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◆読書日記.《山折哲雄『死の民俗学 日本人の死生観と葬送儀礼』》

※本稿は某SNSに2020年11月3日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。


 山折哲雄『死の民俗学 日本人の死生観と葬送儀礼』読了。

山折哲雄『死の民俗学 日本人の死生観と葬送儀礼』

 これはなかなか面白い論考でした。

 著者は国際日本文化研究センターや国立歴史民俗博物館等の名誉教授を歴任する宗教学者であり評論家。本書はそんな著者による日本の古来からの皇族の葬送儀礼や世界各地の文化事例から日本の死生観を考える一冊です!

◆◆◆

 本書は著者が複数の雑誌に掲載した、日本の死生観に関わる5つの論文をまとめたものである。
 とは言うものの、本書の半分以上は日本の天皇の王位継承方法についてや天皇の祭司としての新嘗祭、大嘗祭の分析、天皇の葬送儀礼などを扱っていて、その点が若干ぼくの興味範囲とズレがあった。

 天皇の葬送儀礼というのはあくまで日本の死生観の特殊事例であって、これを日本的な死生観と共に説明するというのはどうなのだろうか?とも思ったが、全体的には実に優れた論考となっていたと思う。

 特にぼくの趣味にドンピシャだったのは最初の論考「死と民族」であった。

 まず著者は「はじめに」にてイギリスの歴史学者ジョン・マクマナーズ『死と啓蒙』を取り上げて説明している。

 マクマナーズは世界中の葬送儀礼の内、異習/奇習のたぐいの例として、例えば自分の小屋に骸骨をつるしておくブラジルや、先祖の骨を粉にして酒に入れるオリノコ川流域の未開人、死体を切り刻んで陶器の鉢に貯蔵しておくバレアレス諸島の未開人たちと並べて「壺に死者の灰をうやうやしく保存する日本人」の例を紹介しているという。

 つまり、マクマナーズはわれわれ日本人の葬送儀礼を、死体を切り刻んだり骨を粉にしたりする異文化の儀礼と同じレベルの「異習」という観点で見ている……というのがここで分かるのである。

 このような「外からの視点」というのが貴重なのは、われわれが普通だと思って疑わない風習や文化の価値を相対化し、新たな視点をもたらしてくれるという点にある。

 本書によれば、われわれ日本人が遺骨を崇拝する風習について、どうも西洋からは「死者の骨灰フェティシズム」的な感覚をもって見られる事があるようなのだ。

 例えば著者が例に挙げているように、ベトナム戦争時のアメリカでは、戦死者の遺体は例えバラバラになっていたとしても、本国に送り返される前に繋ぎ合わされてできる限り生前の形態を復元した形で遺族の元に送られたという。
 アメリカではあくまで「遺体」に価値があるようだ。日本人の様に遺体を「お骨(骨だけ)」に限定して考えるのは、アメリカ人からしてみれば、奇妙な事なのかもしれない。

 また、著者は昭和を通じて人々が詠んできた和歌を集めた『昭和万葉集』に触れ、われわれ日本人の持っている自然な遺骨崇拝の感覚を再認識している。
『昭和万葉集』全二十巻には戦死者を迎える歌を掲載した箇所が多く設けられているという。

 政治的には「英霊」として、一市民からすれば「故人」として、国家全体で死者の遺骨を迎える事をイコール「死者を迎える」と捉える意識が広く定着している事が分かるという。

 だが、これを奈良時代末期に成立した元祖『万葉集』の内容と比べてみると「原『万葉集』の挽歌には、何よりもまず死者の遺骨にたいする村長や崇拝の観念が全く欠如していた」(本文より)という。

 では日本は何故「骨」に執着するようになったのか?――日本の葬送儀礼を考える上で難しいのは、柳田國男が『先祖の話』でも書いていた通り、わが国では土着的な死生観の上に神道的な死生観、そして外来宗教である仏教やキリスト教等の様々な死生観が上に被さっているという環境がその正体を分かり難くさせているのだ。

 著者の考えの一つとして挙げられているのは、日本は古来からの「死体保存」の考え方から、インドから伝来してきた仏教文化の「死体破壊(=火葬)」の考え方が合わさって現在の火葬を経た遺骨保存の考え方が成り立っているのではないかという点である。

 インドの火葬と日本の火葬の考え方は似て非なるものだ。

 インドは遺体を火葬にしたら残った骨を灰はガンジス川に流してしまう。
 火による浄化と水による浄化の両方の浄化作用によって霊を送り出すという考え方があるようだが、この葬送儀礼には「保存」の観点はない。

 日本の場合はご存知の通り、火葬の後に残った遺骨を大切に壺に納めて保存するという方法をとる。

 日本の遺骨崇拝の元は何なのか? 著者はその一つのヒントとして民俗学者であり考古学者の国分直一の説を取り上げる。

 国分は生者と死者の関係性を示すパターンを三つに分類しているのだそうだが、その内の一つである濃厚栽培的世界に見出される生者と死者との関係性が日本の死生観念の分類に入るのではと言っている。

