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ただ生きていたい

私は我儘と自我の区別をつけるのが苦手だ
どこからどこまでが自我?我儘??
自分の思うそれと他人の思うそれが違う

目標があって生きていても
立ち止まり考え直し
効率の良い方、自分が自分らしい方へと進みたくなる
はずだ…

それができる人、感じる人はほぼ居ない
同じ年代の子としか話さず同じ年代の意見しか取り入れないから。
近道も遠回りも知らない無知である

専門学校や大学をでなくとも大きなモノを得ている人は沢山いてその差を相手に圧倒的に感じさせる

ただそこにある勉学、一冊の教科書を読んだって
"それだけ"でしかない
優秀な人間性を保つには常に新しい情報と自分の遥か上をいく人間と関わり、言葉を交わす事が何より重要である

自分の無意識を変える、ここだと思う


今の私は、教科書をめくりもしかしたら自分の達成感とは違うのでは?と思いはじめている


学校に行かない。行けない


自身、幼稚園の頃からずる休みを繰り返すような子
そして小学生の頃も…
酷かったのは中学生時代。2週間なんてざらに学校を行かなかった
高校も不登校を原因に通信制に変えた

昔から『学校』という集団のものが苦手なのである

現在も教育費が勿体ない申し訳ないなぁと自宅で引きこもる

不登校というものに対して、理解がない

久しぶりに学校に行くと特別扱いをされる
どう接していいのかわからないのが見える
わざわざグループに誘われる

最近久しぶりに学校へ行ったのでこう言ってみた


『鬱だった。だから休んだ。』


周りの反応は私が思ったより残酷だった

『治ったの?いつ治るの?薬飲んでるの?』

胸が痛いですね。鬱は誰にでも持ち合わせているもの
治るとか治らないとかではない、薬はあなたの言葉

何故だかもうあの場に行かなくて良い気がした
勉学を一生懸命やりたいから我慢して行けばいいじゃないと思う人も居るだろう。

貴方は自分を大事にできていますか?頭をよく働かせて

環境なんか自分で変えられる
何を学ぶかではなくどこで学ぶか、どんな人間の言葉を拾い上げて生きるかが何より大切なのです


だから私は考える。
ここで私が花咲けるのか、枯らされるのか
利用されるのか、なによりここで咲こうと思うのか

不登校は特に何も理由はない
悪い事でもないしいい事でもないなにもない


今、力にするべき事を探すのに必死なのである
やりたい事をうまくこなし何気ない日常に意味を持たす

自分が生きてると思う境界線で家を建てる事
今私は足の踏み場を探しているのだと思う

自分を肯定し前に進めるために文章に起こす
大丈夫。生きていけるよ


そうだなぁ

今はただ生きていたいと思うよ

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