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塀のない刑務所(大井造船作業場)⑮

「行事」

 大井の行事の中には、普通の刑務所では考えられないような行事がいくつかある。
 ⑫で書いた海水浴もそうだが、集団散歩という年二回も行われる「遠足」がある。
 経理班がお弁当を作り、バスで博物館や記念館の観光地を見学するのである。手錠や腰縄は一切ない。
 一般の観光客も多数いる。家族連れも多い。
 私は家族連れを見かけるたびに、隠れたくなる衝動にかられた。他の寮生達は皆笑顔で談笑しながら歩いているが、私は隠れたかった、笑いたくなかった。笑っている姿を見られたくなかった。
 一般の人達は私達が受刑者だと知らないけど、妻や子供達、被害者の方に見られている様な気持ちになって、隠れたかった。
 私達の服装はお揃いの紺色のジャージである。三十人近い二十代の若者から四十代のオジサンの団体が、お揃いのジャージを着て歩いているのである。私はどう見ても変な宗教団体にしか見えないだろうな、と思っていた。

 秋には運動会があり、本所の松山刑務所の運動会に参加する。
二ヶ月の厳しい訓練を経ている、大井勢としては、負けてはいけない空気があり、それを大井の伝統と呼んでいた。
 「刑務所に伝統…?」これは私の心の呟きだった。
 特に応援合戦は、得意の団体行動を披露した。本所の人達は興味津々で見ていた様に思えた。
 運動会の為に、だいぶ前から忙しい合間をぬって、応援合戦の練習を主に各種目の練習も欠かさなかった。それを仕切るのは体育委員の役割だった。
 私は前の刑務所でも運動会を経験したが、刑務所の運動会は誰の為にやるのか、必要な事なのかと思っていた。学校の運動会は家族に見てもらうという目的や楽しみがあるが、刑務所には何があるのだろう。
 運動会の時には、飲み物とお菓子が支給された。受刑者にはとても有難い事だが、自分の犯した罪を忘れて、満面の笑みで一日を過ごす事に何の意味があるのか、わからなかった。

 運動会と同じ秋の行事で、「友愛寮文化祭」という行事もある。
造船所が地域の人や御家族を招いた「感謝祭」というお祭りイベントを開催するので、その日に友愛寮では文化祭を行い、日頃のクラブ活動の成果をお披露目するのである。
 食堂のステージでは、バンドクラブや詩吟、手話クラブの手話での歌などを披露し、教室には、絵画、書道、点訳などを壁に貼り付け、一般のお客さんに見学してもらうのである。
 お客さんは造船所の感謝祭に来ている一般の人である。友愛寮が目当てで来ている人が、多かったらしい。
 文化祭では、各クラブの先生方が手伝いに来てくれる。厨房では、うどんやおにぎり、コロッケ、たこ焼きなどを調理し、安く提供するのである。
 そういう調理をクラブの先生方と、先生のお友達が中心となり食材も準備してくれて、友愛寮からは経理班が手伝いに入ったりした。
 バンドクラブの先生も、一緒にステージに立って演奏に参加し、
生け花の先生は当日に教室で花を生けてくれたり、どの先生も私達に凄く協力的で応援してくれていた。
 受刑者が一般の人の前に立つなど、普通の刑務所ではあり得ない事だが、大井では当たり前の様に行われていた。
 四階五階の、私達の居住区は立ち入り禁止となっていて、写真撮影も禁止だった。

 私達の事を応援してくれる人は多く、造船所の社員さんにも多くいた。私が作業している現場の職長さんも文化祭を見に来てくれていた。
 他にも連休の時に、全員分の握り寿司を差し入れてくれた社員さんもいた。時別な日でもないのにである。
 刑務所で握り寿司が食べられるなんて信じられない事だと思う。
 他にもケーキを差し入れてくれた人もいた。
 ある日曜日には、アジや小魚がたくさん釣れたからと、釣りの帰りに大漁の魚を持って来てくれた社員さんもいた。その時は急遽その大漁のアジや魚を捌いてフライにして夕食で頂いた。
 職業訓練の講師の方々も応援してくださる社員さんである。素人の私達、早かれ遅かれ必ずいなくなる私達を合格させようと一生懸命教えてくれる。
 そんな皆さんの応援に支えられてる、刑務所の様に感じていた。

 私は、妻や子供達、家族、ずっと友達でいてくれた友達、みんなの信用を裏切って刑務所にいる、手遅れだが、もう誰も裏切ってはいけないと自分に言い聞かせていた、もう遅すぎるのだが、だからせめて友愛寮を応援してくれる人達を裏切る事はしてはいけないと思っていた。
 それは今まで、友愛寮で生活してきた受刑者が積み上げてきた「信用」だと感じていた。それこそ引き継がれるべき伝統のように思った。

 年末には、餅つき大会も行われる。その時もクラブの先生とその仲間達が来てくれて、皆でついた餅を、あんこ餅やきな粉餅にして、パックに入れ、造船所の社員さん達が貰いに来るので、配るのである。恒例行事なので皆知っていて、来客者は絶えない。私達も餅をつきながら、つまみ食いの様に何個か頂くがつきたての餅は美味しい。
 来客者は絶えないので、もち米を蒸す方が間にあわなかったり、つく方も交代しながらつくのだが、真冬だというのに皆汗だくである。
 家族連れで来る人も多く、餅をつきたいという子供達もいて、子供達にも餅つきを体験してもらった。
 子供達と餅つきをすると自分の息子達を想いだし、目頭が熱くなり、汗を拭きながら、子供達に接していた。
 子供を連れて来ている社員さんは、私達の事や友愛寮の事を子供達にどういう風に説明しているのだろう、などと考えたりしたが、そういう心の広い人達の気持ちは、私みたいな罪を犯した人間に分かるはずもなく、だけど少しでも、そういう人になりたいと思っていた。

 餅つき大会が終わると、一年の行事は終わりである、今年も一年無事に終わる事が出来る、感謝しかない。

 これまでは、年末年始も自分には関係ないと言い聞かせ、普段と変わらない気持ちで過ごしてきたが、
 大井に来て二度目の年の瀬は少し違った。来年は出所出来る可能性が、わずかだがあるからだ。
 償いは外に出てからが始まり、その考えにブレは無かった。より一層気持ちを強く持たなければと思っていた。

 大井に来て二度目の年が明けた。
 お正月は二日に初釜が開かれる、年が明けて最初の行事が初釜である。
茶道クラブの先生がお弟子さんと一緒に来てくれて、全員に茶道の動きを指導してくれる。
 おそらく大井に来ていなければ、茶道に関わるなんて事は無かっただろうと思う。出所してからも私にあるわけない。そう思えばいい経験だった。
 動きはぎこちなく、足も痺れているが気持ちはなんだか、上がっていた。
 今年中に出所できたらいいなと、願っていた初釜だった。


拙い文章を読んで頂きありがとうございます。
これは私が十年以上前に体験した受刑生活を基に書いていますが、
私以外の受刑者の事などは、多少変えて書いています。
ご了承のほどお願いいたします。 
 

拙い文章ですが、サポートしていただけたら幸いです。