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1行も書けなかったぼくが1時間2300文字書けるようになった3つの理由。

真っ白なテキスト入力画面を前に、地蔵のように固まる。

何度かキーボードを叩いては、「なにかが違う」とBackSpaceキーを連打する。二歩進んで三歩下がる。そんな苦悩の痕跡はどこにも残ることなく、目の前の画面は真っ白なまま。今日もまた、1行すら書くことができなかった。

これが、一週間前までのぼくだ。

noteへ最後に作品をアップしたのは、半年前の一度きり。それすらも一年半ぶりの投稿だった。これまでの怠惰な自分に別れを告げるべく、過去の投稿の一切を削除して(これも良くなかった)心機一転、なんとか短い文章を書き上げたものの、三日坊主どころか一日で投稿は終了。自分はなんてダメな奴なんだろうと、とことん落ち込みまくった。

あれから6ヶ月。毎日パソコンの前に座れど、ぼくはたった一つも作品を書くことができなかった。

それがある日、突如として世界が変わった。

何かきっかけがあったわけじゃない。長期間書けずに溜まっていたフラストレーションがメルトダウンを起こしたのかもしれないし、ぼくが気づかない小さな出来事がどこかであったのかもしれない。物語のようなターニングポイントなんてそうそう起こらないし、きっかけがなければ人は変われないわけでもない。

ぼくは決めた。毎日一本、作品をnoteに投稿してみようと。

それから一週間。昨日までの6日間で計6作品。なんとか書き上げることができた。たった6日間のことだが、書けなかった日々を考えれば劇的な変化だ。やればできるもんだと、自分が少しだけ、ほんの少しだけ誇らしくなった。

実は、この連続投稿を始める前に、ぼくはもう一つだけルールを決めていた。
それは、一作品を「90分」で完成させるというものだ。

これは実際の文章を書いている時間だけでなく、作品のアイデア出しやプロットを考える時間、簡単な手直しを加える時間も含めたもの。つまり、まったくのゼロから90分で一本の作品を書き上げる。そういう試みだった。

6作品の合計文字数は20,931字。つまり1時間あたり2,300文字の作品をつくったことになる。よくネットなどで速筆家の話を聞くが、アイデア出しなども含めたトータル換算でこの量はそれなりのものではないだろうか、と密かにドヤ顔をしてみる。

前置きが長くなってしまった。今回は、ぼくのように「書けない」ことで悩んでいる方の助けに少しでもなればと、ぼくがこの偉業(?)を達成するためにとった方法を書いてみたいと思う。
とはいっても、それはすでに書いてある。

もうおわかりだろう。90分で一作品書き上げるというルール、これだ。

元々、毎日note投稿のために確保できる時間がそのくらいだったから、という理由で決めたルールだったのだが、振り返って分析してみると、それが功を奏したのだとわかった。
なぜならこのルールによって、以下の3つの効果が得られたからだ。

1.他人の評価を気にしなくなった。

書けなかったころは、自分の考えた物語が、自分の書いた文章が他人にどう見られるのかを必要以上に意識していた。どんな話がウケるのか、どんな文章なら上手いと褒めてもらえるのか、そんなことばかり考えていた。

評価基準を自分の外に求めるのは悪いことではないが、結局はどんなものでも蓋を開けてみなければわからないのが現実だ。書く前からああだこうだと悩んでいても、はっきりとした正解がない以上いつまでも堂々巡りなのは目に見えている。どこかで折り合いをつけ、根拠の乏しい自信を奮い立たせながら、なんとか進めていくしか方法はない。

「90分ルール」は、あれこれと悩んでいる時間がまったくない。少しでも手を止めると、あっという間に10分、20分と時が過ぎていく。後ろを振り返らずに、ひたすら前に進むしかない。

ぼくはアイデア出しをしているときも、プロットらしきものを考えるときも、常に手を動かしながら思い浮かんだものをすべて書き出していった。書きながらすべての方向性を決めていった。不安や不満があったら、それも書き出した。とにかく思考を脳内に留めない。それが良かった。

