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塀のない刑務所(大井造船作業場)⑩

「クラブ活動]

 私達受刑者の寮への出入り口は、寮に向かって左側にある、非常階段の一階非常口が私達の出入り口になっている。
 建物の中央にある、外階段を上がった二階正面玄関は使わない。掃除する時だけ許される。
 一階出入り口を入ると、マグネットボードが壁に貼られている。そのボードには、寮外、寮内、そして寮内の各部屋が書かれている。
 各自の名前が張られた丸いマグネットを使い、自分が現在、何処にいるかを示すのである。休日に使う事がほとんどだが、例えば図書室に行くのでも、五階からここに降りて来て、マグネットを図書室の所に移動させるのである。
それを忘れるととんでもなく怒られる。職員さんが捜す事にでもなったら、
それはもう事件である。

 帰寮すると、まずマグネットを移動させ、すぐに更衣室で安全靴を履き替える。更衣室の壁には靴箱が並んでいる。安全靴、寮内スリッパ、作業以外で寮の外に出る時の運動靴が、各自のスペースに綺麗に収まっている。
 靴はスペースの真ん中に位置し、数ミリたりともはみ出ていない、逆に奥に入り込んでもいない。靴の踵が外側に綺麗に揃えられている。履き替える一瞬で揃えるのである。
 私達が工場に行っている間に、経理班リーダーや新入訓練班リーダーが、チェックする。居室の寝具の畳み方等も二人がチェックしている。
 ダメな時は、夜どちらかの部屋に呼ばれてガチられる。ただ難癖つけている様に感じる時もあり、ストレスを下期生で発散している様に思える時もあった。

 更衣室の隣が脱衣所、風呂場になっている。下期生は帰寮したらすぐに風呂である。風呂場はかなり広く、湯舟も広い。
 普通の刑務所と違い、毎日お風呂に入れる。湯舟のお湯も経理班が毎日入れ替える。
 毎日お風呂に入れる事は、本当に有難かった。それだけ汚れる作業という事でもあった。
 入浴時間も、普通の刑務所では十五分をタイマーで知らせ、十五分丁度に出なければいけないが、大井は時間など計らない。下期生は、寮内の仕事が山ほどあるので、十五分も入っていないが、会長や各班リーダーはゆっくりである。自分の家のお風呂の様に、くつろいでいる人もいた。

 入浴中は基本的に「ガチり」は無しというルールになっているが、
序列が上の人に名前を呼ばれたり、「オイッ」と呼ばれると、
どこを洗っていようが、素早く立ち上がり「気を付け」の姿勢を取らなければいけない。
裸で、頭や体が泡だらけの、大の大人が、あそこも隠さず「気を付け」で立っている、それだけでも異様な光景である。

 十八時からの夕食まで、寮内の掃除、明日の準備、クラブ活動の準備、該当者は資格試験の実技の練習等もあるので、かなり段取り良く動かないと間に合わない。下期生同士のチームワークも必要なのだが、ストレスを溜め込んだ下期生同士だからこそ、ちょっとした言葉使いで、突然切れる人もいた。
 ある日も、一人が切れて二級生同士が掴み合い、それを止めようとした一級生がいた。当時の自治会長は自治会内で収めて本所に帰らないで済む様にしたかったのだが、切れた方の二級生が自分から職員さんに本所に戻して欲しいと申し出た。
ケンカの事を言わずに、当人だけが戻れば良いものを、そういう人の多くは大袈裟に職員さんに話し、人を巻き込むのである。この時も止めようとした、一級生までもが本所に戻された。
 そういういざこざに巻き込まれる事が、大井の理不尽なルールや意味の無いガチりよりも怖かった。
 この時ケンカを止めようとした一級生は、十日程で大井に帰って来ることが出来た。私はこの時、罪を犯した私が言うのも変だが、きちんとした裁きがあった様に思えてほっとした。

 普通の刑務所では、夕食を済ますと、後はテレビを見ながら九時の消灯時間までのんびりと過ごすが、大井ではまず、居室にテレビは無い、平日にテレビを見る時間は、一日のスケジュールの中に組まれていない。
 十八時からの夕食を済ますと、十八時二十五分から、十八時三十五分まで十分間の静座の時間がある。自分の罪と向き合い、心を落ち着けるのが、目的らしいが、自治委員以上の人は参加しない、時々下期生の監視がてら、後ろの方で見ているだけである。
 静座の時間とは、十分間の黙想である、もちろんピクリとも動いてはいけない。
 その後十八時四十五分から十九時三十分までが黙習時間となる。この時間は、自分の居室の机に座り、席から離れてはいけない。会長含め全員が、席につく。この時間に、家族に手紙を書いたり、日記を書いたり、本を読んだりするのだが、下期生は、提出物や覚え事が多く、中々自分の時間にする事が出来なかった。

