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ショートショート『寝坊専用電車』

 ・・・やっちまった。
 スーツや髪が乱れるのも構わずひた走りながら、ひとりごちる。

 駅までの道のりが、はてしなく遠い。こんなに遠かったか? 家賃をケチらず、もっと駅近に住んどけばよかった。
 ぜーぜーはーはーと、掠れた息が口から漏れ出る。体力落ちすぎだろ。会費をケチらず、ジム通いを続けていればよかった。
 右手の先で振り子のように、ブリーフケースが走りを邪魔する。ヘンに格好つけずに、素直にリュックにしておけばよかった。大体、ブリーフケースってなんだよ。俺、トランクス派だし。
 すべて手遅れだ。後の祭りだ。カーニバルだ。ひゃっほい。
 現実逃避しても、時間は戻ってこない。ああ、時間泥棒よ。昨晩の愚かな自分よ。俺の貴重な時間を返せよ。頼むから。

 やっとのことで、駅にたどり着く。
 改札を抜け、ごった返す他の客らを必死に避けながら、ホームを目指す。
 ちっ、のんべんだらりとチンタラ歩いてんじゃねぇよ。時間の無駄だろうが。時は金なり。学校で習わなかったのか?
 階段を駆け上がる。両太ももはすでにパンパン。両膝はガクガクだ。
 ホームに電車の姿はない。あと何分で来る? そもそも今は何時何分だ? いつも乗らない時間だから何にもわからねぇ。
 ふと、会社に連絡を入れていなかったことを思い出し、慌ててスマホを取り出す。すでに始業時間は過ぎている。
 震える指で、画面をタップ。呼び出し音が数回鳴るも、誰も出ない。
 遠くから、電車が来るガタンゴトンという音。仕方なくスマホを切り、ポケットにしまう。迷惑客になるのはまっぴら御免だし、どうせもう、手遅れだ。

 ――やって来たのは、奇妙な電車だった。

 黒い。漆黒にラッピングされたその姿は、まるで夜を塗りつぶしたよう。
 すぅと、音もなく扉が開く。しかし、周囲の客はそれを無視して、ぼぅと突っ立ったまま。誰も乗ろうとしない。視界にすら入っていないように。
 無意識が一歩、後ずさる。しかし、疲れ切った両足は、まるで自分のものではないかのように動き出し、俺を車内に入れてしまった。
「いらっしゃいませ」
 いつの間にか。目の前に男が立っていた。出立ちは車掌らしきもの。だが、慇懃な所作と電車では聞き慣れない挨拶に、どこかの高級レストランにでも迷い込んでしまったのかと錯覚する。

「お客様の『寝坊のお話』を頂戴いたします」

 ・・・は? いま、なんと言った?
「この列車に乗れるのは、寝坊した方のみです。失礼ですが、貴方様の寝坊に至る経緯や事情をお聞かせくださいませ」
 失礼なら聞くなよと返したくなるが、もうヤケだ。聞きたいというなら教えてやろう。
 と言っても、ありふれた話だ。大学時代のダチが久しぶりに集まって、宅飲みで盛り上がり過ぎちまったってだけだよ。昔は毎晩のようにやらかしても、翌朝にはケロッとしてたもんだが。歳はとりたくないねぇ。
 ああ、俺の昇進祝いだったんだ。それも今日でオジャンかもしれんがな。
「なるほど。そのような経緯ですと、3号車になります」
 ん? 指定席に座れるってことか?
「ええ。あなただけの指定席です。追加料金はいただきません」
 そりゃありがたい。喜んで利用させてもらうとしよう。
「よい旅路を」
 たかが通勤ごときで、おおげさな。

