【先行配信】『サリの物語』第2章 許されない想い~4
『あやおり工房楽屋裏』、今回も先行配信になります。
長編ファンタジー小説『サリの物語』を、小説投稿サイトの更新よりも一週間早く、お届けします。
『サリの物語』は、貴族の娘でありながら、父の失脚後に騙されて売られ、奴婢となった少女が幸せをつかむまでの物語です。
序章・1章では、奴婢となるまでと、そののち主一家が亡くなり、都の貴族の奴婢となるまでが描かれます。
続く2章は、貴族の屋敷での日々となるわけですが……。
なお、これまでの物語は、以下からお読みいただけます。
それでは、続きをお楽しみください。
第2章 許されない想い~4
その日から、クレマンはたびたび薬草園を訪れるようになった。
むろん、サリに会うためだ。
さすがに最初のように、従者も連れないままではないものの、サリの姿を見つけて声をかけたあとは、従者にはあれこれ用を言いつけて、傍から離れているようにさせるのが常だった。
サリの方も、気さくに話しかけて来る彼の姿に、不思議と心が和むのを感じていた。
自分は奴婢で、相手は屋敷の若様なのだと理解はしていたものの、優しく明るい彼とのやりとりは、失った過去の日々を彷彿とさせて、幸せな心地になる。
季節は夏の盛りの赤の月へと移り、薬草摘みの仕事は早朝の涼しい時間に行われるようになっていた。そうなると、仕事のあるクレマンは来られない日も多くなっていたが、それでも休みの日には姿を見せる。
だが、そんな彼とサリの姿を、共に薬草摘みをしているアンナとサンドラの二人は、いささか心配げに見ていた。
「……薬草摘みに来ているのが、わたしたち三人だけで、よかったですね」
ある時、低く吐息をついてサンドラが、アンナに言ったものだ。
「クラーラあたりに見られたら、その日のうちに、噂が屋敷中に広がってましたよ」
「クラーラ?」
思わず眉をひそめるアンナに、サンドラは小さく肩をすくめる。
「屋敷内で妙な噂が出回ったり、奥様に他人のことを告げ口したり……たいていは彼女の仕業だそうですよ?」
「どういうこと?」
尋ねるアンナに、更にサンドラが言うには、それは屋敷で一番古くからいる侍女のエリカから聞いた話だという。
クラーラは、他人の話に聞き耳を立てたり、こそこそと秘密を嗅ぎまわるのが得意で、そうやって得た情報を噂として屋敷中に流したり、主夫妻に密告して面白がっているのだそうだ。
「エリカさんが言うには、彼女と一緒にこのお屋敷に上がった者たちが今は一人もいないのは、クラーラが来てから、そうやって追い出されたからだとか」
サンドラは、そんなふうに話を締めくくる。
それを聞いて、アンナは目を見張った。
ここに来て四年になるが、彼女はクラーラともエリカともあまり接点がないため、まったく知らなかったのだ。
同じウラリーに仕える侍女といっても、それぞれに仕事の分担は異なっている。
彼女とサンドラともう一人、リニアの三人は北屋の奥の担当だ。
ウラリーが北屋で居心地よく過ごせるように、寝室や居間などを整えたり、食事やお茶の支度、給仕などをするのが仕事だった。
一方、クラーラとエリカともう一人、マチルダの三人は、母屋でのウラリーの世話をする。
来客時の接待や、お茶の支度や給仕をしたり、領地内から届いた書類を執務室に届けたりといった仕事をしていた。
もちろん、今のように季節によっては薬草摘みをしたり、大掛かりな宴やお茶会の支度に駆り出されることもある。だが、たいていは家政婦長であるエリザの指示の下、割り当てられた棟で与えられた仕事に従事するのが常だ。
とはいえ、言われてみれば、納得する部分もある。
というのも、この屋敷の待遇はさほど悪くないのに、古くからいる侍女がエリカとクラーラの二人だけというのが、アンナには少し不思議だったからだ。
彼女の経験上、女の使用人が長く居つかない屋敷は、だいたい待遇が悪いことが多い。
主一家や家政婦長が暴力的だったり横暴だったり、使用人の間に派閥があったりするのだ。
(コンヴィシャス伯爵家も、使用人の人数が多いだけに、いろいろあったわよね)
アンナはふと、そんなことを思い出す。
コンヴィシャス伯爵家――サリの父の屋敷は、内外に絶対的な権力を持つ正妻のオリヴィアの派閥と、侍女たちの間から伯爵の妻に成り上がった第二夫人のアニタ・アシュベリーの派閥、そして自分たちも折あらば主の妻の座をと狙う、どちらにも属さない派の者たちに分かれていたものだ。
そんな中で、当時のアンナは少しばかり微妙な立場にいた。
というのも彼女は、オリヴィアの娘で伯爵が溺愛しているサリの筆頭侍女でありながら、アニタとは同郷で幼馴染だったからだ。
そのせいで、一部の侍女たちからは、どっちつかずの日和見主義者と見られていたし、どちらにしても、今一つ居心地はよくない状態だった。
それでも屋敷を辞めなかったのは、令嬢の筆頭侍女という地位が捨てがたかったからでもあり、サリを主として嫌いになれなかったからでもある。