2.自分の評価を気にしなくなった。

他人の目と同じかそれ以上に厄介なのが、書き手本人の目だ。

自分はもっと面白い物語が作れるはずだ。もっと上手い文章が書けるはずだ。そうやって高みを目指すのは大変結構な心構えだが、上ばかり見て足元がおろそかになっているから、現在の自分を正確に評価できていない。

書けない日々が続けば続くほど、自意識ばかり高くなっていく。自分の中に作り上げた架空の編集者やエア読者は日に日にその数を増やし、自分勝手な意見の雨あられがキーボードを打つ手を止める。

文章上達にワームホールは存在しない。進む速度に違いはあれど目の前の階段から一歩一歩進んでいくしかない。足元がおろそかになっていると、その一歩が踏み出せない。

「90分ルール」は、そんな自意識すら黙らせる。とにかく作品を書き上げないことには、手直しの時間も見積もれない。特に短編小説やエッセイはとりあえず一通り書き上げてからブラッシュアップしていったほうが効率がいい。

3.アイデアに困らなくなった。

毎日一作品を投稿すると決めたときに最も危惧していたのがこれだ。

いくら短編とはいえ、毎日新しい物語のアイデアを、しかも執筆時間も含めた90分の中で考えるなんて、無理が過ぎるんじゃないかと思った。

ところが、いざやってみると意外なほどまったく困らなかった。

物語の種はそこら中に眠っていた。noteでは定期的にお題を募集しているし、「今日は何の日?」を調べて、そこから話を考えるなんて方法も思いついた。

アイデアがウケるかどうかも気にしない。思い浮かんだネタがとりあえず物語になりそうだったら、とりあえず書いてみる。書くことで考えが深まり、単純なアイデアが少しずつ膨らんでいく。種が芽を出し、太い幹となり、枝葉をつけてやがて花を咲かせる。そういった道程は、手を止めてウンウン唸っているだけでは決して辿り着けない。身をもって知った。

ぼくは「90分」以外の時間、あまり小説のことを意識していない。それでも街を歩いているときや友人と何気ない会話をしているとき、一人でゲームをしている最中でさえ、ふとしたことで「あ、これはネタになりそう」と思う瞬間が増えた。いまのところそういった思いつきはあえてメモなどしないようにしているが、上手く活用すればもっとたくさんの話が書けるようになるかもしれない。

と、まあ、こんな感じで一週間続けてきたのだが、連続投稿はひとまずお休みしようと思う。
90分ルールをあれこれと試すなかで、色々と課題も見えてきたからだ。

一つは推敲の問題。現在のやり方では90分の中で推敲時間がほとんど取れず、簡単な事実齟齬と誤字脱字のチェックくらいで済ませてしまっている。もちろん、納得がいっているわけがない。
いずれまとまった時間を作りしっかりと手直しをしようかな、とも考えている。そういったことができるのもweb投稿の強みだ。

制限時間を延ばせばいいのでは? とも思うが、考え無しにだらだらと延長しても本末転倒な気がする。延ばしても120分くらいがギリギリかなぁと考えている。

もう一つはボリュームの問題。短編ないしエッセイはその日その日にゼロから話を作ることがなんとかできるが、長編やシリーズものを書く場合はそうもいかない。少なくともいまのぼくの実力では、もう少ししっかりとした下準備が必要だ。

そんなことを言いながら、明日もしれっと更新するかもしれないし、しばらく更新しないかもしれない。それでも以前とは心持ちがまったく異なるから、心配はしていない。

為せば成る。

手垢の付いた言い回しだが、この一週間でぼくが得たのは、この五文字に集約される。余計な言葉はいらない。ここまでだらだらと文章を書き綴った自分が言うことではないが。

以上。このやり方がたまたまぼくに合っていたというだけで、各々の得手不得手や執筆スタイルによって、当然向き不向きがあるのだろう。それでも書けない物書き仲間に、ほんのわずかでもいいから何かしらのきっかけになれば、と願う。

現実世界のターニングポイントは、得てしてそういった些細なものだから。

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