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◆レビュー.《映画『サイダー・ハウス・ルール』》

※本稿は某SNSに2019年7月5日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。

 ラッセ・ハルストレム監督の映画『サイダー・ハウス・ルール』見ましたよ♪

『サイダー・ハウス・ルール』

 いやー、泣いた泣いた。最近、涙腺が緩くなってるなあ。
 本作は1999年製作のアメリカ映画で、翌年のアカデミー賞受賞作でもある。
 原作は『ガープの世界』等の作家ジョン・アーヴィングの同名の小説。アーヴィングは本作の脚本も務めている。
 原作小説は本作よりももっと物語が長く、本作の脚本も手掛けた原作者のジョン・アーヴィングは原作を切り刻むことに悩んだそうだ。だが、その苦労のかいあってか、本作はいろいろと情報が整理されているようで、テーマなんかも観客に伝わり易くなったのではないかと思わせる分かり易さがある。


<あらすじ>

 本作の舞台は二次大戦末期の1943年のアメリカ。

 ニューイングランドの孤児院で育った青年・ホーマーと、その彼に産婦人科としての医療知識や経験を教え、手ほどきしてまるで父親のようにホーマーを育ててきた孤児院の医師・ラーチとの物語。

 この時期のアメリカは堕胎が法律によって禁止されていたため、望まぬ妊娠をしてしまった女性はラーチ医師の所に駆け込んで出産し、その子を孤児院に預けてしまうか、妊娠初期の場合は堕胎手術を施してもらっていた。

 ラーチ医師は違法と知りながらも、彼女らの堕胎手術を請け負い、孤児も引き受けていた。
 また、この孤児院には子のない夫婦が孤児を引き取る相談もしに訪れていた。

 孤児のホーマーは二度、引き取り手があったが、二度とも引き取り先から「返却」され、とうとうずっと孤児院から外に出ずに育ってしまった青年だった。

 そんなある日、中絶のために孤児院を訪れた同年代のカップルに、ホーマーは相談を持ち掛ける。
 「車に乗せて行ってくれないか?」

 ホーマーは、孤児院以外の世間を見たかったのだ。彼は快諾してくれた。
 ホーマーはラーチ医師や一緒に育ってきた孤児たちに別れを告げ、車に乗って外の世界へ旅立っていく事となる。……というお話。

<感想>

 いやー、いい話だった。本作は、平たく言ってしまえば孤児院で育った青年・ホーマーの人生の一部を切り取って見せているだけのお話だ。

 普通の人の人生というものには「一貫した意味の流れ」というものはない。
 だから、こういった人の人生を見せるタイプのお話は、ストーリーラインが構築的すぎても嘘っぽくなってしまう。

 基本的には「人生」というヤツは、他人から見ると退屈極まりない散文的なエピソードや無駄なエピソードの集合体でしかないのだが、それをこういうタイプの物語やドキュメンタリー映画なんかは製作者の「演出」によって、様々な逸話をある一つのテーマにまとめることで、物語らしきものにしているのだ。

 本作は、ある程度のまとまりが出来ているのだが、それを嘘っぽく見せないだけのリアリティを作り出せている所が、まず技巧的に「上手い映画」だと評価できるだろう。

 普通の人の人生の大半は「便所行って仕事して、飯食って風呂入ってから寝る」というエピソードを延々と繰り返しているだけではないだろうか。
 まあ例えば、ある人の人生の中で便所に行って用を足している場面だけを永遠と集めて上映することで「彼の人生の大半は便所で用を足していた」と言っても、偏ってはいるが「嘘」までとはいかない「演出」となる。
 だから、本作のような人生ドラマを撮る際に重要なのは、片っ端から全てをダーッと見せるのではなく、その人の人生の中からどんな意味のある逸話を集め、どれを切り捨て、どれに焦点を当てて、そうする事によって何を伝えるのか、という事がポイントになって来る。

 本作に出て来るテーマはいくつもあるのだが、目立ったひとつは本作の題名ともなっている『サイダー・ハウス・ルール』だろう。

 「サイダー・ハウス」というのは、主人公のホーマーが外の世界に出て最初に就いたリンゴ園の収穫人の仕事で、宿舎として使われていた小屋のこと。
 この小屋の壁には、宿舎に泊まっている人間に向けた生活ルールが貼られているのだが、収穫人の中で文字が読める人間がひとりもいなかったので、全くルールとして意味をなしていなかった。 ホーマーはこれを先輩の収穫人たちに読み聞かせる。その内容は、全く余計なお世話で何の役にも立たないルールだった。
 収穫人の一人は言う。
 そのルールを作った奴はここで生活した事のない奴だ。この宿舎の事情も知らない奴に見当外れのルールを勝手に押し付けられたくはない、と。

 『サイダー・ハウス・ルール』とはそういう「当人の事情も知らない連中が勝手に決めた、当人らにとっては迷惑にしかならない、役に立たないルール」の事だ。

 世の中にはそういう迷惑なルールというのがいっぱいあるわけだ。
 その一つが、当時のアメリカにあった堕胎を禁止する法律だったのだ、と本作では主張しているのだろう。

 そういう法律があったからこそ、当時の女性はこっそりと堕胎手術を受けるためにラーチ医師のような医者を探さなければならない。

 医者が見つからずに下手に知識のない者に任せた例が、本作に出て来る。
 子宮をカギ針で滅茶苦茶に傷つけられた12歳の妊婦。

 たとえ無事堕胎できた女性でも、手術後しばらくは出血も痛みも続く。

「生みたくなけりゃ、ちゃっちゃと堕胎できる」と思い込んでいる男連中に是非見せたいシーンが、本作には幾つも出て来る。

 子供を産んだとしても、望まない子ならばその孤児院に置いていってしまう。
 孤児たちは勝手な大人たちに運命を弄ばれた孤独な子供たちなのだ。

 ラーチ医師はアメリカに存在していたいくつもの『サイダー・ハウス・ルール』に反抗して、違法の堕胎手術を行い、望まれない子を引き取り、孤児たちの父親となったのだ。

 そして、ラーチ医師は、自分の後継者として手塩にかけて育ててきた青年・ホーマーのために、彼に内緒である大きな「ルール」を破っていたのである。
 本編のラストでその事を明かされたホーマーは何を思っただろうか? ラーチ医師のこの温かい「秘密」のおかげで、この映画の後味はとてもいいものになっている。

◆◆◆

 因みに本作はDVDの吹替え版で見たんですが、ラーチ医師役の中村正さんの演技が実にいい。『ナイトライダー』や『マクガイバー』なんかの吹き替えにも出ていた方なので、ぼく個人としては懐かしさも相まってとても感動しました。
 本作はキャストのそれぞれの演技も良かったし、音楽も素晴らしかったです♪


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