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ALSを、いつまでも社会に参加し続けられる病気に。

いつか書きたいと思っていた、長岡教頭先生について書こうと思う。

いつものように開発をしていると、研究所に電話がかかってきた。

「教頭先生がALSという難病になってしまった。先生になんとか卒業式に参加してもらいたくて、OriHimeを貸してもらえませんか。」


広島県立御調高校の生徒会からの電話だった。

高校の教頭先生である長岡先生がALS(筋萎縮性側索硬化症)になっていて、それでも頑張って通勤されていたが、全身の筋力が動かし辛くなりいよいよ車の運転もできなくなった事で休職してしまったのだという。

ALSは原因不明の進行性の難病で、診断をうけて数年も経つと呼吸もままならなくなり、呼吸器を付けないと死に至る病だ。原因は不明で、日本人で年間1000人が発症するとされる。
昔は間違いなく死に至る病だったALSは、呼吸器の技術が発達し装着する事で延命できるようになった。しかし、全身が動かなくなり気管切開する事で発話能力も失い、24時間の介護を必要とする中で呼吸器をつけて生きる選択ができる人は日本に3割。全世界だと1割も居ない。
呼吸器があっても大半の人は自らの意志で死を選択している。この日本だけでも1日平均2名のALS患者が自らの選択で亡くなっている。
そのALSに、教頭先生がなってしまった。
 
長岡教頭先生も、ALSになり30年の教員生活を続けられなくなった事で大変落ち込まれ、「食べれなくなったら終わり。呼吸器をつけて延命することを、僕は望まない。」と言われたという。

生徒会はALSという病気をはじめて知り、ネットで情報を集めた。
とても教育熱心で生徒からも好かれている長岡先生をなんとか励ましたい、なんとか卒業式に参加してもらう方法はないかとテレビで見たOriHimeの事を思い出しネットで調べ、校長先生に頼んで校長室から電話をかけてきたという。

電話は校長先生に代わった。
「生徒会がぜひOriHimeを教頭先生にと言っていて、私としても教頭先生のことを思う生徒会の願いを叶えてあげたい。一度、東京に伺わせてもらえないでしょうか」

翌月、
御調高校の校長先生、PTA会長、生徒会長、生徒会副会長の4人が、広島から当時東京都三鷹市にあったオリィ研究所へやってきた。

・・・すごい行動力の学校だ。そう思った。

「テレビで寝たきりの人がOriHimeで働いてらっしゃるのを観ました。また、ALSなどの難病の人が視線入力で動かせるとも聞きました。これを教頭先生に使わせてあげたい。私達の夢は、教頭先生が卒業式に参加し、その後も学校に来られるようになる事です。
生徒会長と副会長は真剣だった。ここまで愛される教頭先生は何者なのだろうと思ったし、その熱意に心を打たれた。

4人はOriHimeと、視線入力式の意思伝達装置OriHime eyeを体験し、その場でこれなら使えそうだ!と、次は教頭先生のところへ持っていく事になった。
広島県の教育委員会もすぐに協力が得られる事になる。校長先生やPTA会長から教育委員会までがここまでフットワーク軽く動ける広島県に驚きつつ、生徒会のプレゼンに心を打たれてしまった私は一番よい方法を一緒に考えましょうと、私も長岡先生の家に一緒に訪問する事にした。

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長岡先生宅にて、OriHime eyeによる視線入力の体験などもしていただく中で、壁にかけられた大きな寄せ書きや、生徒会、先生たちの話から、長岡先生がいかに皆から愛されているか、また難病ALSになって不安の中でも、どれほど生徒や周囲の人を大切にされる人かという事が解った。

「このOriHimeで、卒業式に参加してください」
生徒会のお願いに、長岡教頭先生は頷いた。

準備を重ねて3月、長岡先生はOriHimeを操作して自宅から卒業式に参加され、全校生徒に挨拶もされた。

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OriHimeで教頭先生が卒業式に出席された詳細は、「NEWS23」で取材されnoteにまとめられているので、詳細はそちらも見てほしい。

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長岡先生が動かすOriHimeは生徒会が作った眼鏡とタキシード姿で、卒業生に壇上から拍手とスピーチを贈った。ずっと進路指導を受けていた生徒は、卒業式後、涙を流しながら長岡先生に報告をされていた。

生徒にとって、この卒業式は教頭先生の”いた”卒業式として記憶に残り、
また、教頭先生にとっても、自分が”出席した”卒業式になった。

たしかに生身では参加できなかったが、両方の思い出に残り、認識が一致するのであれば、”長岡教頭先生がいた卒業式”といっても過言ではないのではないだろうかと私は思う。

この、卒業式がきっかけになった。

家から出る事も半分諦めかけていた長岡先生は「まだ私にもできる事があるかもしれない」と、奥さんや生徒会と共に外へ出られるようになり、少しずつ積極的に活動されるようになった。
講演活動に加え、のちにALS協会広島県支部の副支部長にも就任されるようになった。
御調高校も毎年、長岡先生を招いての講演会を行うようになり、次の生徒会からはALSの事をもっと広く知ってもらおうと、長岡先生と共に啓発活動を行うようになった。

長岡先生はWITHALS武藤と共につくった「自分の声を合成音声で残しておいて使い続けられるシステム」も活用し、コエステーションで話せるうちに合成音声も作成し、呼吸器を装着した場合に備えられた。

やがて、
「教頭先生が、呼吸器をつけてくれるって言ってくれました!」
と、連絡をもらう。

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2019年6月、名古屋の平野アナウンサーが毎年主催しているALS啓発イベント「ゴロン」において私たちは再会した。

