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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/「6」落合が生んだ打線主軸の系譜】

割引あり

(写真 左から 初代・河内卓司、9代・落合博満、11代・初芝清、12代・井口資仁)


(6)「6」落合が生んだ打線主軸の系譜

 オリオンズ時代の背番号6は、球団創設年の河内卓司以来、佐々木信也、荒川博、千田啓介と職人肌の堅守の系譜だった。その系譜を一変させたのが落合博満だった。3度の三冠王を獲得した強打者が背負って以降、上川誠二を挟み、初芝清、井口資仁と打線の主軸の顔に変えた。

 ----- 現在の背番号「6」 空番 -----

 井口資仁監督退任後、2023(R5)年~2024(R6)年の2年間、空番となっている。

 ----- オリオンズ&マリーンズ「6」の系譜 -----

 ★《初代》1950(S25)年~1953(S28)年・4年 河内 卓司(こうち たくじ) 内野手(在籍4年)

  1920(T9)年4月26日生(入団時29歳)、右投右打
  広島・広島第一中‐慶應義塾大‐大洋漁業‐毎日(50~53)‐高橋(54~56)

 【河内 卓司 背番号変遷】6(4)

 六大学・慶應義塾大学で遊撃手として活躍し、社会人・大洋漁業から30歳でのプロ入りとなった河内卓司が初代の6を背負った。
 球団創設第1戦で7番・遊撃でスタメン出場し、2安打1打点で初安打初安打を記録。2戦目からは1番に入り3戦目で初本塁打を記録。以降、好調な打撃を見せ1番打者として定着する。最終的に120試合フル出場を果たし、554打席514打数はリーグトップ。147安打を放ち当時の新人最多安打記録をマークし、打率.286でリーグ15位に入った。日本シリーズでは最初に打席に入った打者となり、最終6戦で初代日本一を決めるサヨナラ勝ちのホームを踏んだ。しかし、失策は59個を記録しダントツのリーグトップの失策数も記録、16盗塁死もリーグトップだった。
 2年目はケガもあり94試合の出場に留まったものの.284(リーグ14位)を記録。3年目の52(S27)年には、5月31日に7打数の1試合最多打数、8月16日には1イニング3盗塁の現在も残る2つの日本タイを記録したものの、打率は.235(リーグ35位)と低迷した。
 4年目の53(S28)年は若手の台頭もあり規定打席に到達出来ず打率も.245に終わり、オフには新球団の高橋に移籍した。

 ◆打撃成績<398試合、打率.266、1441打数384安打、10本塁打、140打点、45盗塁>
 ◇初出場、初スタメン、初打席、初安打、初打点<1950(S25)年3月11日球団第1戦・西鉄1回戦/H(西宮)/7番遊撃/4打2安/初打点適時打>
 ◇初本塁打<1950(S25)年3月15日・南海1回戦/H(大阪)/1番遊撃/中谷信夫から>
 ◇オールスター出場/1回(54)

 ※在籍中に達成した主な記録
  ◆1試合最多打数7打数(9回まで、1952年5月31日)日本タイ記録
  ◆1イニング3盗塁(1952年8月16日)日本タイ記録、17人


※1954(S29)年 空番


 ★《2代》1955(S30)年~1957(S32)年・3年 岡田 守雄(おかだ もりお) 内野手(在籍3年)

  1937(S12)年1月12日生(入団時18歳)、右投右打
  和歌山・新宮高‐毎日(55~57)‐大洋(58~59)

 【岡田 守雄 背番号変遷】6(3)

 和歌山・新宮高校から入団した岡田守雄が1955(S30)年から背番号6を引き継いだ。
 前年に北村正司が引退した遊撃を期待され、高卒ルーキーながら有町昌昭、小森光生と定位置を争う。開幕は三塁有町、遊撃小森で迎える。岡田も開幕当初は守備固めで初出場もノーヒットに終わり一軍を離脱する。6月に入ると有町がケガで離脱。7日のトンボ3回戦(足利)に8番遊撃でスタメン抜擢されると、初安打を含む3安打猛打賞を記録。以降、一軍に定着する。しかし、後半は三塁に葛城隆雄が定着、遊撃は復帰した有町と小森と併用起用される。最終的に1年目の55(S30)年は88試合に出場する。しかし、打率は.177と課題を残した。
 翌56(S31)年には前は三塁を守っていた葛城が遊撃に回り、出場機会が減少する。56(S31)年は41試合に出場し打率.268、3年目の57(S32)年は23試合に出場、打率.188に終わる。オフに大洋に移籍した。

 ◆打撃成績<152試合、打率.202、317打数64安打、0本塁打、10打点、5盗塁>
 ◇初出場<1955(S30)年4月7日・東映5回戦/H(駒沢)/途中遊撃>
 ◇初打席<1955(S30)年4月12日・西鉄1回戦/H(後楽園)/途中遊撃/2打0安>
 ◇初スタメン、初安打<1955(S30)年6月7日・トンボ3回戦/R(足利)/8番遊撃/5打3安>


 ★《3代》1958(S33)年~1959(S34)年・2年 佐々木 信也(ささき しんや) 内野手(在籍2年)

  1933(S8)年10月12日生(移籍時24歳)、右投右打
  神奈川・湘南高‐慶應義塾大‐高橋(56)‐大映(57)‐大毎(58~59)

 【佐々木 信也 背番号変遷】6(2)

 1956(S31)年に慶應義塾大学から高橋に入団。その高橋でルーキーイヤーに公式戦全試合フルイニング出場(NPB初)、現在でも新人最多記録として残る622打数、リーグ最多180安打という記録を残したが、その年限りで高橋は大映と合併、翌57(S32)年オフにはその大映が毎日と合併し、58(S33)年から大毎オリオンズの一員となり、背番号6を引き継いだ。

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