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【5】嫉妬を越えていく、その手前で

嫉妬、これまた厄介な感情だ。七つの大罪にも入るくらいの感情なんだから、厄介でないはずがない。では、そんな厄介な嫉妬という感情とは常に敵対しなければならないのかというと、そんなこともないんじゃないかと思う。

それは私のものであったはずだ
嫉妬は、ある対象が自分のものであるはずなのに、そうなってはいないと感じるときに起こる感情だと考えていいと思う。

親を下の兄弟に取られてしまったように感じるとき、ある境遇によって誰かが恩恵に与っているのを目にし、「その恩恵は自分が受けるはずのものだ」と感じるとき、病気や怪我で健康なひとと同じようには動けないときなどなど。人間関係、環境、お金、健康など嫉妬の原因は様々だ。

嫉妬を越えていく2つの方法
嫉妬を昇華/消化するには、おそらく大きく分けて2つの方法がありうる。そのどちらにも共通するのは、「自分を認められるようになる」ということだ。

ひとつは、現状自分に足りないものを身につけて、嫉妬している誰かを越えていこうとする方法。これは嫉妬している相手と同じ土俵で頑張ろうとすることを意味する。この場合、相手と同じかあるいはそれ以上の自分になることで、自分を認められるようになる。

もうひとつは、足りないものを諦めて、別の道を模索するという方法。こちらは最初のスタンスとは違い、嫉妬する相手のいる土俵から降りて、まったく違う土俵を探す、あるいは土俵自体を新たに作り出すことを意味している。自分が強い土俵もしくは自分固有の土俵に立つことで自分を認められるようになる。

しかし、これらの方法はなかなかにしんどい。どちらも一定以上のモチベーションと努力が必要だからだ。また、これらの方法では昇華/消化できないタイプの嫉妬もあるだろう。仮に昇華/消化できるものだったとして、これらの方法を取ればいいと分かっていても、そうできないこともある。そんなとき、僕らは自分を責めてしまうことがある。それだけでなく他者を責めてしまうこともあるだろう。

だから、この2つの方法の先にある「自分を認められるようになる」ことの手前で自分を認めることが重要になってくる。嫉妬している自分を責めず、自分が嫉妬する誰かのことも責めないように。

2つの方法の手前でー嫉妬を抱き寄せることー
僕らは嫉妬する。そういうふうにできている。よほど修行を積んだお坊さんとか嫉妬する間もなく上の2つの方法を使いこなせるようなひとでもない限りは、これはもうどうしようもない。だから、嫉妬することそのものは別に悪いことではない。嫉妬のエネルギーによって自分や他者を傷つけるのがよくないのであって、嫉妬すること自体は悪いことではないのだと思う。

嫉妬しているとき、それが意識的にであれ無意識的にであれ、僕らは嫉妬していることを認めたがらない。それは嫉妬心を抱いている状況をよくないと判断しているからだ。けれど、先に書いたように、嫉妬心を抱くこと自体は悪いことではないのだと考えればどうだろう?いま自分が何に、なぜ、どのように嫉妬しているかを認めることができるようになるんじゃないだろうか。

嫉妬と敵対するのではなく、「意外と悪いやつじゃないかも?」と抱き寄せてみること。そんなふうにしてみると、もう少し嫉妬といい関係を築けるようになるかもしれない。

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