当時、東京に来てくれた生徒会長、生徒副会長、校長先生も一緒だ。
生徒会長だった柴川さん、副会長だった松木さんはこの事がきっかけで2人とも福祉介護の道を進路に選び、進学した。
長岡先生も奥さんも広島の家でお会いした時とは違い、とても笑顔で楽しそうにされていた。

御調高校のその後の生徒会は長岡先生の病室や、副支部長を務めるALS協会広島支部へも訪問するようになった。
長岡先生はALSによって教員を退職された。しかし御調高校の生徒や先生方らにとって、それからもずっと先生であり続けている。

そして長岡先生と生徒会は啓発活動の方法として広島カープの本拠地マツダスタジアムをあげ、2019年の冬、生徒会は思い切って球団の松田オーナーあてに「ALSへの理解を深める日を作ってもらえないか」と手紙を出す。

球団職員から同校に電話が入った。
「一緒にやりましょう!」
長岡先生と生徒会の熱意は、マツダスタジアムも動かした。

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2020年10月17日、
プロ野球広島カープー中日ドラゴンズ戦の行われたマツダスタジアムで、ALSの啓発イベントが行われ、この時の生徒会長が始球式を担当、アナウンスでALSや御調高校の事が説明された。

長岡先生が普段から使うOriHimeや、OriHime eyeの体験コーナーも作った。また、御調高校にとってのALSのシンボルとしてOriHimeを使いたいと提案され、この日限定の、カープ坊や×OriHimeのチャリティーコラボTシャツ、缶バッジも制作・販売され、ALSの新薬開発を支援する基金へと寄付された。

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これまで、研究を通して多くの難病、寝たきりの患者さんを見てきた。
その中でとある寝たきりの患者さんから貰った印象深い言葉が頭に浮かぶ。

「多くの困難の中でも本人が諦めず、周囲が諦めない人達に道はひらける」


周囲から「無理だ」「前例がない」と言われても本人がそれに負けず前向きに発信を続けることで、活動的な仲間が1人ずつ周りに集まる。
本人が「もう駄目かもしれない」と思う時も、諦めず励まし支援し続ける仲間がいる事で、「まだ出来る事があるかもしれない」と、生きる理由を見つけて立ち上がれる事もある。

2021年6月、
私達は日本橋に「分身ロボットカフェDAWN ver.β 常設実験店」をオープンさせ、たとえ寝たきりであっても次の世代の選択肢を一緒に作ろうとする仲間を募集した。

そのエントリーの中に、長岡教頭先生の名前があった事はとても嬉しかった。

OriHime eyeをただの意思伝達装置ではなく、意志実現装置にしよう。
たとえ眼しか動かせなくても、お客さんに楽しい時間を過ごしてもらう接客仕事ができる、そんな方法、ツールを長岡先生と共に研究していく。
そんな新たな挑戦と、開発を、我々はさっそく7月からスタートした。

(今年5月放送された長岡先生のドキュメンタリー)

長岡先生とプロジェクトを開始したちょうどその頃、2018年に我々に電話をかけ、東京へ来た当時の生徒会長だった柴川さんからメールが届いた。

「お久しぶりです柴川です。(中略)
 もし夏休み期間のインターンが可能であれば、学生生活で培った力を活かし自己研鑽の機会としたいです。」

2021年9月、分身ロボットカフェにて、長岡教頭先生と柴川元生徒会長、かつての子弟コンビが中心となるプロジェクトが始まった。

目指すは、視線入力だけでお客さんにとって”良い接客”を実現し、長岡先生以外のALSなど発話できない人達への働き方を開発する事だ。

現在の課題は、OriHime-Dの操作も、接客の為の発話もできるが、全て視線入力で行っていくのでお客さんへのリアクション、返答が遅くなる。
配膳は行えるものの、ほぼ無言になってしまい、ただドリンクを運んだだけの接客になってしまう。

リアルタイムの合成音声だけではなくあらかじめ登録された台詞を選択しての接客を試すがうまく切り換えができず、お客さんも事情は知りつつもリアクションの遅さに戸惑ってしまうなど、何度も失敗しながら少しずつ手がかりを見つけて前に進めた。

長岡先生は毎回、アドリブで接客の為の様々な文字盤を短時間で生成して用意し、接客に挑む。
トラブルが起き、全員が初めての事だらけで見守るなか、「柴川、がんばれ!」と、合成音声での声(感情:嬉)で柴川さんに発話し、柴川さんが「はい!頑張ります!」と返す。
そんないつものやりとりを見てお客さんやカフェの他のスタッフも笑う。

そうして4度目のカフェでの実験、9月末のテストでは長岡先生の事をもともと知るお客さん相手ではあるが、OriHime-Dでドリンクを運び、受け取ってもらって接客し、ついでに30分以上にわたりOriHimeを通して雑談で盛り上がる事ができるようになった。
あらかじめ用意された文章ではなく、リアルタイムの視線入力によっての雑談である。

長岡先生を知るお客さんも大喜びされ、柴川さんやカフェのスタッフ達も「すごくよかった!」と喜んだ。

夏休みも終了し、柴川さんは一旦大学に戻るが、この研究活動自体、柴川さんと他の協力しているインターンの学生達が遠隔で続けていく予定で、長岡先生もひきつづき定期的な出勤と改良を計画している。

長岡先生「特別支援学校には初めから働く事をあきらめている子ども達もいる。彼らにぜひ採用通知を送ってあげたい。」

柴川さん「更に視線入力で、その人らしく働ける環境作りを目指したい。」



御調高校生徒会から電話がかかって来た冬からもうすぐ4年、
ALSでも諦めない長岡先生たちとの挑戦はこれからも続く


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吉藤オリィ


追伸:
【オリィの自由研究部(β)】
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