 それは「死者にたいする関係は恐怖感をともなうけれども、時間の経過とともに親しい関係を回復する。そしてこの親しい関係は、遺骨の処理あるいは管理という第二次的処理を通じて実現されるのであるが、しかしこの遺骨の処理あるいは管理はかならずしも永久的なものではなく、ある時期に停止される場合がある」というものだ。

 これは日本だけの特色ではなく華南地方を含めた東南アジアに対応しているのだという。

 平安時代の貴族などは死体に対して「穢れ」という考え方を持っていたようだ。
 生者とは明らかに違う異臭を放ち、時間と共に目まぐるしくその形を変化させる「ウェットな死者」に対する恐れの感覚である。

 形而下的な死者には二段階の違いが見られる。
 平安貴族の恐れた「ウェットな死者」である腐敗する肉であり、その先に待っている、もう形態変化を終わらせてこれ以上変化せず、臭いも消えて硬質な個体となった「ドライな死者」である「骨」だ。

 著者はこれを踏まえて人の死後の時空間を三つの位相があると説明する。

 まず「霊」のみが意味があると考える時空間、そして「霊と肉」の相対的な認識が見られる時空間、更に「霊と肉と骨」の三元構造といった意識が現れる時空間。

 特に死体がすぐに猛烈な異臭を放って腐敗し始める東南アジアの死生観としては、腐敗したウェットな死者に対して恐れや忌避する感覚があるのかもしれない。
 だから、東南アジアにて「死者保存」の考え方に立てば「骨」という位相が現れるのは当然の事だったのかもしれない。

 更に著者は柳田國男が沖縄の「洗骨」の習慣を紹介している所に目を付ける。
「洗骨」というのは死者を埋葬、もしくは曝葬した後、一定期間したら遺骨を取り出して洗い清める風習を言うのだそうだ。

「洗骨」の考え方というのは、上述したような死者の遺体に「二段階ある」という捉え方が元になっているようだ。
 一度埋葬した死者に再度葬送的な儀礼を施す「改葬」である。

 わが国にも古来からの改葬の考え方は存在していた。それが「殯(もがり)」である。
 殯というのは、弥生時代の後期から古墳時代前期までかけてその形を整えてきた葬送儀礼の形式だそうで、それは死んだとされる遺体を一定期間そのまま安置し、その後に埋葬するという方法だったという。
 一説によればこの殯は現代でも「通夜」がその名残として残っているのではないかとも言われている。

 この殯は当初は政治的首長等を葬送する場合に用いられたそうだが、それが後々その他の階級にも広まっていったと言われている。

 殯の期間は様々だそうなのだが、例えば古くは天皇の場合だと敏達天皇の場合は六年と八カ月、天武天皇の場合は二年二ヶ月という長い期間、遺体がそのまま安置されていたと言われている。
 つまりは「白骨化」されるまで、遺体は安置されていたのだ。

「殯」のような改葬が行われた目的には、死者の魂を呼び戻す招魂儀礼という説(折口信夫説)や死者霊の浮遊を抑えて鎮魂するためという説(五来重説)等があるそうだが、その一つには「白骨化させる」というのもあったのではないか、というのだ。

 だが、白骨化させる殯にはかなり長い期間が必要となる。

 殯期間が長いと都合の悪い立場の人がいる。天皇などの王侯貴族である。
 人間が息を引き取り、埋葬されるまでに二段階の長い期間が必要となると、例えば亡くなった先帝から王位を新帝に引き継ぐ際に、長い間「空位」が開いてしまう事となる。

天皇の殯期間は元明天皇の時代から短縮されたというが、それは天皇空位の期間を開けないようにという意図があったのではないか。

 王位継承はできる限り間の期間がないのが理想である。
 そこで殯期間を短縮し速やかに遺骸を「白骨化」させる方法として焦点があてられたのが、インドから伝わってきた「火葬」という文化ではなかったのか。

……このように、本書では「なぜ日本は遺骨崇拝の死生観を得るようになったのか?」という謎に対して、日本古来の「殯」の儀礼から仏教伝来による火葬の定着という流れについて非常に説得力の高い仮説を提示して優れている。

 これらは著者得意の宗教学ではなく、折口信夫や柳田國男といった民俗学の学説を足掛かりに広く文献を渉猟しながら説明していて実に鮮やかな論法である。

 本書はこの「死と民族」の論文から天皇の葬送儀礼の考察、そして王位継承問題からチベット仏教のラマ十四世の転生劇へと論を進めていく事となる。……と言う事でここで図らずともチベット仏教の死生観がテーマとして挙げられた。

 なので、ここのまま以前より積読状態となっていた、おおえまさのり訳著『チベット死者の書』そして中沢新一『三万年の死の教え チベット「死者の書」の世界』を読む方向に進んで、更にアジア圏、仏教圏の死生観を深掘りしてみるのもいいかとも思った。


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