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塀のない刑務所(大井造船作業場)⑫

「奉仕作業」「ビデオ鑑賞会」

 普通の刑務所では、土、日、祝祭日は、刑務作業は休みなので、やる事など何も無く、むさ苦しさで呼吸困難になるのではないかと思う舎房の中で、
ただ「ボー」っと過ごすだけだが、大井では土、日も予定はいっぱいである。

 工場の仕事は休みだが、奉仕作業、会議、資格試験の実技の練習等のスケジュールが必ず組まれていて、何の予定も無い日は無かった。

 大井でいう奉仕作業とは、造船所からの依頼を受けて行う作業である。
 ショット場清掃作業、船内清掃、どっく溝清掃等々、そして海水浴が出来る、大井浜清掃もその一つである。
 ショット場清掃作業と船内清掃は、それぞれ月に一度から二度必ず予定が入る。
 奉仕作業は、会長やリーダーの統率力が問われる場でもあった様に思う。

 ショット場清掃作業とは、造船所のショット場という部所の、大きな鉄板を塗装する機械の中を綺麗にする。機械の中に入り、溜まったペンキの泥をスコップで掻き出し、一斗缶に入れ、その一斗缶を少し離れた大きなバッカンに捨てに行くのである。
 機械の中は蒸し暑く、ペンキの匂いと乾いたペンキの粉が充満しているので防塵マスクをしていても、鼻の中まで真っ黒になる。
 一斗缶を運ぶ人も、泥が入った重い一斗缶を抱え、走ってバッカンまで捨てに行く。それを綺麗になるまで繰り返すので、かなりキツイ。そしてかなり汚れるので、作業着のツナギもショット場清掃専用に汚いツナギを各自が持っているほどだった。
 こういう奉仕作業の時に、序列が上だから楽をするという事は無く、逆に慣れているからこそ、より汚い場所や、汚れが取りにくい部分を担当していた。
 そういう人員配置も会長やリーダーの役目だった。
「一斗缶をもっと持って来い!」「早く運べ!」「〇〇がバテてるから△△交代しろ!」等の指示を出しながらでも、「気分悪い人はいないか?」「気分悪かったら機械から外に出ろよ!」という気づかいも忘れなかった。
 ペンキの匂いと粉が凄いので、実際気分が悪くなった人もいた。そういう人はすぐに職員さんに報告し、寮に帰して休ませた。そういう汚く、キツイ作業だった。

 それとは逆に、船内清掃は、綺麗な作業着を着て行う作業だった。
 修理等が終わった船の、船員さんの部屋や操舵室等を掃除するのである。
 引き渡し前なので、家具、家電、等々全てビニールや段ボール等で梱包や養生がされている。それらを家具、家電、壁等に傷をつけないように剥がし、各部屋の天井から床まで、埃を落とし拭き取って、綺麗にする引き渡し前の最後の掃除である。
 地下から最上階の操舵室まで、どの船も四階から五階まであり、外国のタンカー船が多かった。
 各班ごとに分担を決め、船内の狭い廊下を全員がテキパキと動き、一部屋終わる事に声を出して確認しあったりするので、元気な声が飛び交っていた。
 おそらく、私達の事を知らない人が、その光景を見たら、元気があってテキパキとした「業者」だと思い、「うちも今度この業者に頼もうか」
などと思うのではないかと、私はいつもそんな風に思っていた。
 全ての部屋の掃除が終わると、最終チェックを造船所の担当者、友愛寮の職員さん、自治会長で全て見てまわる。指摘された箇所はすぐにやり直す。
それは一般社会の仕事と同じであった。そんな風に外の世界を感じさせてくれる奉仕作業が私は好きだった。
 他の人は土、日が潰れるので嫌がる人がほとんどだったため、そういう思いは封印していた。
 船内清掃は、ちょっとした楽しみもあった。
それは造船所の方からの差し入れである。菓子パンやジュース類だが、菓子パンは普通の刑務所でも、大井でも食べる機会はないので、皆喜んだ。
菓子パンで喜ぶ所はやはり受刑者である。