 静座の時間や黙習時間は、クラブ活動で中止になる事が多い。
 クラブ活動は、一般の方が講師となって教えに来てくれるので、クラブの方が優先である。
 クラブの種類は十クラブ程あるので、一人で二つか三つのクラブに所属するので、かなり忙しい。
 コーラスクラブだけは、全員参加である。教室にはピアノもあり、一般の方の先生が来て、ピアノの伴奏で皆が歌うというクラブである。
 曲は「千の風になって」や「アメイジンググレイス」などで、先生が作った歌本の中から先生が選ぶ。
 こういう時でも下期生は、大きく元気な声で歌わなければいけない。
 毎回必ず最後に歌うのが「大井場歌」である。本所での訓練の時に、歌詞は覚えさせられて来ているので、新入時でもすぐに歌えなければいけない。メロディーは入寮してから教えてもらえるので、メロディーの間違いは許されるが、歌詞を忘れたり、間違えたりすると、クラブ終了後に、かなりガチられる。

 他に、バンドクラブ、園芸、手話、絵画、書道、詩吟、茶道、等があり、禅宗、キリスト教、真言宗、金光教、等の宗教クラブがある。
 クラブ活動は、月に二回行われるクラブもあれば、月に一回のクラブもある。
 園芸クラブなどは、土曜日や日曜日に、先生が突然来て、畑仕事を始めるので、そんな時は、クラブ員は寮内で何をしてようが、先生と一緒に畑仕事をしなければいけない。
 友愛寮の横に小さな畑があり、キュウリやとまと、ねぎ。イチゴやサツマイモを植えた事もあった。収穫した野菜や果物は食事のメニューに加えられた。
 バンドクラブは、エレキギター、アコースティックギター、ベース、ドラム、キーボード、アンプ、ミキサーまで揃っていた、クラブの時は教室の机を後ろに寄せて、楽器をセッティングし、アンプを通すので大音量である。外部からの先生が楽譜も用意してくれて、演奏するのである。
 ドラムもギターもベースも弾ける人がいるもので、それも皆上手く、かなりレベルの高いバンドになっている事に驚いた。曲はGReeeeN等流行りのJ,POPが多かった。
 全く、普通の刑務所では想像すら出来ないし、話しても誰も信じないだろうと思うクラブであった。
 楽器が出来ない人は歌を歌ったり、ただ見ているだけだが、大音量の中にいると、刑務所にいる事を忘れそうになる時間でもあった。

 クラブではないが、被害者が亡くなった、受刑者の為の時間があった。
被害者を供養する為にお経を唱えていた時間があり、そんな人が私の在所中三人いた。
 三人共交通事故らしかった。皆が交通刑務所に行くわけではないらしい。
 大井には『殺人罪』を犯した人は来ないと聞いた事があった、それは刑期が長いからだと思われるが、交通事故の様に他の罪名で被害者の方を殺めてしまった受刑者はいたのかもしれない。

 それぞれ背負っているものが違い、犯した罪も違うので、自分の罪との向き合い方、償い方も違う。しかし悔いていないのかと思う程、自分の過ちを吹聴する人もいた。そんな話を興味津々で聞く人もいるが、私はそういう人とも、話を合わせながら生活しなければいけない、それがたまらなく嫌でならなかった。

 私は遅まきながら、罪を犯した後で分かった事のひとつに、自分が刑務所に入れば済むという事ではない事、離婚し遠く離れようが、妻と子供達に自分の罪を背負わせてしまっているという事実。
 私が逮捕された事を、警察の人から聞かされた時の妻の気持ちや、ケガを負わせてしまった被害者の事を考えると、償いに終わりは無くずっと続くものだと考えていた。大井の忙しさや異様な世界の中でも、これだけは忘れてはいけないと思っていた。


 拙い文章を読んで頂きありがとうございます。
 この文章は十年以上前の私の受刑生活を基に書いていますが
 私以外の受刑者の事や、季節、月等諸々変えています。























拙い文章ですが、サポートしていただけたら幸いです。