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ペットは携挙されるのか

2年ほど前に、20年間連れ添った愛猫を亡くしました。彼女は、私の人生で苦しい時、常に側に寄り添ってくれた存在でした。私の人生に光を与えてくれた、猫として大きな使命を全うしてくれました。きっとイエス様に褒められて撫でられていることでしょう。

闘病中は、ひとりでは気が狂いそうだったので、イエス様が一緒に側に寄り添いお世話をしてくれていると認め、なんとか頑張れました。

最期のときは診察台の上で、「主は生きておられる」を子守唄として歌ったのを覚えています。なぜかわかりませんが、半狂乱の私の頭に浮かんだのはその讃美歌でした。

その時スマホに入っている聖書アプリから通知がきて、今日の御言葉が送られてきました。

「わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」

コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章18節

私はこれが偶然とは思いません。その時の私はこの御言葉に大いに励まされました。そして今も一番好きな御言葉です。

愛猫を苦しめないでくださいと祈り続け、彼女は低血糖の昏睡状態で亡くなりました。意識がなかったので、最期の時はそれほどに苦しむことはなかったのではないかと思っています。

体は朽ち果ててしまうけれど、魂は目に見えない。永遠に生きている。そして来るべき日に復活する。それは人だけではないと思うのです。

「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。」‭‭

マタイによる福音書‬ ‭6:26‬ ‭

神様は地上の動物を養っているのに、亡くなった瞬間に手放してどうでもよくなるようなことをすると思いますか。いいえ、しません。

「被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。 なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、 かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。」‭‭

ローマ人への手紙‬ ‭8:19-21‬ ‭

被造物とは動物たちのことです。動物たちはクリスチャン、イエスキリストを信じる人がひとりでも増えることを願っています。

私はこの御言葉に切なくなります。

というのは、世の終わりの時はノアの方舟の時のような時代だと例えられています。

ノアの方舟では、選ばれたノアとその家族と、全動物が対になって選ばれ、洪水から救われました。

私には世の終わりの携挙の際も、この時のように、携挙されるクリスチャンの飼っているペットは同じく携挙されるように思えるのです。

逆に救われていないペットは、その救われていない人間と同じく滅びのなわめに封じ込められているように感じます。だからこそ、飼い主にクリスチャンになることを切に願っているように伺えるのです。

ノアの方舟の時に動物も救われた神様は、世の終わりの時にも動物を全て見捨てるようなお方だとは到底思えません。

本当にペットを愛している方なら、ペットが置き去りになるくらいなら携挙されなくても一緒にいたいとすら思う人もいるはずです。

そんな愛に溢れた人を絶望させるとは思えないのです。

「五羽のすずめは二アサリオンで売られているではないか。しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない。‭‭」

ルカによる福音書‬ ‭12:6‬

神様は動物を愛しておられます。大切に思っておられます。本当にどうなるかは分からないことです。でも神様は動物を養っておられます。私は携挙の際にクリスチャンの飼ってる動物も挙げられると信じます。

少しでもこの見解が、この御言葉たちが、ペットを愛するクリスチャンの慰めになると良いなと思います。






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