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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/「12」球団初戦先発投手から続く投手 時々 打者の系譜】

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(写真 左から、17代・復活かける石川歩、初代・球団初戦先発榎原好、3代・準エースとして支えた坂井勝二、上)4代・初のパ・セ両リーグ首位打者江藤慎一、下)10代・唯一捕手12番袴田英利)


(14)「12」球団初戦先発投手から続く投手 時々 打者の系譜

 背番号12の系譜を振り返ると、球団創設初戦先発の初代・榎原好から中西勝己、酒井勝二、晩年だったが城之内邦雄、そしてマリーンズでは藤田宗一、川崎雄介、石川歩と主軸投手につながる系譜だが、オリオンズ時代は首位打者・江藤慎一、袴田英利と打者も結果を出し引き継いでいる面白い系譜だ。

----- 現在の背番号「12」 空番 -----

 2004(R6)年、前年まで背番号12を継いでいた石川歩が育成契約となり背番号を122に変更した。そして、2024年背番号12は空番となる。支配下登録され、シーズン中に背番号12がマウンドに帰って来ると信じて待ちたい。
 そんな思いを込め、石川歩を背番号12のトップに掲出した。

 ★《17代》2014(H26)年~2023(R5)年・10年 石川 歩 投手(在籍11年目)

 【石川 歩 背番号変遷】12(10) ⇒ 122(1)
 2013(H25)年のドラフト1位で社会人・東京ガスから入団した石川歩が背番号12を引き継いだ。
 1年目の14(H26)年、オープン戦の好投が認められ開幕一軍をつかみ、開幕3戦目3月30日のソフトバンクホークス戦(ヤフオクドーム)に初登板初先発した。この試合で勝敗はつかなかったものの、次先発の4月6日の日本ハム戦でプロ初勝利を初完投で飾った。8月にケガで一時離脱したものの、ローテーションを守り安定したピッチングを見せた。最終的に25試合に先発し10勝8敗、規定投球回に到達して防御率は3.43でリーグ8位に入り、新人王を獲得した。
 翌年以降も先発ローテ―ションを守る。15(H27)年は27試合に先発。防御率は3.27でリーグ6位に入り12勝を挙げた。その一方、打線との相性が悪く、リーグ1位となる12敗を喫した。翌16(H28)年はシーズン通して安定したピッチングを見せ、防御率2.16で最優秀防御率を獲得。また、打線との相性が良く14勝5敗と勝ち越した。
 17(H29)年は3月に第4回WBCに日本代表として出場。4月4日の本拠地開幕戦日本ハム戦にシーズン初登板初先発するも黒星を喫するスタートとなった。このシーズンはプロ入り後初めて不調に陥る。早い回でマウンドを降りる試合も多く、最終的に3勝11敗、防御率は5.09とプロ入り以来最低の数字となった。翌18(H30)年は21試合に先発し9勝8敗、防御率3.92と持ち直した。
 19(R1)年は自身初の開幕投手に指名されるも、直後に腰痛で抹消。10日後に復帰するも白星に恵まれない。その後初勝利を挙げ3連勝したが、今度は右ヒジに違和感を感じ再び抹消される。7月の復帰後には自身初めてリリーフに回る。その後は先発に復帰して好投、復帰後は5勝0敗だった。最終的にこのシーズンは17試合に先発、10試合にリリーフ、8勝5敗、自身初となる5ホールドを記録した。
 20(R2)年は再び先発に専念。4年ぶりに規定投球回に到達し、防御率4.25でリーグ8位、7勝6敗だった。21(R3)年じゃ下半身の不調から開幕に出遅れる。5月には右肘関節クリーニング手術のために抹消され、復帰は9月までずれ込み、このシーズンは12先発で6勝3敗に終わった。22(R4)年は自身3度目の開幕先発。初めて開幕戦勝利投手となる。6月に腰痛で抹消されるも7月に復帰。9月には上半身の違和感で抹消されシーズンを終えた。20先発7勝7敗、防御率2.93だった。
 そして23(R5)年は開幕投手に指名されたものの、右肩の違和感で回避。8月に二軍で復帰も一軍復帰はならず、自身初めて一軍登板なしに終わる。オフにはメスを入れ、育成選手として再契約した。背番号は122に変更された。
 <192試合、76勝65敗、防3.48、0S、5H、182先発、6完封、758奪三振>

