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ショートショート『壊れかけの望遠鏡』

 ええ。これ、子供用なんですよ。

 ずいぶん古びてるって? まあ、何十年も前に両親がクリスマスプレゼントで買ってくれたものですからねぇ。
 テレビで見たピカピカの望遠鏡にそれはもう憧れまして。毎日のようにねだっていたものですから根負けしたのでしょうな。
 子供向けとはいえ、それなりの高級品を奮発してくれましてね。今にして思えば、父親もこれを機会に天体観察を趣味にしようなどと考えておったのかもしれませんなぁ。まあ、仕事が忙しくてそれどころではなかったようですが。
 こいつを手に入れてからは、暇さえあれば夢中でレンズを覗き込む毎日でした。なにせ、観察対象は文字通りお空に星の数ほどございますから。はじめてお月様の本当の姿を見たときは、驚きやら感動やらでしばらく呆然としてしまったものです。
 夜更かしなんて当たり前。あまりの夢中っぷりに、最初は小言を言っていた母親もあきらめて何も言わなくなってしまったくらいで。まったく困った息子ですな。
 この望遠鏡は天体と地上を兼ねるタイプだったものですから、夜だけでなく日中も使い倒しましてね。一度近所のお宅を覗いてしまったときなどは、両親にこっぴどく叱られてしまいましたよ。
 休みになると仕事で疲れている父親を急かして、近くの山やらあちこちと連れて行かせましてね。運転席でぐっすり眠る父親をよそに、そのころの自分には大きすぎる望遠鏡を担いで、あれこれと走り回ったものです。夢中になりすぎて一度行方不明になりかけたときの父親の焦った顔は、これだけ経ったいまでも鮮明に思い出せます。こう考えると、私、叱られてばかりでしたなぁ。
 もちろん将来の夢は宇宙飛行士でした。毎晩さまざまな星々を眺めては、そこに降り立つ自分の姿を想像したもんです。思えばあのころがいちばん夢や希望に満ち溢れていたような気もいたしますね。
 なにぶんそれほど頭がよろしくなかったものですから、早々に宇宙飛行士の夢は諦めてしまいまして。代わりに今度は写真家を目指すことになりました。これまた両親に粘り強くねだって、望遠鏡に取り付けられるカメラを誕生日プレゼントに買ってもらいましてね。いっぱしのカメラマン気取りで家中に自分が撮影した写真を貼りまくったものです。

 そんな毎日も、いつからなくなってしまったのでしょうか。

 こんな私にも思春期や青春というものがやってきましてね。恋やら部活やらにかまけて、日課だった望遠鏡を覗くこともすっかりなくなってしまいました。しばらくは部屋の飾りになっていたこいつも、気づいたら押入れの奥で永い冬眠に入ってしまった次第で。
 一枚一枚と剥がされていく家中の写真とともに、カメラマンの夢もいつしか消え失せていきまして。結局は、安定を求めて無難なサラリーマンに落ち着いてしまいました。いえ、後悔はしていませんよ?
 大人になり、自分の家庭を持つようになるなかで、何度か引っ越しもいたしましたが、どんな家に住んでも変わらず押入れにこいつを眠らせていたのは、何か未練が残っていたのかもしれませんなぁ。
 子供たちが巣立ち、会社も定年退職してから、ぽっかりとできた人生の空白に、ふとこいつのことを思い出しましてね。何十年ぶりかに冬眠から起こしてみたわけですよ。
 すっかり放っておいてしまったせいでしょうか。あちこちにガタがきておりまして。架台や三脚はしっかり固定できずに空を見上げることすらできませんし、レンズを覗き込んでも焦点が微妙に合っていない始末で。まあ、視界がぼやけていたのは私自身のせいかもしれませんが。
 それでも新しい望遠鏡に買い換える気がどうにもしませんで。なんとか誤魔化し誤魔化し使い続けておったわけです。
 そうしているうちに、不思議なことが起こり始めまして。捨てる神あればなんとやらでしょうか。

 普通のものが見えにくくなった代わりに、肉眼では見えないものが見えるようになったんですよ。

 スピリチュアルやらに傾倒しているつもりは毛の先ほどもなかったんですがね。この望遠鏡で覗くと、人やら物やらのまわりにうっすらとオーラと言いますか、気のようなもやが見えるようになりまして。
 人影や物影がないところにも、ふらふらと宙を漂うもやが見えるばかりか、それらの感情のようなものまでなんとなくわかるようになったのですよ。幽霊? はっはっは、ご冗談を。
 ああいったものは写真に残すこともできませんので、ぼぅと眺めておるだけだったのですが、それはそれで楽しいものでしたよ。
 子供のころに戻ったように毎日古びた望遠鏡を覗く私を、家族も優しく見守ってくれました。この望遠鏡と過ごす時間が、私にとってかけがえのないものだと察してくれたのでしょうな。

 おかげで、眠るときも棺に入れてくれたので、いまもこうしてこいつと一緒にいられるわけです。

 相変わらず上は向きませんが、ここから地上を見下ろすには問題ありません。像もぼやけていますが、はっきり見えないほうがいろいろと想像の余地があって面白いものですよ。
 この前、久しぶりに両親に会いましてね。傍らにあるこいつを見て、大層驚いておりました。覚えておるものですなぁ。
 これからですか? あらためて宇宙飛行士を目指すなんてことはできませんが、写真家ならいいかもしれませんね。幸い、カメラをこちらに持ち込めた方を何人か知っておりますし。
 曾孫たちの成長を残すのもいいですね。スマホの写真はこちらに持ってこれませんから、アルバムにしてゆっくり見せてやろうと思います。
 個展などを開くのも楽しそうですね。こちらに持ち込んだカメラはあのもやも綺麗に写せるようですので、この光景を写真に収めたら、さぞかし幻想的な作品になるのでしょうなぁ。

 ――気になってきたから覗かせてくれって? 仕方ないなぁ、ちょっとだけですよ神サマ。

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