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音楽を何かに喩えてみる

 音楽の定義にもよるのでどういう定義のもと喩えているかを記しながら書いてみます。その前に音楽とはどういうものなのか簡単に定義すると、まず、広義では音を材料とし、音の性質を組み合わせ、時間の流れの中で構築されているものとしておきます。狭義ではリズム、メロディー、ハーモニーの三要素によって規範構築され、作曲、演奏、鑑賞の三者によって成立し、情感を喚起するものとしておきます。そして音楽は、認知のしやすさによって好ましい音(協和音)とそうでない音(不協和音)が存在することを留意しておきたいです。

①音楽は言語のようなもの
 私が最初に思い浮かんだのは、音楽とは言語のようなものだということです。音楽はそれによって楽しい感情や悲しい感情を引き出します。ある言葉によって川の流れている様をイメージできるように、あるフレーズ(厳密にはリズム・メロディー・ハーモニー等の組み合わせ)によって川の流れている様を連想することがあります。さらに、時間の流れの中で、演奏者と聴衆者間のコミュニケーションが進行していくという点でも言語に近い性質を持っているといえます。これらは、主に狭義における音楽の性質を指しています。具体的には主にクラシックやポピュラー音楽といった西洋音楽、一部の民族音楽にいえます。

②音楽は香りのようなもの
 次に、音楽は香りのようなものだと考えました。これは広義における音楽にいえることで、ある香りを嗅ぐとその香りにまつわるエピソードを思い出すことがありますが、音楽にもそういった部分があることから似ているなと判断しました。

③音楽は料理のようなもの
 そして、音楽は料理のようだとも思いました。これは概ね狭義における音楽を指します。私達の味覚は美味しいものとそうでないものを知覚しており、そういった味という要素や歯ごたえ、彩りといった複数の要素を組み合わせて美味しいと感じられるものを料理として作っています。音楽において美味しいものは協和音的なもの、そうでないものを不協和音的なものと考えてみました。おそらくですが味覚は生得的な部分と後天的な部分とが組み合わさってできていそうで、その点では広義での音楽における認知の成り立ちとも近いなとも感じました。

④音楽は宗教のようなもの
 また、音楽は宗教のようだとも思いました。これは多分思いつく人が結構いそうな感じですよね。宗教的性質は広義における音楽にいえそうです。実際音楽は歴史的にも宗教と深い関わりがあります。ただ、音楽体験が宗教体験と似ているというよりは、宗教体験が音楽体験に似たのかなと起源を考えるとそう思えてきます(宗教についてはあまり詳しくないのでなんとなくですが)。

⑤音楽は数学のようなもの
 それから、音楽(これは狭義における音楽限定)は数の世界と通じているゆえに数学っぽいなとも思います。以前書いたのですが、芸術音楽が数学的な性質を帯びているのは、西洋において元々音楽が数学の世界に属していたこと、世界を調律する秩序の1つと見做す考え方が支配的だったことによります。ピタゴラスが音程比と弦の長さの比率関係を発見し、音律を作って以来、音楽とは現象界の背後にある客観的秩序を探求認識するものでした。音楽の背後に客観的な秩序の認識や構築を図る動きは、中世以降の芸術音楽にも頻出していて今でも脈々と受け継がれていますし、そうでなくとも音楽の和声的側面をとって見ても数学的な性格が色濃い感じがしますね。

⑥音楽は薬のようなもの?
 これは少し違う感じがするので言おうか迷ったのですが、音楽(ここで言う音楽は、上記の狭義における音楽よりさらに限定される)は薬のようにも思えます。合う薬に出会ったときに効果覿面であるように、自分とマッチする音楽には癒しなどの何らかの効果が発揮されます。実際に音楽療法という分野もあるように、単なる癒しに留まらない効果が期待されているのかなという印象です。嫌でも頭に残る音楽が存在するように、時折その強烈さは麻薬並なのではないかとも思えてきます。しかし、薬のように副作用が存在するかという点が疑問だったため、喩えるのに躊躇しました。

 以上がぱっと思いついた喩えになります。一語で喩えられないかも考えてみたのですが、音楽が何か一語で不足なく喩えられるとしたら音楽という言葉は要らないのではという気がしてきますし、仮に答えられても「芸術」のように抽象度が高すぎてつかみどころのない言葉になってしまうのかなという感じがしました。

*補足
音楽と言語の違い
音楽と言語の違いについて少し書いておきます。

①言語において音は単なる手段であり、表現すべきものの目的完遂のための手段である。これに対し音楽において音は1つのもの、すなわち自己目的として登場する。

②後者における音形式の自立的美と前者における単なる表現手段としての音に対する思考の絶対的支配力とは互に排他的に対立しているが故に、両原理の混合は論理的な不可能を意味する。

③特殊音楽的法則はすべて音の自立的な意義と美のまわりをめぐるであろうし、言語的法則はすべて表現目的のため音声の正しい使用のまわりをまわるであろう。

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