(あの当時の私は、お嬢様に一生仕えて過ごすのだと、そう思っていたわね……)
アンナは、少しだけ苦く胸に呟いた。
だから、サリに王の後継者との縁談が持ち上がった時も、自分のことのように喜んだのだ。
それがまさか、何もかも瓦解する日が来るなどとは、思いもしなかったけれど。
それはともかくとして。
今のサンドラの話が本当ならば。
(私とお嬢様が会っていたのを見たと、奥様に告げたのも、クラーラかもしれないわね。彼女には、気をつけないと)
胸に呟き、アンナはサンドラをふり返る。
「知らなかったわ。教えてくれて、ありがとう」
「いいえ。……お互い、気をつけましょ」
礼を言うアンナに、サンドラは笑って返した。
だが。
若様が奴婢と毎日のように、薬草園で会っている――そんな噂が、屋敷内で囁かれ始めたのは、二人がそんな話をしてほどないころだった。
けれど噂は、まだ使用人たちの間だけのものなのか。
クレマンは変わらず従者を連れて、薬草園へやって来る。
サリも笑顔で彼の相手をしているし、エリザやウラリーからサリに薬草摘みをやめさせようという命令も降りては来ない。
アンナは内心焦りを感じて、ある日の薬草園からの帰り、つと声をかけた。
「サリ、若様と話すのはやめなさい。……二人のことが、噂になっているわ」
それだけでサリは彼女の言いたいことを、察したようだ。
一瞬顔色を変えたあと、「はい」と小さく頭を下げた。
とはいえ、奴婢のサリが独断でエリザやウラリーから命じられた仕事を、放棄することはできない。それはアンナにもわかっていたので、その日の夜、エリザに人目のないところで話をした。
エリザはすぐに事の重大さを理解してくれたようで、ウラリーに話すことを約束してくれた。
そして翌朝には、サリは薬草摘みをもうしなくていいと命じられ、本来のウラリーとエリザの事務仕事の補助に戻ったのだった。
そんなわけで。
サリが薬草園に行かなくなって、数日が過ぎた。
その日は珍しく雨で、おかげでいつもよりも少し涼しかった。
サリは、果樹園から送られて来た書類を仕分けながら、小さく吐息をつく。
(若様は、どうしておいでかしら……)
脳裏にふと、クレマンのことが浮かんだ。
きっと自分の姿が見えなくなって、不審に思ったことだろう。
とはいえ、悪い噂があると知ってまで、彼と今までのように会えるわけがない。
アンナから忠告された翌日に、エリザから薬草摘みに行かなくていいと命じられた時には、ホッとすると共に、少しだけ寂しい気持ちが湧いた。
今も、彼と会えないことを、悲しく感じる。
けれど。
(バカね、わたし。奴婢のわたしが、大貴族の若様と釣り合うわけがないじゃない。……というか、若様も、きっとよそから来た奴婢が珍しかったから、あんなふうに声をかけてくださったんでしょう。気さくで、優しい方ですもの……)
自分で自分に言い聞かせ、彼女は無理矢理、仕事に集中しようとした。
と、ふいに部屋の外が騒がしくなる。
「何かしら?」
書類に目を通していたウラリーが顔を上げ、眉をひそめた。
その時、扉が大きな音と共に開かれて、止めようとする侍従たちの手をふり切るように、クレマンが部屋に飛び込んで来る。
「サリ!」
驚きに目を見張る彼女たちを尻目に、クレマンは叫ぶなり、サリの方へと駆け寄った。
「若様?」
思わず彼を見つめるサリの手を、クレマンは取る。
「サリ、今から私と共に来てくれ。以前、君に摘んでもらったバイロンが、お茶に仕上がったんだ。だから、一緒に飲もうじゃないか。もちろん、それに合う菓子も用意させた」
言って彼は、強引にサリの手を引っ張った。
「あ、あの……若様……!」
サリは、戸惑って声を上げる。
貴族の若者が奴婢をこんなふうにお茶に誘うなど、あり得ないことだった。
もちろんサリは、奴婢となってから今まで、身分の高い者からこんな誘いを受けたこともなかったし、他の奴婢がそうされているのも見たことがない。
なので、どうすればいいのかさえ、わからなかった。
「やめなさい、クレマン」
クレマンを制したのは、ウラリーだった。
「サリが困っているでしょう。手を離しなさい」
「私はただ、サリを誘いに来ただけです。母上は、黙っていて下さい」
だがクレマンは、サリの手をつかんだまま、ウラリーに返すばかりだ。
「クレマン、あなた……」
そんな彼の姿にウラリーは、軽く眉をひそめる。
立ち上がると、彼の傍に歩み寄った。
次の瞬間、クレマンの頬が鳴る。
「あ……!」
衝撃に、クレマンは大きく目を見張った。
「部屋の外に連れ出しなさい」
ウラリーが、彼を追いかけて来た侍従たちに命じる。
一瞬あっけに取られていた侍従たちも、その声に動きだした。
クレマンはサリから引き離されて、そのまま部屋の外へと連れ出されて行く。
それを見やってウラリーは、エリザに仕事を続けるよう命じて、自分も部屋を出て行った。
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