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塀のない刑務所(大井造船作業場)⑬

「職業訓練」

 大井は職業訓練の刑務所である。
それが最大の目的の刑務所とも言える。
 そして私が大井に来たかった理由の一つでもあった。
 何の資格もなく、出所してからの仕事に不安があった私には、最大の目標であった。

 取得出来る資格は、アーク溶接、ガス切断、玉掛、移動式クレーン、天井クレーン、フォークリフト等であった。
 全員が全ての資格を取得出来るわけではなく、試験日と残っている刑期によって、それぞれ違う、刑期が長い人ほど多くの資格が取得出来るという事である。
 ガス切断、玉掛、フォークリフトは二日から三日の講習を受ければ、技能講習修了証が貰えたが、アーク溶接、移動式クレーン、天井クレーンは国家資格である、実技と学科の試験に合格しなければいけない。

 全ての試験や講習は、造船所の人や、造船所以外の一般の人と同じ様に受験する。
 フォークリフトや玉掛の技能講習の座学では、一般の人の多くは堂々と居眠りをしていた。そういう中にいると、自分が出所した様な錯覚を起こす妙な気分になった。
 もちろん私達に居眠りは許されない。

 大井の合格率はかなり高かった。教室の後ろの壁にアーク溶接と移動式クレーン、天井クレーンの過去五年の合格率が張り出されていた。
 悪い年でも、天井クレーンの七十パーセントである。アーク溶接などは常に百パーセントに近い数字だった。驚きと同時に自分は大丈夫か?という不安は拭えなかった。

 技能講習で修了証が貰える資格に関しては大丈夫だが、私にとっての難関は、アーク溶接と移動式クレーン、天井クレーンの三つだった。
 私は受けさせてもらえる資格は、全て合格したかった。

 アーク溶接も、移動式クレーン、天井クレーンも、造船所のベテラン社員の方が、指導してくれた。
 溶接は友愛寮の横に、造船所の新入社員が技能実習を行う実習場があり、私達もそこを借りて練習させてもらっていた。
 私達はほとんどが、初心者みたいなものである。本所の訓練の時に何度か練習したが、練習したとは言えない程度だった。
 そんな私達一人一人に丁寧に、それこそ手取り足取り指導してくれたのが、造船所の方だった。
 造船所の方も、自分の仕事が終わった後で、私達に教えに来てくれるのである。
 罪を犯した私達受刑者に、普通に接してくれて、時には冗談も交えながら教えてくれる、本当に有難い事だった。
 
 実技練習の日、該当者は五時に作業を終えると、風呂には入らず先に夕食を取り、夕食後すぐに実習場に向かい、一時間から二時間集中して練習を行う。その後風呂に入り、寮の予定に戻るので、慌ただしい。
 該当者以外の下期生も、何人かが練習にいってる間、少ない人数で寮内の事をやらなければいけないので、それはそれでハードだった。

 実技の方は練習を重ねていくうちに、なんとかなりそうなレベルまで達していた。造船所の方も大丈夫と言ってくれたので、自信につながっていた
 学科は寮の教室に造船所の方が来てくれて、学校の授業の様に教えてくれた、個々のレベルに合わせて教えてくれたので、私でもなんとかついていけた。
 試験が近づくと、講師の方が来ない日でも、勉強会と称して教室で該当者だけで、勉強する時間が組まれた。そういう時は就寝時間が三十分延びて十時三十分になった。
 そういう臨機応変な所も普通の刑務所とは違う、好待遇だと私は思っていた。

 移動式クレーンは、友愛寮の中庭に五トンクレーンを設置してくれて、溶接の時と同じ様に、造船所の方が来てくれて練習をさせてもらった。本当に恵まれた環境だと思った。
 天井クレーンの時は、工場のクレーンを使わせてもらった。どちらも最初は全く出来なかったが、造船所の方の指導のお陰で、上達するのが自分でも実感できた。
 クレーンの学科が私には、かなりの難関だった。専門用語の単語一つ一つの意味が分からなかったので、最初は全く合格する自信がなかった。
 しかしそれも、造船所の方のお陰でなんとかなりそうなレベルまでになっていた。おそらく高校受験の時よりも勉強しただろう。

 造船所の方々の指導は本当に有難く、造船所の新入社員になら教えがいもあると思うのだが、私達はここを出ていく人間なのに、私達を合格させようと真剣に取り組んでくれていた。そういう姿に感動すら覚えていたのと、出所したらここで働けないだろうか、などとおかしな事を考えるほどだった。当然それは無理なことなのだと分かっていた。

 そういう造船所の方々のお陰で、アーク溶接、移動式クレーン、天井クレーンを全て一回で合格する事が出来た。
 フォークリフト、玉掛、ガス切断の技能講習修了証も貰えた。
 出所するまでの、約二年でこれだけの資格を取得する事が出来た。大井に来ていなければ、何もないまま出所する事になったであろう。それを想像すると、やはり来て良かったと改めて思った。

 大井に来ている人の中には、資格なんてどうでもいいという人もいた。出所後の仕事が決まっている人である。正直羨ましく思えた。
 しかしそういう人でも、試験を受けなければいけない。
 職業訓練が優先の刑務所だからだ、皆それを承知の上でここに来ていた。それが大井に来る条件の一つだからである。
 私のように自分から志願して、それが通って来た人は少ない。
ほとんどの人が、刑務所側から選ばれ、本人の意思を確認のうえで来ているらしい。ほとんどの人が最初から選ばれた人なのだ。だから身元引受人などもしっかりしていて、仕事も決まっている人がいてもおかしくは無い。
 大井に来る最低条件は、身元引受人がいる事である、仮釈放で出所するのだから当然でもある。
 そんな資格はどうでもいいという人でも、真面目に実技練習も学科の勉強も受けていた。受けたくないなどと言って本所に戻されたら出所が延びてしまうからである。
 そんな羨ましい人を横目に、私は必死だった。

 私の両親は既に他界していたので、姉が身元引受人になってくれた。
見捨てられても仕方ないのに、引受人になってくれるだけで有難かった。
 出所してからの迷惑を小さくするには、まずは仕事だと思っていた。
 だから資格を取得出来た事は、私にとってかなり大きなことだった。



拙い文章を読んで頂き、ありがとうございます。
これは十年以上前の私の受刑生活を基に書いていますが
受刑者が特定できそうな事柄等は変えて書いています。


拙い文章ですが、サポートしていただけたら幸いです。