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短編小説『焼けないパン屋と焼けるパン屋』

「「いらっしゃいませ」」
 とある商店街に、二軒のパン屋があった。
 二つの店は通りをはさんで、ちょうど向かい合わせの位置にあった。さほど大きくもない商店街に二つのパン屋。当然のように両者はライバル関係にあった。
 開店した時期はほぼ同時だった。それぞれ喫茶店と和菓子店の居抜きで作られた店は、オープン当初からライバル意識をむき出しにし、あれこれと競い始めた。
 初めは互いの真似を繰り返すばかりだった。相手がすることで少しでも良さそうなものがあればすぐにコピーし、自分なりに改良を加えていく。相手も負けじと、自分の店にないものを積極的に取り入れ、店を改良していった。

 そんなライバル関係は小さな商店街の枠を超えて話題になり、テレビの取材などもちょくちょく入るようになった。身近に競い合う相手のいることがプラスに働き、たゆまぬ切磋琢磨が互いの店を向上させることとなったのも功を奏した。
 やがて、それぞれは自分の得意分野や好みを見つめ直し、少しずつ店を変化させていった。模倣から独自の改良・改善を経て、自らのオリジナリティへと昇華する。当然の帰結であった。

 一方の店は、「焼き加減」にこだわった。自慢の海外製オーブンが繰り出す火力によってこんがりと焼けたパンの香ばしい味わいは、サーフィンが趣味だという主人の魅力と相まって人気を博した。あえて調理パンなどは作らず、パンそのものを楽しんでもらうことを目的に作られたそれは、特定のパンマニアだけなく近隣の飲食店やホテルなどからも注文が入るようになった。パンの種類が少ない代わりに、もともと喫茶店だった内装を生かしてカフェスペースにも力を入れた。自らのパンに合うコーヒーや紅茶を豆や茶葉から厳選したセットメニューは好評で、モーニングやランチタイムにはわざわざ電車に乗ってやってくる会社員の姿が見られるほどであった。

 もう一方の店は、家庭的なパンづくりにこだわっていた。まだパン作りが趣味であった学生時分から使っていたという、家庭用に毛が生えたようなオーブンは焼き加減に物足りなさを感じることもあったが、それが逆におふくろの味のような温かみに繋がり、幅広い客の支持を得た。発想力豊かな女主人の考える惣菜パンや菓子パンの種類の豊富さも人気で、次々と生み出される新メニューを楽しみにする常連客で開店前は行列ができるほどであった。

 しっかりと棲み分けが出来てからも、両者のライバル意識は変わらないばかりか、より一層その熱を増していった。商店街の寄り合いで顔をあわせるたびに、様々な考え方の違いから激しい喧嘩を繰り返す二人に、他の店主たちも毎度苦笑するしかなかった。

 そんなある日、小さな事件が起きた。いや、当人にとってはあまり小さくはなかったが。

 男の店の業務用オーブンが壊れてしまったのだ。あの自慢の、海外製オーブンが。
 忙しさにかまけてろくにメンテナンスをしていなかったことが仇となり、温度設定が滅茶苦茶になってしまった。あるときはオーブンに入れた状態のまま生の生地が出てきたり、またあるときは、どこのメシマズ嫁かというレベルの真っ黒に焦げた物体が出てきたりもした。いくらこんがり焼けたパンが人気とはいっても、ただの炭を好んで食べたいと思う客などいるはずもない。
 海外の職人にオーダーした特注品であったため、修理には相応の日数を必要とすることがわかった。カフェスペースは通常通り営業できるので、パン以外の食べ物を出すことで急場をしのぐこともできたが、店主はあくまでパン屋であることにこだわった。
「頼みがある」
 男は初めて、ライバル店に頭を下げた。まだ棲み分けがはっきりとできていなかった頃、この店が男のパンを真似た焼き色重視のパンを出していたことを、彼は覚えていた。こっそり試食したそのパンは、大きさこそ小さかったものの。焼き加減も香ばしさも自分のものと遜色ないものだった。
「どうやってあのパンを作ったのか教えてくれないか」
 女の作るパンなんぞに負けたくない、そんなちっぽけなプライドよりも、男はパン屋であり続けることを優先した。そんな男の思いが通じたのか、女店主は渋々ながらも自らが考えたという生地のレシピを男に教えた。
「このレシピなら、一般的なオーブンでもあの焼き加減が出せるはずよ」
 女店主はさらに、自分の店のオーブンを使っていないときに貸してもいいと提案した。オーダーメイドオーブンの借金が残っているのに加えて高額の修理代を請求されていた男にとっては渡りに船の話だった。
「このまま不戦勝みたいになっても、つまらないでしょう?」
 ここぞとばかりに余裕の表情を浮かべる女店主。情けをかけてもらった男のプライドはズタズタであった。この借りは必ず倍にして返してやる、と、男は羞恥に顔を歪ませながら深々と頭を下げた。

