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経済学の前に「倫理と道徳」―経済学論考 2―

アダム・スミスは元来、経済学者ではなく哲学者であり、国富論の前に出版されていたのは「道徳感情論」という倫理哲学書だというのは意外と知られていません。
そう、経済学には前提として「倫理学」が必要になるのです。
さて、この倫理と似た言葉で「道徳」という言葉があります。
皆さん、倫理と道徳の違いをご存じですか?
私も良く分かってはいません。実は何度も興味を持って調べるのですが、いつの間にか頭から抜け落ちるのですよね。倫理と道徳が似ているからなのでしょうか?

そう、倫理と道徳は似ているのです。ですが、似ている、ということは違うところもある、ということです。
今回、改めて調べて「大雑把にこのような理解で良いのではないか?」ということがようやく自分の中で確立してきたので、それを書き出します。

■倫理
倫理は、社会的集団の規範を示す概念です。
人として守るべき規範を示し、
社会で守るべき規範を示し、
社会で人がその規範を守ることによる効果を観察します。
その規範は「外部」から与えられます(異論あり)。

■道徳
道徳は、社会的集団の行動規範を示す概念です。
人として善悪の行動を示し、
社会での善悪の行動を示し、
社会で人がその行動規範により発生する効果を観察します。
その行動規範の善悪の判断は「内部」から発生します(異論あり)。

「(異論あり)」は私にとってだけではなく一般的な意見でも異論があるところであり、またその異論が、倫理と道徳の区別を曖昧にします。
とりあえず、曖昧な部分は結論で説明するとして、もう少し解説します。

誤解を恐れずに思い切って書いてしまえば、
倫理とは規範(枠)を提供するものであり、
道徳とはその倫理的な規範に基づいた行動が善か悪かを評価することで成立する概念
なのです。

倫理は測りであり、道徳は倫理を使ってその行動を測ること

これが一番すっきりとする一般的な解釈で良いと思います。

但し、気を付けなければならないところがあります。
それはこれだと、
「倫理さえ知っておけば、道徳は知らなくてもよい」

「道徳は倫理の端女」
という倫理上位・道徳下位という誤解が発生しないか?ということです。
これが、先述した「(異論あり)」に繋がる部分でもあります。

改めて説明すると、倫理の前述した
「その規範は「外部」から与えられます(異論あり)」
ですが、倫理もその研究がどんどん深まれば、内なる神に問い、倫理を内部から発生させることに繋がって行く場合があります。

道徳も
「その行動規範の善悪の判断は「内部」から発生します(異論あり)」
ですが、これもその内部における道徳的な善悪の判断基準が、親兄弟、地理的状況や政治的状況、その生活空間という外部から与えられ育まれていることに気づいたりします。

一般的には
倫理は測りであり、道徳は倫理を使ってその行動を測ること
これはよいのですが、この理解の上で、

行動の結果、規範の枠が変更を迫られることや、枠そのものが実は枠を設定する人たちの内在する意思から生まれている可能性があることも忘れてはならない、

というのが、倫理と道徳の定義づけとしては適切なのではないか、と思われます。

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