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アメリカンチェリーを食べて泣いた話

アメリカンチェリーを食べて泣いた。

なんてことはない。昔のことを思い出したから。
小さな小さな頃のことを思い出したから。

あの日、いつものようにスーパーでの買い物について行った私は、青空市場で堂々と佇むアメリカンチェリーを見つけた。

「さくらんぼだ!!!」

そう思った私は母に、あのさくらんぼが食べたいとお願いした。母はあっさりと「いいよ」と言った。ただし「荷物になるから帰りにね」と。
私はワクワクして、スーパーでもルンルン気分で「さくらんぼが食べられる!」と思いながら、その日の買い物を終えた。そしていざ青空市場へ向かうとそこにはお店がなかった。

なんてことはない。そういう市場というのは決まって閉店時間が早いものだ。でもそのことを私も母も知らなかった。

私はとても不貞腐れた。珍しく、ぐちぐちと後から後から恨み言が出た。母は閉まるなんて知らなかったの、ごめんね、と言っていた。

その日は機嫌の悪かった私も、翌日にはケロリとしていた。怒りなんて、そう長く続くものではない。ましてや小さな子供の怒りなんて。それでも母は忘れていなかったのだろう。

数日後、お茶を飲もうと冷蔵庫を開けると、そこではアメリカンチェリーがキラキラと輝いていた。私は目を丸くして、「さくらんぼ!食べていいの?」と聞いた。母は微笑んでいた。

ただ、それだけの記憶。最近まで「食べ物の恨みは怖いよなぁ」と笑っていた記憶。

それがアメリカンチェリーを食べたときに、突然、鮮明に蘇り、涙まで出るなんて。愛されていたことを急に実感してしまった。不幸になりたがりの私だけど、ちゃんと愛されていたよ。尊い記憶だ。母は忘れているかもしれないけれど。

私は来年もアメリカンチェリーで涙を零す。

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