 ショット場清掃も、船内清掃も十二時までに終わらす様に、午前中かなり集中して行う。
 会長やリーダーを中心に、前日から役割分担をしっかり決めて、作業を行っていた。
 しかし、本所に戻される人が多かったり、本所の訓練の時に辞退する人が重なると、少ない人数で奉仕作業も行わなければならず、十二時を過ぎる事もあったが、それでも作業が終わるまで帰寮はしないので、皆かなり集中する。そういう所もダラダラとした普通の刑務所の刑務作業とは違う。

 どっく溝清掃という奉仕作業もあった。これもかなりの汚れ作業である。
造船所の敷地の外にある溝を掃除するのだが、側溝などではなくドブ川である。川に降りて川底をスコップでさらい、周囲の雑草を草刈り機とカマを使い綺麗にしていく、年に一回か二回の作業だった。

 夏には、大井浜清掃という奉仕作業がある、友愛寮から歩いて十分程で、大井浜と呼ばれている海へ着く。ここも造船所の敷地の外である。
 砂浜の端から端までゴミを拾い集め、砂浜を綺麗にしていくのである。
綺麗にした後、まさかの海水浴が許される。
 その海水浴ではかき氷も許され、かき氷機も持って行き、イチゴやメロンのシロップまである。
 全く普通の刑務所では考えられなかった。
 自分の罪を忘れ、海水浴に興じ、子供の様にはしゃいでいる。
そんな私達受刑者を、被害者や家族が見たら、どう思うだろう、とても反省している様には見えないだろう。
 大井には異様な厳しさの中に、普通の刑務所では考えられない、好待遇な事も多い、そういう時にいつも私は、自己嫌悪に陥ってしまう。

 好待遇といえば、ビデオ鑑賞会、通称ビデ鑑という時間がある。
先に⑩の中で、平日にテレビを見る時間は無いと述べたが、週末の夕食後にビデ鑑という予定が組まれている。
 広い畳間の娯楽室に全員が揃って、あらかじめ録画しておいた、映画やテレビ番組を見るのである。それも、お菓子とコーヒーを飲みながら。
 普通の刑務所で受刑生活を送っている人が聞いたら、羨ましいを通り越して、怒るかもしれない。
 お菓子は毎週五百円までと決められ、お菓子のメニュー表みたいなものから、各々が選び、経理班リーダーが取りまとめ、職員さんにお願いをする。雑誌や日用品の購入も同様に経理班リーダーが担当していた。
 お金は作業報奨金から引かれる。
 録画する映画や番組は、会長とリーダーが新聞のテレビ欄から自分達の好みで決め、教養委員に命じ録画させておく。
 お菓子を食べながら、ビデオを見るといっても、下期生にとっては、決してリラックス出来る場では無く、序列の格差は大きかった。
 下期生は薄い座布団に座り、お尻が痛くなって座り直す時でも、ゆっくりと目立たないように、気をつかわなければいけないが、会長とリーダーには座椅子が用意され、部屋の一番後ろの壁にもたれて、くつろいでいる。
 下期生は、お菓子の袋を開ける時や食べる時も音をたててはいけない。
お笑い番組や、笑える場面でも声を出して笑ってはいけない。声を押し殺して笑うのである。かなり疲れる所作である。
 ビデ鑑で飲むコーヒーは、経理班がインスタントコーヒーを作り、ペットボトルに入れ、前もって冷やしてある。もちろん残してはいけない。
 皆、外の世界では、当たり前に飲んでいたコーヒーだが、週末にしか飲まないので、小学生がコーヒーを飲んだ時の様に眠れなくなる。特に新入時は、かなり久しぶりなため、全く眠れなかった。
 入寮した頃は、毎週お菓子が食べられる事に喜んでいたが、慣れてくると見たくもないビデオを、身動きせずに見るのが苦痛に感じたりもした。

 慣れというのは、そんな贅沢な事を考えてしまう自分が、嫌になる事でもあった。


 拙い文章を読んで頂きありがとうございます。
 この文章は、十年以上前の私の受刑生活を基に書いていますが、
 人物が特定出来そうな事柄などは変えて書いています。 


拙い文章ですが、サポートしていただけたら幸いです。