情が深い。少しでも気を抜いたら蹴落とされる権力争い、凄まじい暴力の応酬、そしてジャソンの深い葛藤が描かれる中、兄貴の人柄がどれだけ観ている者の心を和ませてくれたことか。たとえ国を震え上がらせるヤクザの幹部だとしても「この人だけは死なないでほしい」、そう願わざるをえない人だった。

そんな兄貴の右腕・ジャソンは実は潜入捜査をしている警察官だ。

"父"への忠誠か、"兄"との絆か。

これが、本作品につけられた日本でのキャッチコピー。とても上手いな、と感じる。
ジャソンにとってカン課長もチョン・チョン兄貴も、実の親でも兄でもない。しかし、おそらく両親と死別したか疎遠であろうジャソンにとって、自分を引っ張り上げて特殊任務を与えるカン課長は、厳格なる"父"そのもののだろうし、いろいろ無茶なことを言ってくるものの自分を可愛がってくれるチョン・チョンは"兄"のような存在だったに違いない。

韓国は、儒教の社会だ。儒教においてはなによりも、親を敬うことを大切にされる。自分を拾い上げたカン課長がジャソンの"父"だとするならば、彼の命令には絶対服従しなければならない。そこには、上司・部下の関係を超えた絶対的なものがある。同様に兄弟の上下関係も、日本より厳しい。そう考えると、"父"への忠誠か、"兄"との絆かで引き裂かれるジャソンの葛藤の深さが、より心に迫ってくる。胃に穴が空きそうだ。

物語の最後の最後に、チョン・チョンのみではなくジャソン自身も華僑であることが明かされた時、ジャソンが兄貴に寄せていた思いの輪郭が鮮やかに浮かび上がり、胸をつかれた。そしてチョン・チョンがなぜあれほどに、ジャソンを可愛がり、さらには彼の裏切りを見逃しすらしたのかも。
作中、チョン・チョンは華僑であることをたびたびあげつらわれ、軽蔑されている。そのことから、韓国社会における華僑の立場が決して良いものではないことが想像できた。実際、映画の観賞後に調べてみると、韓国社会においてやはり華僑は、社会福祉や教育の機会において差別を受けているのだということがわかった。

ヤクザとしてのしあがりながら、常に敵国に身を置いているかのようなチョン・チョン。
そして周りは敵ばかりのヤクザに潜入した警察官のジャソン。

相容れないはずの二人が出会った時、社会において迫害されるもの同士、互いの隣こそが唯一心休まる居場所となったのではないだろうか。
まぁそんなこと、兄貴はともかくあの塩対応ジャソンが口にしたことはなかったろう。だが少なくとも、任務としてチョン・チョンに取り入るために、自分の出自くらいは兄貴に告げてあるはずだ。だから、チョン・チョンは同じ華僑であるジャソンをブラザーと呼んで、可愛がった。

ジャソンの正体を知ったチョン・チョンの、感情の噴出。あのシーンの緊迫感は、ちょっと筆舌に尽くし難いものがあった。ジャソンではない男の顔を何度も何度も殴りながら、血塗れの顔でジャソンに迫る、鬼のような顔。普段の剽軽なキャラクターとの温度差が凄い。しかも、自分が彼の正体を知ってしまったことを、周りにも本人にも言わないのだ。言わずに、自分の信じてきたものに裏切られた、烈しい怒りと慟哭とを、まったく関係のない腹心の部下を殴ることでジャソンに見せつけて、彼の情に訴えかける。
"俺はおまえを信じている"
"おまえに裏切られたら俺はこんなに、怒り狂い哀しむ"
だが嵐のような感情に突き動かされたとしても、兄貴は可愛い弟のことはどうしたって殴ることができない。なんという、脆くて深い、愛情なんだろう。
そんな彼の残した土産には、涙腺崩壊待ったなし。なんなんだ、あの胡散臭すぎる腕時計は。また騙されて碌でもない時計を掴まされたに違いない。それでも、兄貴が自分とお揃いでつけようとした中国産の腕時計だ。そんなの、着けないわけにはいかないだろ…
兄貴の死の間際、ジャソンは彼をヒョン(兄貴)、と呼ぶ。これまでも呼んでいたのかもしれないけれど私には、特別な響きに感じられた。任務として嫌々ながらチョン・チョンのもとにいる、そう自分に言い聞かせていたはずのジャソンが唯一、心から彼への思慕を直接的に表現したのが、あの最期の「ヒョン」なのだと思う。

強く生きろと、兄貴は言った。

その言葉が、どれほどジャソンの心の支えとなったか。彼の道を照らす道標となったか。
兄貴の腹心だった中華系の殺し屋達を従えて、ゴールドムーンをのし上がるジャソン。理事会長の椅子に座り、高層ビルから見下ろす韓国の街は、新しい世界は、彼の目にどう映ったろうか。

タイトルでもある「新しき世界」。

当初、警察がヤクザを取り締まるクリーンな世界の訪れを予感させたタイトルが、映画の観賞後にはまったく異なった印象を心に刻む。
この物語は、ヤクザの跡目争いの話でも、警察とヤクザの戦いの話でもない。ひとりの男の、尊厳の話だ。孤独なひとりの男が、華僑という己の出自(アイデンティティ)を利用し、警察官の過去を消して従わせようとする父親の支配から抜け出す話だ。華僑である自分を愛してくれる男との絆を重んじ、自分の人生を生き始める男の話だ。たとえ、それが警察という正義を裏切り、ヤクザという悪の道に進むという選択であっても、彼の人生にとっては最良のものだったのだ。
六年前の彼らの姿を見れば、それは明らかである。うらぶれた港町で、チンピラ達との喧嘩終わりに、兄貴と共にタバコを吸うジャソン。本作では始終眉を潜め、苦しみ、葛藤していた彼が唯一、心からの笑顔を最後の最後、このシーンで、見せる。本当は警察官とヤクザのはずなのに、まるで、本物の兄弟のように寄り添う二人。ジャソンの本当の幸せは、兄貴と共に過ごした時間にあったのだ。

(2023.11.19鑑賞)


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