* * *

「やっ、新入りかい?」
 車両を移動している途中、突然声をかけられた。
「急ぐなって。コレに乗れりゃあ、もう安心だからよ」
 そう言って、空いている自分の斜向かい席を促す男。
「まあ、座れや」
 両足を目の前の席に投げ出しながら笑う男。お言葉に甘えて、疲労困憊の脚をしばし休ませることにする。
「アンタは何号車だ?」
 3号車だと告げると、
「深酒で寝坊、会社に遅刻ってとこか。定番だな」
 聞くと、1号車から3号車までは、同じような経緯の寝坊者があてがわれるらしい。どれだけ多いんだよ。
「別の車両じゃあ、日頃の睡眠不足ってのも定番だな。仕事のストレスや人間関係、理由は様々だが」
 それらの専用車両では、快眠枕だのリラックスできるアロマだのを車内販売しているらしい。
「目覚ましの故障、なんて車両もあるぞ」
 そちらは、高性能な目覚まし時計の車内販売付きだとか。ちょっと気になる。
「この7号車は、『自由席』だ」
 一般的な寝坊の経緯に当てはまらない者たちが集まるのが、今いる車両とのこと。乗客の姿はほとんどない。
「俺か? 俺は『わざと寝坊した』ってとこだな」
 わざと?
「そういう気分の日って、あるだろ」
 実行まで移す奴は、なかなかいないと思うが。この空きだらけの車両を見ればわかる。
「そんな目で見るなって。そもそも、何で寝坊しちゃダメなんだ?」
 本来起きなきゃいけない時間に寝てるんだから。そりゃ、ダメだろ。
「起きなきゃいけない時間ってなんだ? いったい、誰が決めた?」
 会社や学校の始業時間とか、待ち合わせ時間とか、いろいろあるだろ。
「約束した時間を守るのは、確かに大切だ。でも、『理由』があれば、話は別だろ」
 理由? 昨晩飲み過ぎたとか、仕事のストレスが溜まって睡眠不足だったとか?
「それじゃあ、ただの言い訳になっちまう。寝坊が寝坊じゃなくなる理由が必要なんだよ」
 寝坊じゃなくなる理由? そんなものあるのか?
「事故や自然災害で電車が止まったら、遅延証明書を発行してもらえるだろ? 近しい人間に不幸があったってのも、忌引休暇がもらえるとこが多い。寝坊だってバレてなきゃ、寝坊が無かったことになるって寸法だ」
 嘘じゃなかったらな。親戚の葬式とか、言い訳の定番だし。
「理由さえあれば、寝坊は寝坊じゃなくなる。わかったか?」
 言ってることは理解できたが、それがどうした?

「この列車は、その『理由』を作ってくれるんだよ」

 ・・・は?
「この列車に乗っていれば、降りたときには寝坊が寝坊でなくなっちまってる。そういうことだ」
 いやいや、どういうことだよ?
「理由は知らん」
 いや、知らんて。理由は大事なんじゃないのかよ。
「親切な小人があれこれ手を回してくれてるのかもしれないし、慈悲深い神様が不思議パワーで解決しちまうのかもしれん」
 そんな、ご都合主義的な。
「もしかしたらこの列車は、都合のいい並行世界に俺らを運んでくれているのかも。なんてな」
 いやいやいや、怖ぇよ。
「嘘じゃないぜ。俺もこれまで、いろいろと『理由』を作ってもらったからな」
 この列車の常連客だという男が、これまでの体験を語ってくれる。
 ――会社の就業規則がいつの間にか変わってて、始業時間がずれていた。
 ――直属の上司も寝坊していて、ついでに誤魔化してくれた。
 ――待ち合わせ相手と約束していた日付が、翌日になっていた。
「地震が起きて電車が止まったってのもあったな。この列車に乗っている間は、気づかず快適なもんだったが」
 知らない親戚が突然現れて、唐突に亡くなったことを知る。といったものもあったらしい。
「流石に、実の家族を殺すのは勘弁してほしいけどな」
 今じゃ病みつきになっちまってるから、どうだかなぁ。そうへらへらと笑いながら口にする男の姿が、急に恐ろしくなった。
「・・・そろそろ、席に移動しなきゃ」
 立ち上がった俺を気にするでもなく、男は「そうだ」と告げる。

