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B's写真展「壁」と『Live』

はじめまして!アクセスありがとうございます!!
orubas36と申します。

ここでは写真展に在廊できない間や、コミュ障で言葉足らずな筆者に代わり、写真展のテーマである「壁」に対する、自分なりの回答=作品について語っていこうと思います。

果たして読んでくれる人は現れるのだろうか…?笑



Introduction


事の始まりは別所隆弘さんが主宰しているオンラインサロンでの別所さんの投稿だった。

「サロンで写真展やりましょ。」

友人や知人からたまに「写真展とかやらないの」と聞かれてることがありますが、ふだん「いやいや写真展はやらないよ」と答えているので、
「参加募集します」
と募集がかかっても、答えは当然・・・

ポチーーーッ!

そう、例のアレである。

『ダブスタクソ親父』

うん、そもそも"親父"というステータスではないので、この表現は間違いなのだが、水星の魔女を観ながら書いているので致し方ない。気にしないでスルーしていただければ幸いである。

このような感じで募集早々に名乗りを上げたわけだが、ここで一つの壁にぶち当たることになる。募集要項をよく読むと

「展示テーマ:『壁』」

ん、壁?
壁って…、かべ?
えーっと……ウォール⁇
えっ、壁ってなに?

かべ【壁】の解説
建物の外周の部分。また部屋などを仕切るもの。

Weblio国語辞典

いや、大丈夫。"壁"という言葉が分からないわけじゃない。

つまりこういう意味である。

【壁ってなに?】
それは、私達を守るもの。それは、私達を隔てるもの。
〜(中略)〜
あらゆる展示において、私達が物理的に対峙する「壁」。与えられた空間に対し、出展者が表現する「何か」。
その「何か」こそ、定量的には測れない無二の価値と捉え、私達は今回の展示に「壁」という題をつけた。

公式より抜粋

普段自分の撮る写真は、被写体と背景には距離があり、色以外の情報が残らないくらいぼかすスタイルである。

それゆえに物理的な壁は、超がつくくらい最悪の組み合わせと言える。しかしながら非物理的な"壁"ならば、あるいは…
自分にとっての"壁"とは何か?

案外あっさりと、1枚の写真が思い浮かんだ。


Chapter 1 こぼれ咲く

アスファルトの割れ目から咲く、園芸種のビオラ

花写真というジャンル考えたときに思い浮かんだのが、上記の1枚だった。
おそらくプランターに種まきした際に、道路にこぼれた種から咲いたのだろう。
これを見たときに写真というカテゴリーにおける、花写真の立ち位置を見たような気がした。

やっぱ、みんな絶景が見たいよね!

いつでもその辺で見られる花よりも、自分にとって非日常な世界を見たいと思うのは、当然の欲求だろう。なにより自分が一番見たい。
ただ写真に限った話ではないのだが、最近は様々なことに"物語"的な何かがあることを求められ、他人に何かを共感してもらうのには、背景に”物語”を感じさせることが重要になってきている。
例で言えば、「プロジェクトX」やワイドショーが分かりやすいだろうか?
その点で、前述の絶景や山写真は容易に”物語”を感じさせやすい。なにせ経験が無くとも、そこまでの道中が大変なのは想像ができるから。
では、花の写真はどうだろうか?

まぁ正直難しい。撮影は花さえあれば、そのへんの公園でも、道端でもいいし。写真も被写体以外の周辺情報も限りなく少ないため、「綺麗」という共感は得られても、鑑賞者自身の経験等から”物語”を想起させるのは容易ではない。

これが花の写真家としての「壁」。

そして、それと同時に花写真というカテゴリーにおける、自分の立ち位置にも重なって見えた。
花写真を撮る仲間の多くは花壇や花畑に咲く花を撮っていることが多い、少なくともSNSに上がってくる写真はそういう写真が多い。別にそれが悪いといっているわけではない、なにしろ自分も撮るので。
ただ自分は野原や道端に咲く花に魅力を感じて、そちらにばかり目がいってしまう。
花弁が汚れていたり、欠損していたり、はたまた倒れているなど、決して綺麗に咲いているわけではないのだが、手入れされた花壇や花畑に咲く花たちと同じくらい心惹かれるのだ。

だから、プランター=花壇や花畑の花を好むマジョリティに対して、枠外にポツリと咲く花=マイノリティな自分に重なったのである。

そんなことを参加を決めてから、つらつらと考えていたときに、ふいにニュースが飛びこんできた。


Chapter 2 小さき命

23年1月8日、ショッキングなニュースを知る。


多摩動物公園で飼育されているサーバルに赤ちゃんが産まれたのは、22年10月下旬のこと。一般に公開されたのが12月に入ってからになる。
インスタのフォロワーさんの写真でそのことを知り、最初に撮りに行ったのは、公開から1週間程度過ぎた頃だった。まだ少し残る不安と新しい世界への冒険心とが入り混じった感じに見える、サーバルの子ども達を微笑ましく思い、それから2週間後にもう一度訪れることになった。

