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ショートショート『ぜったいに笑ってはいけない肉フェス』

「サインをお願いします」

 え。わたし、別に有名人とかじゃないけど。
「こちらの誓約書にお願いします」
 ああ、そっちのサインね。はっきり言ってよ。思わずデザインを考えちゃったじゃない。
「こちらです」
 そんなにしつこく言わないでもわかってるわよ。・・・ところで、誓約書って何?
「無用なトラブルを避けるために必要でして」
 はぁ。大きなイベントともなると、いろいろ考えなきゃならないのねぇ。
「内容をしっかりとご確認ください」
 でもこれ、下手な辞書よりも分厚いんだけど。面倒くさいなぁ。
「重要な部分だけ、かいつまんでご説明いたしますか?」
 できるの?
「はい。5分もかからないかと」
 じゃあ、なんでこんなに分厚いのよ。まあいいわ。お願い。
「かしこまりました。お客様は此度の催しを、どのようにお聞きになっていらっしゃいますか?」
 なんか、肉がタダで食べ放題だって聞いたけど。
「その通り。しかし、ひとつだけ守っていただくべきルールがございます」
 お残し厳禁、とか?
「そちらは問題ありません。食べ残した料理は、お帰りの際にそのままいくらでもお持ち帰りできます」
 なにそれ、天国じゃん。じゃあ何なの?

「厳禁なのは、『笑うこと』です」

 ・・・もう一度、言ってもらえる?
「お客様は会場にいる間、笑うことを一切禁じさせていただきます。声に出して笑うのはもちろんのこと、表情に笑みを浮かべるだけでもNGです」
 なんかペナルティとかあるの?
「もしも笑ってしまった場合は、直近で訪れた店にお手持ちのお金をすべて渡して、直ちに退場していただきます」
 はぁ? 有り金ぜんぶとられるの?
「はい。規則ですので」
 ・・・だからさっき、受付で所持金チェックなんてあったのね。現金を持っていない客はどうするの?
「あちらの端末で、規定以上の金額まで引き出していただきます。クレジットカードや各種電子マネー、キャッシングにも対応しておりますので」
 なんか、怖くなってきたわね。
「その代わり、会場内で提供される肉料理はすべて無料で食べ放題ですし、持ち帰りもお好きなだけ構いません。当然、退場した場合は持ち帰りもできませんが」
 それは魅力的よねぇ。制限時間とか、あるの?
「いいえ。いつまで居ていただいてもかまいませんし、好きなときにお帰りいただいて結構です」
 ふぅん。それならテキトーに食べたらすぐに帰れば、問題なさそう。
「ご承知いただけましたか?」
 ええ。せっかくここまで来たんだもの。参加させてもらうわ。
「ありがとうございます。どうぞお楽しみを」

「さあさあご注目あれ。一般に出回っていない幻の肉を、フェス限定で大盤振る舞いだよ」
 やっぱり限定モノは、外せないわよね。ひとつもらえる?
「よし。お姉さん美人だから、大盛りサービスだ」
 あら、うれしいこと言ってくれるじゃない・・・って、笑っちゃいけないんだった。危ない危ない。
「そんなすました顔よりも、お姉さんには笑顔のほうが似合うぜ」
 そんなこと言って、有り金をむしり取ろうなんて魂胆が見え見えよ。
「こりゃ、手厳しい」
 私にばかり構ってないで、ちゃんと他のお客さんの相手もしなさいな。
「へいへい、毎度あり。って、タダだけどな」
 どれどれ、幻のお肉とやらのお味は・・・って、うまっ。口の中で溶けるなんてものじゃないわ。これは、心まで蕩けさせる味よ。
「どうだい? 我を忘れる美味さだろ?」
 危なっ、意識が飛んでたわ。・・・表情、崩れていなかったかしら。
「惜しかったなぁ。あとちょっとだったんだが」
 命拾いしたわ。気をもっとしっかり持たなきゃダメね。
「よかったら、気軽にまた来てくれよな」
 口車には乗らないわ。――これは、戦いよ。

「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。世にも珍しい、『似顔絵肉丼』の登場だ」
 似顔絵肉丼? どういうこと?
「読んで字の通り。肉丼で似顔絵を描くって寸法だ」
 見本もあるの? ・・・うわっ、そっくりじゃない。
「よく出来てるだろ?」
 ええ。キャラ弁みたいなものなのね。
「そういうこった。お客サンの似顔絵も描けるぜ」
 ひとつ、頼もうかしら。
「お姉サン美人だから。作り甲斐があるなぁ」
 それ、前のお店でもやったから。無駄口叩いてないで、早く作って。
「おぉ、怖い。美人は怒っても美人だねぇ」
 ・・・ニヤけちゃダメよ。わたし。
「ほら、出来上がり」
 どれどれ・・・って。あなたっ、これっ。
「ちぇ、我慢したか」
 わざと変顔にしたわね。油断も隙もありゃしない。
「すまん、すまん。ほら、これで完成だ」
 上手いのがムカつくわね。でもこれ、美人すぎない?
「オレからは、お姉サンがそう見えてるのさ」
 ・・・・・・あぶなっ。

「申し訳ありません。こちらは現在、立ち入り禁止になっております」
 物々しいわね。何かあったの?
「この店で、禁止行為が行われていたことが発覚しまして」
 禁止行為?
「食材に『笑いキノコ』を混ぜたものを提供していたようで」
 笑いキノコって、あの?
「ええ。ごく少量でしたが、何人かのお客様が被害を受けまして」
 被害って、どんな?
「道端で突然爆笑したり、踊り出したりといった具合で。他のお客様がその光景を見て笑ってしまい、被害が拡大してしまいました」
 ・・・わたしがそこにいたら、我慢できる自信はないわね。遭遇しなくてよかったわ。
「今後はこのようなことが起こらぬよう。厳重な審査と検査を行いますので、どうか安心して引き続きお楽しみください」
 別の意味で、気は抜けないけどね。

 なんだかんだで、長居してしまったわ。そろそろ帰ろうかしら。
「お土産に、お弁当はいかがですか?」
 お弁当? 持ち帰り専用なの?
「もちろん、この場で召し上がっても結構ですが」
 もうお腹いっぱいなのよねぇ。
「そう思いましての、持ち帰り弁当でございます」
 どんなお弁当なの?
「さまざまな肉料理を少量ずつ、アラカルトにしております。どれも冷めても美味しいものばかりで、デザートもお付けしてございます」
 お肉版・幕の内弁当というわけね。美味しそうじゃない。
「専用の容器は、充分な空きスペースを残しておりますので、他のお店でお残しになったものを詰め替えることも可能です」
 ・・・食べ残した料理で両手がいっぱいだったから、正直助かるわ。
「よろしければ、こちらでお詰め替えいたしますが」
 ありがとう。お願いするわ。
「かしこまりました。少々お待ちください」
 そういえば、このお店は全然お客を笑わせようとしてこないのね。
「無理に笑わせても、せっかくのフェスが楽しめませんから」
 あらためて振り返ってみると、ずっと緊張しっぱなしだったわね。もしかして、あなたたちも?
「ええ。できるなら、ここに来てよかったと良い気分で帰りたいものです」
 そんな考えの人が、こんなイベントにいるなんて。世の中、まだまだ捨てたもんじゃないわね。
「お品物は、こちらになります」
 確かに受け取ったわ。ありがとう。
「またのお越しを」
 ふふっ、いい笑顔ね。これなら気持ちよく帰れそうだわ。

「ありがとうございます。お会計は、こちらに」

 え?
「お品物は、あちらでご返却ください。規則ですので」
 ――あ。

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