「正解がない」を怖がらないでね
小学生の頃の私は、「大人は何でも知っている」と割と本気で思っていました。
あなたは、どうでしたか?
私の場合は、ですね。
この世の謎はもう全て解明されていると思っていたし、大人というのはそれぞれの得意分野について隅から隅まで理解しているものだと思い込んでいたんです。
私は読書がそりゃあもう大好きな子供で、その理由の1つが「知らないことを教えてくれるから」でした。
この世の知識というものは、どうやら1人の大人が全部網羅しているわけではないらしい。
でも少なくとも誰かは解明してくれている(誤解1)。
解明している人がいるなら、必ず本が出ている(誤解2)。だから本を読めばどんな謎も理解できる(誤解3)。
自分に分からないことがまだまだ多いのは、読書量が足りていないからなのだ、と(これはあながち誤解でもない)。
今振り返るとゾッとするほど未熟、かつ、ある意味魅力的な感性です。
その認識が間違っているらしい、と気がついた瞬間は、衝撃的な体験でした。
何がきっかけで気づいたのか、今どうしても思い出せませんが、衝撃を受けて呆気にとられ、絶望的な気持ちになったことを覚えています。
「正解のない仕事」をしている今、感じる希望
今の私は、絶望は感じていません。ただ当たり前の事実として「この世の出来事には、むしろほとんどの場合【正解がない】」と感じています。
ライターとして働き始めてから、【正解がない】と実感する機会が増えました。なにしろ、一つ一つの文章がそうだから。【正解がない】。
日和見主義な性格の自分にとって、これは正直、結構大きな恐怖です。
ある人が好きだと言う文章を、別の人は嫌いだと言う。そんな当たり前のことが、当事者になったとたん「こんなに重たいことなのか」と感じるようになりました。
でも、これってべつにライターに限ったことじゃないんですよね。
事務職、クリエイター、接客業、研究職、営業職、調理師、ドライバー、政治家、医師、裁判官、石油王、……、……(以下無限)。
どんな仕事も本当は【正解がない】。
部長のお気に入りの施策が、課長にとって震えるほど腹立たしい。そういう事態は、どこの職場にだってあり得る話なんですよね。
誰もが【正解がない】中で奮闘しているんだな。
というようなことを考えると、恐怖が少し和らぐので、「本を読めば何でも分かる」と信じ込んでいた子供時代の記憶とともに噛み締めています。
何にも【正解がない】ということは、
ひょっとしたら、
【ぜんぶ正解】と同じことなのかもしれない。
なんてね。
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