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01.「昔好きだったバンドに似ている」

ライブハウスで働いている。主な仕事の内容はバーカウンターでドリンクを作る、受付でのお客さんの入場の対応。あとは締め作業。あちこちに置いてあるグラスやらプラコップやらを集め、楽屋のゴミを分別し、トイレも綺麗にして、エトセトラ、エトセトラ。楽な作業では全然ないし、終電で帰られないことも多いし、もっと割のいいバイトはたくさんあるんだけど現状、ライブハウスで働いている。先のことは知らない。

決して楽じゃない仕事を続けるのはにはもちろんそれなりの理由がある。何と言ったってライブハウスで働くとライブがタダで観られるのだ。タダどころか時給が発生するのだ。これは自分みたいに週に2,3回ライブハウスに通っていた身からすると信じられないくらい美味しい話。だってそりゃそうでしょう、3000円とか4000円とか払って通っていたライブが全部お金になる。これはとんでもない話だ。

もちろん、観るライブ全部が楽しいわけではない。自分が全く興味にないジャンルのライブがやっているとただただうるさいだけだ。今日もバーで「コーラ」と「コロナ」を聞き間違えて出してしまった。みたいなことになってしまう。とはいえそんな時間もなんだかんだで楽しい。基本的に大きな音で音楽が鳴ってればそれでいいんだ。むしろそれくらいじゃないと働けないし。

そんな訳で自分が全く興味の無いアーティストのライブを観ることが人よりもだいぶ多い。ガシャガシャうるさいパンクロックもさすがにフリー過ぎやしないかという感じのラップもおじさんばっかり集まったシンガーソングライターのライブも全部観ている。

毎日そうやって生活を送っていると「昔は凄く好きで聴いていたのに最近は好みが変わって聴かなくなった音楽」に近い音楽性のアーティストのライブを観るということがしばしば起こる。何もライブハウスで働いていなくたってそういうことは起こるだろう。見るともなく見ていたテレビから流れてきた音楽とか、誰かのストーリーに流れてきたライブ映像とか。ふとした瞬間に耳が懐かしい気分になる。

もちろん音楽に限ることもない。授業で読まされた本の中だったり、恋人に付き合って行ったカフェのパンケーキの味だったり。本当に思わぬ瞬間に「昔好きだった」という感覚はやってくる。そして厄介なことにこういう感覚は、ある種の哀愁を含んでいる。「昔好きだった」と向き合うことはそのまま「昔の自分」を思い起こさせるからだ。

ちょっと想像してみて欲しい。参考文献を探しに図書館の棚を眺めてたら、すっかり読まなくなった作家の、聞いたこともないタイトルの本が二冊並んでいるのを見つけたあの瞬間。久しぶりに来た公園に、誰かと一緒に座った記憶があるベンチがなくなっていることに気がついたあの瞬間。戻りたくなくても唐突に「昔好きだった何か(あるいは誰か、どこか)」をちゃんと好きだったころに戻っているときのことを。

ライブハウスにいるとそんな時間がたびたび訪れる。

毎日聴くんだろうと思って買ったCDはホコリを被っていて、それだけならまだしもたまにそのホコリを払ってしまいたくなる。払ったところで何も戻ってきやしないのに、あまつさえCDプレイヤーにそのCDを入れてみたりする。そうして一通りのことを試した後に「そうそうこういうのも昔は聴いていたんだよね」なんて思ったところでそのCDはまた少しずつホコリを被っていく。

そんな出来事に教訓があるのかなんて分からない。どっちにしたって僕らは「昔好きだったモノ」がある以上ふとしたきっかけでそのことを思い出すし、その度にホコリを払うことになるんだろう。そして妙に納得した表情でくだらないツイートをして、明日からまたせっせとホコリをためていくはずだ。

繰り返しになるがそんな出来事に教訓はない。あったって仕方ないじゃないか。

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