 ほどなく、男の店は活気を取り戻した。
 提供を受けたレシピを元に、一般的なオーブンでも自分の客の求める焼き加減を出すため、男は試行錯誤を重ねた。その結果、完成した新しいパンは以前のものよりも高い評価を得ることとなった。
 一刻も早く借りを返すためにと、男はオーブンを借りている合間などに女店主の作るパンに対してできる限りのアドバイスを行なっていた。自分から見ればまだまだ未熟な女のオーブン使いに、ついつい口を出してしまったというのが正直なところであったが。
「あなた、何様のつもり?」
 上から目線の物言いは、女の癇に障った。当然である。無償でレシピを提供し、あまつさえオーブンを貸してやっている相手が、我知り顔で頼んでもいないレクチャーを繰り返すのだ。
「良かれと思って言ってやってるのに、そんな言い方はないだろう」
 男は100%善意でやっているつもりだった。自分なりに工夫し磨き上げてきたノウハウを惜しみなく提供しているのだ。感謝されこそすれ、こんな返しをされるとは思ってもみなかった。
 顔をあわせる機会が多くなったことで、喧嘩はより具体的に、長時間にわたって行われることとなった。結果として、互いの作るパンの質がさらに上がったのは言うまでもなかった。

 そんな小さな変化に周囲の人々も慣れてきたころ。大きな事件が起こった。今度は、本当に大きな事件であった。

 女の店が、火事で全焼してしまったのだ。

 出火元は唯一の火元であるオーブン室……ではなく、店舗裏のゴミ捨て場だった。消防の調べによると放火の疑いが強いとのことだった。
 ちょうど女店主も従業員も、普段オーブンを借りている向かいの男店主もいないという珍しいタイミングであったため人的被害こそなかったが、店は見る影もないほどに崩れてしまった。当然、火災保険には入っていたが、心身ともに脱力してしまった女はすぐに店を再開しようという気力がどうしても湧いてこなかった。
 借りていたオーブンが使えなくなったからであろうか、向かいの店もしばらく休店する旨の張り紙が掲げられた。
 活気のあった商店街は、火が消えたように静かになってしまった。

