見出し画像

幼児のころのこと

生まれてから6歳まで、私は奈良の山奥で育ちました。
今日は、そのころの思い出というか、生活について書いてみたいと思います。

家は平屋で、広い庭があって、トイレと風呂は屋外にありました。
お風呂は、いわゆる五右衛門風呂で、薪をくべて炊くようになっていたと思います。
居間に大きな掘りゴタツがあって、冬はよくその隅っこで母が甘酒を作っていたのを覚えています。
電話はなくて、近くの商店まで借りに行っていました。
しかもこのころの電話は、直接相手につながらないのです。
まずハンドルをグルグル回して、電話交換所? につなげます。で、相手の電話番号を言って受話器を置いて、しばらく待ちます。そうすると、電話がかかって来て、取ると相手につながっている、という仕組み。
たまに、昭和初期を舞台にしたドラマなんかで見かけると思いますが、私が幼児のころ、山奥ではまだあれが主流でした。

そういえば、電話は昔は番号を取得するのも安くないお金が必要だったみたいです。
このあたりの記憶は曖昧ですが、上記の奥地から、今いる都市に引っ越して来た時、母の希望で電話を設置することになりました。でも、最初は父が難色を示していたような記憶があります。
更に後年、よそで働いていた弟が戻って来た時、もう一台電話を設置することになって、その時に父が、お金がいるからどうこう……とこれまた難色を示した記憶があるのです。
ただ、そのころにはさほど大金がいった記憶はないので……おそらくは、「昔はそうだった」ってことなんだろうなあと……。
あ、もちろん、私の記憶違いで、実際にはそれほど大変なことではなかったのかもしれませんけれどもね。

ともあれ、そのころの電話事情を思い出すと、今のこの、「一人一台の携帯電話」とか「パソコンで、遠くの知らない人とも話したりやりとりができる」状態が、魔法のようだなーと思ったりします。
もし子供のころに、今のこの状態を教えられたとしても、きっと信じらなかったでしょうね。

冬場はすごく雪が積もって、一度は父が木枠に雪を盛って、かまくらを作ってもらったこともあります。
なので、温かい今の土地に越して来て、全然雪が降らないことを、子供のころはけっこうさみしく感じたりしていましたね。
今は、降ると身動きできなくなるので、困りますが(爆)。

noteアカウントがなくてもできますので、気が向きましたらご支援よろしくお願いします! いただいたサポートは、活動のために使わせていただきます!