再訪したときには、3兄弟が見違えるくらいに運動場を所狭しと元気よく駆けまわっていた。
文字通り跳ねまわるように駆けまわり、そこかしこで愛くるしさを振りまいてくれたおかげで、バッファが何度いっぱいになったことか。シャッターを切りながら、α1やZ9等が頭の中でチラついていたのは言うまでもない。
余談だが、この時新しいレンズを持ち込んでいる。在庫切れで、手に入るまでサブスクのカメラ会社からレンタルしながらだったが、ようやく手元に届いたレンズ。そう、あの"ハンバーガーから鯨が撮れる"という、例のレンズだ。
このレンズのレビューについては別所さんにお任せして、話を戻そう。

TAMRON 50-400mm F/4.5-6.3 Di Ⅲ VC VXD


そして、チャプターの最初に戻るわけである。
年明けのインスタの投稿で「次はいつ行こう?」と書くくらいに、サーバルの子ども達の成長を楽しみにしていたし、喜びを感じていた。
それだけに落胆した。というか、1週間前に元気に走りまわる姿を見ていただけに、理解できず戸惑っていた、というほうが正しいか。
死因については不明として調査中のまま、アップデートはされていないので、いまだ分からないというのが現状のようだ。
それから展示は1ヶ月ほど休止となり、展示が一時再開されたものの、高病原性鳥インフルエンザの発生により、今度は動物公園自体が休園となったため、その後2頭となった兄弟に会えてはいない。

生きることは難しい。
自然の中で生きるより遥かに生存率の高いであろう動物園においても、こうして突然命を失うことがある。
天災、事件・事故、病気。いつだって理不尽で、無慈悲に失うし、奪われるのだと知っている。
"当たり前の日常"が明日も訪れるとは限らない。

それを忘れたつもりはない、忘れてはいけない。

生きることの"壁"。
この「生きることの”壁”」を認識したことで、見え方が変わったものがある。

それはChapter1の花の写真である。



Chapter 3 『Live』

今これを読んでくださっているあなたは、道端に咲く花に気がついているだろうか?

別に気づけないことを非難するつもりはない。なんなら、これまでゴチャゴチャ語ってきた自分自身も気づけているとは言えないからだ。
気づけているのは、(撮影有無に関わらず)足もとに意識を向けているときだけで、目的に向かって真っしぐらな状態のときに気づくことはない。
つまり、探そうと"意識している"ときか、それだけの"余裕がある"ときくらいにしか、気がつけないわけだ。

だから、これはただのお節介である。

足下の「小さな幸せ」気づいていますか…?

小さな幸せより、大きな幸せ掴むんじゃい!
でも、
いやいや、幸せが足下に転がっているとはかぎらんだろ?
でも、
人それぞれ意見があって良いのですが、要は意識したり、余裕がなければ、その大小に関わらず、またいかなる場所にあっても気がつくことはない。それが仮に目の前にあったとしても。

では、どうしたらいい?

それは自分にも分からない。
なにせ、自分も普段から大体バタバタして、ワタワタして、オロオロして、ストレスかかりまくりで余裕をもって生きれてはいないので。
だからこそ、自分は意識して余裕を作るために、写真を撮ることを選んだのだと思う。

生きることは難しい
でも、"それでも"と抗い続ける

生きるための余裕を持つために必要なことは、人それぞれ違うと思われる。自分にはまだ無いっていう人も、

いろんなところに行って、
いろんなものを見て、
いろんなことを感じて、
いろんなことを考える

もしかしたら、何か見つかるかもしれませんよ?

そんなことを考えさせられた、今回の展示でした。
あー参加して良かった♪


無事終了しました!
ご来場ご鑑賞、誠にありがとうございました‼︎

11時〜21時(最終日のみ17時)まで


余談

ちなみに完全に余談なのですが、

足下の「小さな幸せ」気づいていますか…?

Chapter3より

この言葉と写真のビオラ、わりと早い段階で展示に使おうことを決めていたので、あまり深く考えずにいたのだが、足下とは「そっか」とも読み、

【足下(そっか)】とは
対等の相手に用いる敬称。貴殿。あなた。

Weblio国語辞典

つまり
「"あなた"の「小さな幸せ」気づいていますか」
となるわけだ。
そしてビオラ(黄色)の花言葉は「小さな幸せ」。

なんという偶然(笑)

偶然ついでに…、
最初Chapter1で使ったビオラの写真を使う予定だった。ただ枠外であることを分かりやすくするために、撮り直すことを考えていたが、ビオラの花言葉を知ってしまった以上、ビオラ以外の写真にする気にならず、再現性の低さに諦めていた。
そんな折、3月に参加したスナップ&花写真展で、今回の展示写真の場所を教えてもらったことで道が開けた。
スナップ&花写真展を企画してくれた、富久さんと北村さんに感謝しかない。


モカとコピ

4ヶ月ぶりにサーバル親子と対面しました。元気で良かった…。
そして大っきくなったなぁ(しみじみ)。

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