織葉

何か新しいことを始めたいと思い、noteに登録しました。自分の感じたことや記憶に残って…

織葉

何か新しいことを始めたいと思い、noteに登録しました。自分の感じたことや記憶に残っていることを書いていきたいと思っています。

最近の記事

色んな人生

大学時代の部活の仲間の一人が日本タレント名鑑に載った。 大学在学中にアイドルデビューした友人がいたので、大学の知り合いという枠組みでは二人目だ。 思えば、高校の同級生(知り合い)はNHKアナウンサーや劇団四季、アニメーター、大人なDVDを出した人がいたりして、私が知り合いが多いだけなのか分らないけれど、とにかく色んな人生を歩んでいる人がいる。 そんな特異(?)な職業じゃなくても、元カレは2人とも教員(どちらも教員であることを信じたくないような人物)だったり、小学校からの

    • どうでも良いこと

      noteをしばらく放置してしまった。 私は書くことが好きだと思ってパソコンで小説を書く時期と、書くことから遠ざかる時期を繰り返している。自分自身、継続があまり得意でないと感じている。 大抵のことは毎日の積み重ねがあってのものだと思っているので、私は何も成し遂げることがないのではないかとたまに途方に暮れる。 成し遂げたところで、最後には死んで終わりだから、そんなに深く考えなくとも良いのかもしれない。 仕事が忙しいし、今の職場は5年目だが、疎外感が拭えない。だからといって

      • 私の未来

        小学生の頃、同時多発テロ事件をリアルタイムでテレビで見た。その後、数年に渡って日本に向けて核弾頭ミサイルが発射されている。(最近も。) 10代の頃、親から「日本に産まれてよかったね」と何度か言われた。 私は子どもは今居ないけれど、もし、子どもが出来たときに、「日本に産まれてよかったね」とは多分言わないと思う。 親は、子を守る気持ちが強くて、そういう視点では銃社会等と比較して「日本に産まれてよかったね」と言ったのかもしれないけど。  最近、虚しい気持ちが続いている。人生

        • 【小説】私を見くびるな

          「恋人の携帯電話は絶対に見てはいけない」 恋愛に無縁な頃から知っていたのに、私は酔っ払って眠るタカシの指で指紋認証を突破していた。 結婚を匂わせるとすぐに話題を逸らし、定期的にLINEをやりとりしている相手を教えてくれないタカシの責任だ。真っ暗な部屋でタカシの待ち受け画面の幾何学模様と、整列したアプリを眺める。今ならまだ「何も知らない」状態に引き返せると思いつつ、そうやって気持ちを誤魔化してきた私に知る権利を下さい!と言わんばかりにLINEを起動すると、即座に「mio」とい

        色んな人生

          親の不仲が子に与える影響

          親が不仲になった高校〜大学生の頃、死について考えない日はなかったし、毎日死にたかったし、消えたかったし、今死んだらとか、どうやって死のうとかよく考えていた。 両親は元々かなり仲が良かったが、ある日を境に突然不仲になった。高一の途中くらいだったと思う。最低限しか会話しなくなり、互いに嫌がらせを始め、家庭内で見張り合い、一定の距離を保ち続け、何か気に食わないことがあれば言い合いになった。 二人は子供には普通に接してきていたので余計に辛かったし、なぜそうなったか聞けなかった。聞

          親の不仲が子に与える影響

          【小説】紫陽花の君

          人生で初めて女の子に告白された。 高本さんが教室を出て行ってしばらく経っても、僕の心臓は、まだドクンドクンと大きな鼓動を響かせている。この鼓動は「傷つけてしまった」という罪悪感と、突然カミングアウトしてしまったことへの後悔、自分で言ったくせに、ばらされたらどうしようという不安が入り混じっていた。 高本さんはうちの高校で、同じ中学出身の一人だ。 中学3年生の時に初めて同じクラスになって、修学旅行で同じ班になり、一緒に京都の名所を廻った。班は、男女分かれて3名のグループを作り、

