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手と手と手

 かたや馬鹿は私だなんてよくある話で笑えなくて、かたや気づいたのが遅かったなんてよくある話で笑っちゃって。

 クリープの「手と手」と「手」の対比に心くすぐられる今日この頃。ここ一週間、家に帰ったら部屋の電気の次につけるのが音楽プレイヤー。この2曲のループの中に入り浸っている。

 最初は特になんの心配もなくなんとかなると思っていたけど、気持ちが距離を越えることは想像以上に難しくて。僕は恋愛初心者だし、いきなり遠距離恋愛なんて高度なことをするもんじゃなかったのかもしれない。それでも、なかなかあんないい人に出会えることはないだろうし、複雑な気持ちを一生抱えて生きていくのも辛かったから、こういう形を選ぶしかなかった。最後に会ったのはゴールデンウィークで、おそらく次に会うのは夏休み。それまでの3ヶ月はあまりに長くて、涙が出る。
 

 僕は大概感情が表に出づらいタイプだった。あまり涙のない人生を送ってきた。泣いたことといえば、野球の大会で負けたときか、親族の葬式くらい。映画や音楽、小説などで泣く人の気持ちが理解できなかったよ。
 
 最近はだいぶ感受性が豊かになってきて、というよりなりすぎて、観る映画聞く曲を自分の境遇に当てはめて、切なくなって一人で泣くなんてことがザラにある。ああ、みんなこういう感じで泣くんだなー。なんて思ったり。ほんと馬鹿はあたしだよな。

 特に自分は被害妄想が激しいタイプらしい。普通に心配症で気が狂いそうでもある。ちょっと連絡のスパンが空くと、なんか空虚な気持ちになって、俺なんかしたっけ…嫌われたかな.....ってしょうもない自問自答を繰り返してる。いわゆるメンヘラなのかもしれない。そんな自分が本当に情けなくて、次に会うときには人間として成長して会うと決めてるのに、ますます余裕のないゴミ人間になってる気がして、恥ずかしくなる。

 でも、彼女には彼女の人生があるから、それを大切にして欲しくて。僕は相手の人生に干渉する責任はないから、彼女にやりたいことができたなら、それを応援するし、助けてあげたい。
 
 でもそれも距離があるからなかなか難しいことで、あの人が何かに苦しんでいても、手を差し伸べることができない。その度に僕はなんのために生きてるんだと考える。

 重いっていう人もいるかもしれないし、実際自分の愛は重いんだと思う。だから、負担になりすぎないような上手な接し方がわからない。

 馬鹿みたいな低反発の夜を抱きしめながら 枕じゃなくて真っ暗だなとか呟いてみる。そんな毎日。

以上、しょうもない自分語りでした

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