オリカワハツセ
がんばれボタンが欲しい。
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がんばれボタンが欲しい。

オリカワハツセ

「差し上げましょう」
 突然あらわれた男が、そう言った。
「何のことだ?」
 訝しげにそう返すと、男は「いまおっしゃったでしょう?」と続ける。
「押すだけで気力が湧いてくる、そんな魔法のようなボタンが欲しいと」
 まったく記憶にない。似たようなことはいつも考えているが。
 この暑さだ。ぼぅとして、無意識に思考が漏れ出たのだろう。
「こちらです」
 男は小さなボタンを取り出した。
「押してみてください」
 言われるまま、ボタンを押す。
『がんばれ!』
 女性の声が再生された。
「裏のダイヤルで、声を自由に調節できます」
 ダイヤルを回してみる。アナウンサーのような凛とした声色が、「がんばれー」と幼い声に変わった。
「お好きな方の声にすれば、モチベーションも上がるかと」
 ボタンを押せば、いつでも好みの女性が励ましてくれる。
 なるほど、これはなかなかいい。
「もちろん、タダではないのだろう?」
「ええ」男は告げた「五百円になります」
 驚きのワンコイン。ジョークグッズとして買うのもいい。
「毎度ありがとうございました」
 怪しげな男は、怪しげな笑みを貼りつけたまま、去っていった。

『がんばれっ』
 あれから数日。俺はすっかりそのボタンの虜だった。
『がんばれっ』
 耳元で弾む声に、口元がゆるむ。はじめは家の中だけで使っていたが、今ではワイヤレスイヤホンをつないで、常に持ち歩いている。
『がんばれっ』
 もう一度ボタンを押し、仕事に戻る。
 派遣先の上司の無茶ぶりも、上から目線の同僚も、ボタン一つで全て忘れられる。
『がんばれっ』
 少し前までは職場の女の子の声にしていたが、微妙な罪悪感からやめてしまった。今はCMで人気の女性アイドルに設定している。
『がんばれっ』
 また手を休め、デスクの上のボタンを押す。最近、効き目が弱くなってきたのか、ボタンを押す頻度が増えた。いちいち手を止めるため、仕事の効率も落ちている。かといって、ボタンを押さなければやる気が起きず、効率はさらに悪化する。ままならない。

「新型の『がんばれボタン』はいかがでしょう」
 またもや突然、男は現れた。
「そろそろ物足りなくなってきたころかと思いまして」
 男が取り出したのは、ひとまわり大きな端末。形はそっくりだが、ボタンがついていない。
「こちらは利用者の状況を把握して、自動で音声を再生します」
 なんと。流行りのAIとやらであろうか。まったく、技術の進歩はおそろしい。これならば作業の手を止める必要もない。
「お値段は五万円になります」
 前回の百倍。正直、高い。
 しかし、と思い直す。作業効率が上がればそのぶん多く仕事ができる。ストレスが軽減すればクオリティもアップするだろう。
 うちの派遣会社は基本給が安いぶん、成果報酬制が導入されている。これも投資と考えれば、あっというまに元が取れるはずだ。
「毎度ありがとうございます」
 急ぎコンビニで金を下ろした俺を、怪しげな男は怪しさをさらに強めた笑みで応えた。

『が・ん・ば・れっ』
 新型の「がんばれボタン」は、音声も向上していた。イヤホンを付けていると、まるで本物が耳元で囁いている気分なのだ。
「がんばれ! あと少しだぞっ』
 催眠術にかかったように、作業に没頭する日々。仕事の出来が目に見えて向上したことで、周囲の評価も180度変化した。
 会社は正社員にならないかと打診してくるが、上司や同僚から妬まれないのも「派遣」という立場故であろう。丁重に固辞させてもらった。
 実は、端末価格に加え、相応の利用料を毎月取られているが、それを相殺して余りある効果だった。
『まだまだいけるよねっ』
 これほど充実した時間を過ごしたことは、未だかつてない。
 くだらない飲みに付き合ったり、家で面白くもないテレビを眺めるより、仕事をしているほうがずっといい。
 俺には、彼女だけいれば十分だ。
『よしっ、もうひとがんばりだ!』

 しかし、そんな日々は長く続かなかった。
「過労、ですね」
 ベッドに横たわる俺に、医者が無表情でそう告げる。
 デスクで倒れた俺を深夜巡回していた警備員が発見したのは、一昨日のことだった。長時間労働が祟り、体のあちこちにガタがきていることすら気づかなかった。
「お仕事は当分お休みしたほうがいいでしょう」
 言われずとも分かっている。いまも起き上がることすらままならない状態で、指先を少し動かすのがやっとといった具合なのだ。いくらパソコン作業が主だといっても、腕を少しあげただけで激痛が走るような体では到底無理だろう。
 会社からは程なく契約が切られた。派遣会社から連絡が来ることもなくなった。あくまで俺が勝手に長時間労働をしていたということで労災もおりないらしい。
 この非常時に、あまりの非情ぶり。思わず笑うしかなかった。

「お加減はいかがですか?」
 あれからどれくらい経っただろうか。退院の日を明日に控えた深夜。病室に、あの男が現れた。
「おかげさまで」
 皮肉を込めて答える。自業自得とはいえ、コイツがあんなものを売らなければ起こらなかったこと。どうしても恨みつらみは募る。
「お詫びに、いいお話を持ってきました」
 そんな腹の中を知ってか知らずか、男はこれまでにない怪しい笑みを浮かべた。
「お仕事をしませんか?」
 仕事、と聞いただけでわずかに震えが走るが、気にしていられない。入院代に加え、退屈な病院生活で散財を繰り返し、銀行口座はすっかり閑古鳥が鳴いていた。
 体はだいぶマシになったが、医者からは当分の間は無理はしないよう申しつけられているため、以前の職場に戻ることはできない。戻りたくもない。
 男は、そんな事情は承知とばかりに告げた。
「体をほとんど動かさずとも、寝ながらできるお仕事です」
 俺に選択の余地はなかった。

『がんばれ!がんばれ!』
 画面の向こう。アニメ調の声に合わせて、若い男が目を輝かせ仕事へと戻っていく。
「……はぁ」
 ベッドに寝転がりながら、俺は溜息を吐く。画面を見ると、再び若者の動きが緩慢になっているようだった。
『ファイトだぞっ』
 タブレットを操作し、ライブラリから音声を選ぶ。若者は再び背筋をピンと伸ばし、気合いを入れ直した。
「……なんだかなぁ」
 怪しい男が紹介した仕事は、やはり怪しいものだった。利用者の近くの端末をタブレットで操作し、タイミングよく音声を再生させる。
 つまり「がんばれボタン」の中の人、というわけだ。
 彼も、可愛らしいアニメ系美少女の正体がこんなオッサンだとは、夢にも思わないだろう。もし知ったら、モチベーションアップどころの話ではない。

「……がんばれー」

 せめてもの慰めに、俺は必死に働く男に向かってつぶやいたのだった。

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ありがとう!(注:作者が小躍りしてます)
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