 ※在籍時に獲得したタイトル
  ◆最優秀防御率(2016年)
 ※在籍時に選出された表彰
  ◆新人王(2014年)
  ◆月間MVP/2度(2015年9月、20年8月/ともに投手)
  ◆最優秀バッテリー賞(2016年 捕手/田村龍弘)
 ※在籍時に達成した主な記録
  ◆入団から3年連続二桁勝利(2014年~2016年)球団史上初
  ◆1イニング11被安打(2018年7月31日)NPB初
  ◇1000投球回(2021年4月27日、史上358人目)

----- オリオンズ&マリーンズ「12」の系譜 -----

 ★《初代》1950(S25)年~1955(S30)年・6年 榎原 好 投手(在籍6年)

 【榎原 好 背番号変遷】12(6)
 国民リーグ・熊谷に所属し、リーグ解散後に所属した社会人・篠崎倉庫から球団創設時に入団した榎原好が、初代背番号12を着けた。
 1950(S25)年3月11日に行われた西鉄戦(西宮)が球団創設第1戦。開幕マウンドに上がったのが榎原だった。打線の援護も得て、プロ初登板が開幕戦で球団、自身も初勝利、9回に1点を失い完封は逃したものの初完投で飾った。開幕カード初先発初勝利は2012年に藤岡貴裕が達成するまで球団唯一の記録だったが、開幕戦に限ると現在でも球団唯一の記録である(藤岡は3戦目)。
 そして、球団創設3連勝で迎えた4戦目は3月16日の阪急戦(大須)。点の取り合いとなり5回から中3日でマウンドへ。しかし、逆転を許して球団初敗戦となり、球団初黒星の記録も榎原となった。以降もローテーションを守り、1年目は防御率3.67(リーグ16位)16勝7敗で初代パ・リーグ制覇に貢献も、日本シリーズでは出番がなかった。
 翌51(S26)年は前年終盤から上がらない状態を引きずり4.36、6勝7敗。52(S27)年は防御率は2.63と持ち直したものの8勝5敗と今一つの結果が続いた。それでも翌年から持ち直し、53(S28)年は163回を投げて2.82で13勝8敗、54(S29)年は185.1回を投げて2.56で11勝7敗を記録した。しかし、当時の規定投球回は210回だったため、リーグ投手記録には入らなかった。
 55(S30)年はシーズン通して状態が上がらず、3.31で4勝5敗、投球回も98回だった。オフには近鉄に移籍した。
 投手<183試合、58勝39敗、防3.20、123先発、11完封、511奪三振>
 打撃<185試合、打率.173、294打数51安打、1本塁打、19打点、0盗塁>

 ※在籍時に達成した記録
  ◆開幕戦でプロ初先発で初勝利、初完投(1950年3月11日)球団唯一の記録

 ★《2代》1956(S31)年~1958(S33)年・3年 中西 勝己(なかにし かつみ) 投手(在籍10年)

  1935(S10)年4月6日生(入団時21歳)、右投右打
  大阪・市岡高‐関西大学(中退)‐毎日(56~65)

 【中西 勝己 背番号変遷】12(3) ⇒ 17(7)
 1956(S31)年に関西大学を中退し入団した中西勝己が背番号12を継いだ。
 ルーキーイヤーから一軍で抜擢される。56(S31)年は3月25日の開幕5戦目の高橋戦(川崎)に初先発(2戦目にリリーフ登板しているため初登板ではない)。いきなり1安打完封で初勝利を挙げる。その後もローテーション入りし先発を務めながらリリーフにも回る。夏場に負けが続いた時期もあったが、最終的に8勝11敗と負け越したものの40試合(27先発)に登板し、防御率は2.09と好投。完封はリーグトップの5試合だった。
 翌57(S32)年は一転して勝ち星に恵まれる。29試合に先発して13勝4敗、183.2回を投げ、規定投球回(規定は200回)に到達しなかったが、防御率は1.91と2点を切った。3年目の58(S33)年は17試合に先発したが、リリーフに回る試合が多くなる。状態も今一つで、5勝10敗、防御率は3.53と数字を落とした。オフに背番号を12から17に変更した。

 ◆投手成績<307試合、72勝70敗、防2.82、183先発、14完封、670奪三振>
 ◆打撃成績<314試合、打率.113、379打数43安打、0本塁打、8打点、1盗塁>
 ◇初登板、初先発。初勝利、初完投、初完封<1856(S31)年3月25日・高橋3回戦/L(川崎)先発9回0失)

 ★《3代》1959(S34)年~1969(S44)年・11年 坂井 勝二(さかい かつじ) 投手(在籍11年)

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