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はや蝉頃となりしか

私も皆さんも多くの小説や詩を読んできたのではないだろうか

今の少し大人びた小学生や中学生は何度も小説や詩を読まされる意味がどこにあるのだろうかと考えているのではなかろうか

私は記憶力がいいほうではないが、それでもときどき思いだすフレーズがある。それは、

「月日は百代の過客にしてゆきこう年もまた旅人なり」と「隴西の李徴は博学才穎」と「はや蝉頃となりしか」

である。これは全部古文調でリズムが大変よく感じられるから己の奥深くに残っていて、たまに顔を出すのだろう。

理屈はわからないが、リズムが美しいことは確かなのだ。

なぜ学ばなければならないだのと理屈をこねてないで、美しいものを美しいと自分なりに思えるよう、先人たちの美的価値観を拝借すればよいのではなかろうか

小中学生用に書いているくせに、変に難しい言葉遣いをするというのは非常に理にかなっていないが、そういう気分だから仕方ないのか

最後に一言

自分が知識を得ることによって得られる快楽は二つあると考える

一つは知識をひけらかしてマウントをとることである

まあそれは共通の知識を持っていることを確認することには及ばないのだけれど

まあつまり、競技クイズの最高の愉しみは一人だけ正解して優越感を得ることではなく、自分がなんとか正解した問題をなんとか正解している仲間がいることである。ってこと

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