「何でもアリなこの列車だが、やっちゃいけないコトがひとつだけある。俺の口からはこれ以上言えねえが、気をつけろよ」

 内容もわからないものを気をつけろとは、どうすればいいというのだ。
 なんにせよ、あとは大人しく席で過ごすとしよう。 

 ここが、俺の席か。
 道中、いくつかの車両に興味を引かれながらも、なんとか3号車に辿り着き。自分の指定席を発見した。
 すると、着席と同時に、ポケットのスマホが鳴る。通知画面を見ると、会社の同僚からのメールのようだ。

『プレゼント休暇は、楽しんでるか?』

 わけのわからない文言に、首をかしげる。詳しく事情を聞きだすと、どうやら昇進祝いに会社が有給休暇をプレゼントしてくれたようで、今日の俺は休みということになっている。なってしまったらしい。なんとご都合主義な。
 ふぅ。
 あの男の言うとおり、寝坊が「なかったこと」になっているのもそうだが、作られた理由が「まとも」であったことのほうが安心した。たかだか寝坊の誤魔化しごときで、他所様に迷惑をかけるのは正直心が痛む。
 ふっと、全身の力が抜ける。深酒の影響や朝っぱらからの全力運動、奇妙な体験の数々と、溜まった疲労が安堵とともに一気に押し寄せてきたようだ。
 向かいの席に両脚を投げ、リクライニングを思いっきり倒す。うむ、解放感。
 幸福に身を包まれながら、俺は意識を手放した。

* * *

 ・・・・・・やってしまった。
 目が覚めると、窓の向こうは一面の暗闇。まるでトンネルの中にでも入っているかのような漆黒の景色に、どれだけの時間寝ていたのかと気が遠くなる。
「おはようございます」
 突然、真横から声をかけられ、全身が強張る。おそるおそる振り返ると、そこには車掌の姿が。
「お客様のお降りになる駅は、とくに過ぎております」
 丁重な言葉遣いだが、それがかえって緊張を高める。俺は「す、すみません」と慌てて立ち上がる。
「まあまあ、そう焦らず。たっぷり時間はありますので」
 次の駅まで、しばらくかかるということか?
「いいえ。もう終着駅を過ぎております」
 じゃあ俺は、どこで降りればいいんだ?
「どうぞ、お好きなときに」
 は? どういう意味だ?
「お客様にも、お気持ちの整理をする時間が必要かと思いますので」
 気持ちの整理って、電車を寝過ごしたくらいで、そんな大げさな。
「いえいえ。お客様は、ご自身の人生を寝過ごされてしまったのですから」
 ・・・人生?
「人生には、逃してはいけないタイミングというものがあります。お客様は、それを寝過ごしてしまったのです」
 何を、言ってるんだ?
「お客様方の寝坊を『なかったこと』にする。それが当列車の役割です。たとえ、どんな手を使っても」
 それが、どうした。

「いままさに、この寝坊が、寝坊でなくなるために。貴方という存在そのものが、既に『なかったこと』になっています」

 ・・・冗談、だよな?
「現実です。夢でもありませんよ」
 じゃあ、今の、この俺は?
「列車をお降りになる際に、貴方様の存在は完全にリセットされます。まったく別の存在として、生まれ変わるのです」
 人生を、やり直せるってことか?
「記憶なども無くなりますので、貴方様がそう認識できるとは思えませんが。そもそも、人として生を受けるかどうかもわかりませんので」
 意識が急に遠のき、くらりと体がふらつく。
「おやおや、まだ寝足りないようで。よろしければ、ここで思うぞんぶん寝過ごしてくださいませ」
 ゆっくりと閉じていく瞼。遠くから、そっとささやくような声が聞こえた。

「またのご利用を、心よりお待ち申しあげておりません。あしからず」

 回送列車は進んでいく。どこまでも、あてどなく。

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