見出し画像

◆レビュー.《沖田修一監督の映画『南極料理人』》

※本稿は某SNSに2021年10月5日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。


 沖田修一監督の映画『南極料理人』見ましたよ♪

『南極料理人』

 2009年、新藤兼人賞金賞、藤本賞新人賞を受賞したというので評判は悪くないみたい。
 南極観測隊メンバーだった西村淳のエッセイ『面白南極料理人』を原作としたコメディ映画だそうだ。


<あらすじ>

 舞台は1997年、南極大陸のドームふじ基地。

 海上保安庁の巡視船厨房担当だった西村淳は、突如として第38次南極地域観測隊の調理担当のメンバーとして指名されて、いま南極に派遣されていた。

 ドームふじ基地は他の基地から距離が離れており、標高三千メートル、年間平均気温マイナス54度という極寒の地。

 ここはペンギンやアザラシといった動物も生息できず、ウイルスさえも存在できない極限地帯でもあった。

 この地で共に1年以上の時を共にする隊員8名分の食事を用意し、備蓄食料をやりくりするのが西村の役目だった。

 水は氷を溶かしてフィルターを通さなければ飲み水とならないし、食料は基本冷凍食品だった。

 日本に置いてきた家族に電話しようとも、電話は1分740円もかかるために砂時計で時間を図りながらかけなければならない。

 テレビは画像が乱れるし、トイレは扉が小さくて外から丸見え。節水が基本なのでシャワーも使用時間をはかりながら出なければ利用できない。

 隊員らのストレスを和らげるためには、西村の作る毎日の食事は重要だったのだ。

 マンガを読みふける車両担当、夜食のラーメンを食べつくす隊長、日本に残した彼女と毎晩話していたのにフラレてしまい、代わりに衛星電話のオペレーターの女の子に惚れてしまう雪氷観測担当、夜は医務室でバーを開き隊員にカクテルを振舞う医療担当。

 ……そんな個性的な隊員たちとこの地で長い長い越冬をしなければならない。

 それなのに、この基地では閉鎖空間のストレスでおかしくなった隊員たちがしばしばヘンテコなトラブルを巻き起こすのだった……というお話。


<感想>

 非常に特殊な空間で巻き起こる笑うに笑えない、でもクスッと笑ってしまうドタバタコメディ。面白かった。

 ただ、やはり多少なりとも戯画化されている部分はあるだろうと思われる。
 と、しなければかなり深刻なんじゃないかと思わせられるような環境だからだ(『遊星からの物体X』みたいになってしまうだろうw)。

 エッセイが原作という事もあるのだろう、ストーリーはあって無きが如くである。

 南極地域観測隊の基地という特殊な閉鎖環境が巻き起こす独特の日常が、一風変わった喜劇になってしまう。

 ぼくは花輪和一が刑務所の中に入っていた時のエピソードを漫画化した『刑務所の中』を思い浮かべた。あれも本作と同じように、われわれの日常とは隔絶された閉鎖環境であった。
 ああいった特殊な閉鎖環境だからこそ、そこにはわれわれの日常とはまた違った常識が流れている。同じ日本人のコミュニティであるはずなのに、そこでは微妙に違った「文化」や「常識」に支配されている。その異質性が、面白いのである。
 大人の男性たちが閉鎖空間で長い期間、集団生活しなければならないという環境は、われわれの環境からしてみれば明らかに異質だ。
 われわれが暮らしている日本の「日常」とは違った、閉鎖された「日常」の環境を描いた作品という所が両者に共通している点なのである。

 大人の男性たちばかりが集団生活をしていると、何故だか子供じみたバカっぽい性格になってしまうのかもしれない。
 これは本作だけでなく、先に挙げた『刑務所の中』でも共通して見られる特徴であった。

 些細な事にこだわって駄々をこねたり(ラーメンの備蓄が底をついてしまい「夜食のラーメンがないと寝れないんだよぅ」と泣き出してしまう隊長などその最たるものだろう)、ストレス解消に隠れてシャワーをガンガン使っていたために基地が水不足になってしまい、激怒した隊員と取っ組み合いになったり。
 本人たちは真剣なのだろうが、われわれからしてみれば何ともバカバカしい些細な問題で大の大人が泣いたり怒ったり大騒ぎするわけである。

 なぜこのような些細な事でトラブルが起きるかと言えば、ほとんどがこの過酷な環境下での状況が関わっているのであるが、我々はそれを我々の身近な日常と比較して見てしまう。

 だからこそそんな些細な事であーだこーだと言いあう大人たちや、自分のプライヴェートというものを確立させた大人たちが、自分の個性的なライフスタイルを固持しながらも、それを他人らと共有しなければならない事から発生する軋轢やすれ違いが「ヘンな事」だと見えてしまう。

 そういった当人たちからすれば笑うに笑えない個人のライフスタイルと個人のライフスタイルとの間に起こる些細な摩擦が本作の様に大問題にまでなってしまうので、我々にはそれが大袈裟に見え、思わず笑ってしまうのかもしれない。

 赤の他人とプライヴェーとを共有しなけれならないというのは、きっとそれだけ大変な事なのだ。
 軍隊や刑務所の中では本作に出てきたような些細な事で大きなトラブルにまで発展するなどという事は起こらないのかもしれない。それは、そこに属する人たちのライフスタイルをある程度組織が強制し、コントロールできるからなのだろう。

 だが、南極観測隊の中の生活は、そうはいかない。
 南極観測隊は厳しい規律を強要されなければならないような身分ではない。だから、自分の日常生活に関する些細な主張や文句を、我慢するいわれはないのである。だから、軍隊や刑務所の中とはまた違った大騒ぎが発生するのであろう。

 間違いなくこれは、我々と何ら変わりのない現代に生きる日本人なのであるが、環境がこれだけ違えば、日常も、その常識も、これだけ違ってしまう。
 そういった「日常の異化作用」が、この作品の面白さの一つなのだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?