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「ブログやツイッターで人様の私生活を覗き見ている趣味の悪い私」

 切実なものとして受け取る分には構わないと思うのだけれど、きっと私は山もオチもないフィクションとしてそれらを眺めている。何を感じるわけでもなく冷めた目で文字を辿る。こんな人生の形もあるんだなあなんて、あり得なかった可能性を考えて、空想に耽る。
 人が生きていることの不思議は、矮小な私を超えて存在している。その人がその人として生きているということ……。私にはそのどれもが輝いて見えると同時に、そんな簡単にその人の一部を不特定多数の人間に見せていいものなのか、切実に生きている人の生活記録を読んでいると妙な気持ちになる。
――綺麗にコンテンツとしてパッケージ化されたものの虚ろな手触り。
 確かに人に見せてもいいと本人が思ったことしか書かれていないのだろう。時には犯罪を犯すまではいかなくとも、人の道を逸れている人の話も紛れている。知り合い以外の誰かなら見せてもいいと思っている。
 それから具体的には表現しがたいが、見せてはいけないのではと思うようなことも紛れ込んでいる。

 あれこれ人の生を眺めているということが趣味の悪いことだという感覚が拭えない。私の暇つぶしとして消費される何かあることが少なくとも私にとっては気持ちが悪い。現代人が多くやっている当たり前の行為かもしれない。
 「鑑賞」や「読み」の態度の差だろうか、他人がそれをしていても気持ち悪いという感覚はないのだけれど、とにかく自分の態度が気に入らない。
 「そして私は自分の生活を晒すことに抵抗を覚えている」。

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