 ——それから一年が経ったある日、商店街に一軒のパン屋がオープンした。

 場所はかつて女店主の店があったところ。数週間であっという間に建てられた簡素な建物は、工場直売スタイルのパン工房であった。
 残念ながら、店主はあの女主人ではなかった、が、
「あと3分で焼き上がります!」
「おうっ」
 工房の中央で若い従業員達に威勢良く答えるのは、なんと向かいの店の男店主であった。
「店長! カフェのほうが行列になってます!」
「そんなこといちいち報告しなくていいから、早く手伝ってこいっ。こっちは俺がやっておく!」
「は、はいっ」
 若者はエプロンを脱ぎ、急いで正面の店舗へと駆け出す。
「お待たせしました」
「こんにちわ」
 男が若者に代わって販売スペースの前に立つと、常連客である三軒隣の洋品店のおかみさんが笑いかけてきた。
「盛況ね」
「ええ、おかげさまで」
「やっぱりこのお店がないとねぇ」
「その節は色々とご迷惑をおかけしました」
 オープンまでに色々と世話を焼いてくれた恩人に、男は改めて深々と頭を下げる。
「向かいのカフェは誰がやってるの?」
 行列解消しつつある向かいの店舗を見やりながら、おかみさんが尋ねる。
「兄に手伝ってもらってます。もともとあの人が継ぐ予定の店でしたし」
 海外製の大型オーブンを処分し、純粋なカフェとして再オープンした向かいの店。男が幼い頃、家族と二階で暮らしていた昔ながらの喫茶店の様相を取り戻した店舗は、昨今の本格派珈琲ブームも手伝い、街歩きを楽しむ観光客などですぐに一杯になった。とてもではないが一人で二軒の店を回せるような状態ではなくなり、男は数年前に家を飛び出した兄と久々に連絡を取ったのだった。
「東京に出てったお兄さん? こっちに戻ってきてるの?」
「ええ、去年離婚したそうで。向こうの奧さんに家ごと持っていかれてヘコんでました」
「あらあら」
 男にとってはタイミング良いことこの上なかったが、さすがに本人を前に口にすることはできない。
「まあ、そのうちまた出ていくかもしれないですが、いまだけでも手伝ってもらおうと思って」
 しばらくすれば「彼女」も職場に復帰したいと言ってくるはず。そう言って男は苦笑した。
「奥さんは?」
「お義父さんの家で、子供とゆっくりしてますよ」
 和菓子屋を娘に譲って郊外で悠々自適の生活を送っていた彼女の両親は、久しぶりに自分たちを頼ってきた娘と生まれたばかりの孫に、大騒ぎの毎日だという。
「それにしても、災難だったわねぇ」
 かつての惨状の面影はすっかりなくなっている店を眺めながら、おかみさんはつぶやく。
「犯人は捕まったの?」
「……ええ」
 口ごもる店主だったが、おかみさんは軽い調子で尋ねる。
「誰だったの?」
 黙っていてもいつかはわかると、男は小さくため息を吐いた。
「カミさんの店で働いてた男でした」
 オーブンを借りるようになってからよく顔を合わせていた若者を、男は思い返す。自分はまったく気が付いていなかったが、彼は自分の上司に対して並々ならぬ思いを寄せていたらしい。
「ああ、なるほど」
 おかみさんが納得したようにうなずく。
「色々としつこいって、ウチに来るたびによく愚痴を漏らしてたわね」
「私、聞いてなかったんですが」
 おかみさんは呆れたように笑う。
「そりゃあ、いっつも喧嘩している元恋人に相談するようなことじゃないでしょう?」
 男はバツの悪くなり、口をつぐむ。
「まあ、あの喧嘩も側から見てるとイチャついてるようにしか見えなかったけれど」
 ニヤニヤと笑みを浮かべなら、おかみさんは続ける。
「アレをすぐそばで毎日見せられちゃあねぇ。恨みつらみも溜まるってものよ」
「それで火をつけられちゃ、たまったものじゃないんですが」
 たまったものを一方的にぶちまけられては、こちらがたまらない。男はうんざりといった表情を浮かべる。
「それがきっかけでヨリを戻せたのだからいいじゃない」
「……それは」
 バツの悪い表情をさらに強める男に、からかうようにおかみさんが続ける。
「お店だけじゃなくて、焼け木杭にも火がついちゃった、みたいな?」
「シャレになってませんって」
 学生時代に別れて以来、犬猿の仲だった幼馴染とまさか結婚することになるとは。店のことも含め、人生何が起こるか本当にわからないものだ、と男はしみじみ思った。
「思うぞんぶん喧嘩したのが逆に良かったんじゃない?」
「そういうもんですかねぇ」
 口ではそう言いながらも、男は内心腑に落ちる。思えば、幼い頃から一緒だったせいで距離感がつかめず、恋人だった頃はろくに会話もしていなかったような気さえした。
「店長、そろそろ」
「ああ、すまない」
 従業員の一人が声をかけると、男はエプロンを外しはじめる。
「あら、もう帰っちゃうの?」
「ええ、毎日あっちの家に顔を出してやらないとカミさんが心配するので」
 男は仮設店舗の二階に寝泊まりしていたが、毎日開店前と閉店前の二回、妻の実家に足を運ぶようにしていた。
「奧さんによろしくね」
「ええ、今後ともご贔屓を」
 そう言って、男は笑った。よく陽に焼けた端正な顔に浮かぶそれは、ふた回りも年の離れたご婦人の心すらときめかせる。しかし、彼の輝く瞳は愛する妻と我が子、それにパンしか見ていない。
 急くように早足で去る男の背中を見つめながら、おかみさんはつぶやいた。

「まったく、妬(や)けちゃうわね」

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