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◆読書日記.《向井一太郎、向井周太郎『ふすま』》

※本稿は某SNSに2019年2月15日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。

 向井一太郎、向井周太朗『ふすま』読了。

向井一太郎、向井周太朗『ふすま』

 襖などを作る表具師・経師の家の生まれという経歴を持つ工業デザイナーであり武蔵野美術大学教授の向井周太郎による「襖についての日本文化論」と、彼の父であり表具師・経師である一太郎の父子による対談「ふすまという技と意匠」の二編を収録する「ふすま論」。

 向井周太朗のふすま論については、学術的なものでもなければ技術論でもない。けっこう文学的な文化論だ。
「文学的」だと思うのは、この論考が論理によって組み立てられているのではなく、文字の成り立ちやイメージによって自由に様々な日本的な思想を結び付けていくアナロジックな論考になっているからだ。

 本書では「襖絵」については、さほど詳しく取り上げられていない。

 著者も言っているが、「襖絵」について書かれている書籍は結構あるが、「襖」そのものに焦点をあてた書物はなかなか見つからない、というのが本書を書く動機のひとつとしてあったそうだ。

 そのため本書は襖そのものについて論じている。

 日本建築というのは、ほとんど「壁」のない建築として有名だ。

 板戸や障子や襖などを取り払ってしまえば、日本建築はほとんど床と柱と屋根だけのスカスカな建物になってしまう。
 これに、様々な間仕切りを立てていくことで、日本建築の「空間」が出来上がる。つまり、日本建築の壁は自由に動くのである。

「ふすま」を四方に立てて寝る区画を作れば、その空間が「臥す間(=寝室)」になる。だから、「ふすま」なのだ。

 襖はもともと「衾障子」とも言い「光を通さない障子」であり「光を反射する障子」でもある。
 それに対して障子は「外からの風を防ぎながらも光を屋内へ通す」という役割がある。

 そういう襖や障子の役割を上手く生かして外の光を入れたり反射させたり遮断したりして、屋内の光の調節を行う。

 その他、用途によって板戸や御簾、蚊帳、経帳、屏風など様々なパーティションを使い分ける事によって、日本建築は外光や室温や湿気などを調節してきたのである。

 日本の気温は朝、昼、夜、と気温差が大きく、平気で十数度違ってきたりする。
 それに、四季によって気候は違うし、雨はだいたい風を伴って横殴りだし、台風や地震もわりとしばしば襲ってくる。
 こういう自然の変化に大昔から対応しなければならなかったために日本建築はこれほどフレキシブルな順応性を持ったのだ。

 日本建築はよく「紙と竹で出来た家」と揶揄いぎみのニュアンスで説明される事もあるが、上述したように、非常に柔軟性に富んでいて、時と場合によってフレキシブルに変化する特徴がある点、西洋建築と全く違う考え方を持っているのだ。

 西洋建築はほとんど「自然の脅威をシャットアウトする」という考え方を持っている為、家を頑丈に作り、部屋を完全に囲む。
 家の中は日本建築の空間とは考え方が全く違っていて、非常に固定的なのだ。日本建築では自由に動かせる「壁」が、西洋では固定的で動かす事ができない。
 西洋は「個」を大事にするから、その部屋の主人以外の人間をシャットアウトする「個室」という考え方ができる。
 また、寝る場所を作りたければ「寝室」というスペースを確保して、そこを壁で囲む。壁で囲んだ部屋はもう「寝室」以外の何物でもなく、他の目的のスペースとして変化されることはない。同じように、食堂は食堂以外の機能を持つことはなく、リビングはリビング以外の用途で使うことはなく、ずっとリビングのままである。

 伝統的な西洋建築の考え方が硬く固定的な「自然の驚異から身を守るシェルター」という考えを持っているのに対して、伝統的な日本建築は柔らかく動的に「自然に順応する」という考え方が強いので、自然の力に強くは抵抗しないのだ。
 ある時は壁を取り去って外気や風や光を取り込み、ある時は壁で囲って塞ぎ、部屋の環境をその時々に合わせて変化させていた
 外からの力を分散させ、変化し、取り込み、自然と共存していくのが日本建築の特徴なのだと言えるだろう。


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