          【小説】紫陽花の君

          紫陽花が綺麗

          梅雨は大嫌いだ。 湿気が多く、雨も降り、暑いのか寒いのかよく分からない。寒い気がするのに顔や首は汗びっしょりで、拭いても拭いてもカラッとしない。 気持ちもおかしくなる。不安定な空は私の心を移しているようで、心の雨や湿気にも、同じくうんざりする。 紫陽花が綺麗なことだけが救いの季節が梅雨だ。紫陽花の、一つ一つは花じゃないというけれど、天然の花束と言って良いと思う。もこもこと紫陽花が咲いているのを見ると、そのまま紫陽花に飲み込まれたくなる。 体調を崩して有給休暇をポツポツ

          紫陽花が綺麗

          らんちう/たま

          私はたまが好きだ。 たまは、1990年に「さよなら人類」で一世を風靡したバンドで、一世を風靡した頃は私は産まれていなかったか、産まれたてホヤホヤだったが、17歳の頃、唐突に出会ってしまった。 「さよなら人類」のシングルCDが、家の片隅にあることは知っていた。小6で初めて買ったCDが中島みゆきの「地上の星」で、誕生日にアルバム「大吟醸」を祖母から買ってもらうくらいには渋好みだった私も、高校生の頃には鬼束ちひろや椎名林檎にはまっていた。(なぜかCoccoは聴かなかった) だ

          らんちう/たま

          悲しみは地下鉄で/モーモールルギャバン

          大学生の頃の話です。 入学後に入った部活で好きな男性が出来、半年後の秋には振られてしまいましたが、一緒に部活をやっていく仲間として、切ない気持ちは抱えつつ過ごしていました。 2年生になり、彼は部内の同期の女の子と付き合い始めました。その頃には、私の恋心は少し落ち着いていましたが、夏に入った頃、部活の2日に渡る催しの1日目終了後、彼はこっぴどく振られてしまいました。 部内の恋愛沙汰はまたたく間に広まり、催しが終わる頃には部員全員が経緯を知っていました。彼は打ち上げで号泣し

          悲しみは地下鉄で/モーモールルギャバン

          インターネットに文章を投稿するということ③小5でホームページを開設した経緯

          こんにちは。記事を開いてくださりありがとうございます。 今回はホームページを開設した小学校5年生の頃のことを書いていきます。 友人から「ホームページ開設しました」というメールが届き、恐る恐るリンクをクリックしたところ、そこにはまごうことなきその子の「ホームページ」がありました。 当時、「楽天ホームページ」という、登録してフォームに入力さえすれば簡単に、無料でホームページが作れるサービスがあったのですが、(その後たしか「楽天ブログ」になり、「ホームページ」のサービスは終了

          インターネットに文章を投稿するということ③小5でホームページを開設した経緯

          親知らず抜歯後の食事の感想

          一週間前に親知らずを抜きました。 https://note.com/oriha_101044/n/n7de6895bf3f5 親知らずの抜歯前、抜歯した後の食事についてはかなりインターネットで調べました。おかゆや茶碗蒸しなどあまり嚙まないものが良い、当日は熱いものや辛いもの、硬いものは避けた方がいいという説明が多かったです。 抜歯後、歯医者さんにも食事について聞きましたが、「熱いもの、辛い物は避けてください。あとは何を食べてもいいです」との説明でした。 前回のnote

          親知らず抜歯後の食事の感想

          上のまっすぐ生えてた親知らずがなかなか抜けなかった話

          昨日、親知らずを抜きました。 奇跡的に上下ともまっすぐ生えていたので放置していたのですが、前歯の治療のために歯医者さんへ行った所、上の親知らずが2本とも虫歯になっていたのです………。先生によると、まっすぐ生えてはいても歯ブラシが届きにくいことは間違いなく、このまま治療をしても親知らずの前の歯に悪影響かもしれない、とのことで、抜歯を決めました。 一気に複数本は抜歯しないとのことで、まずは右上の一本を抜くことに。 麻酔をかけているので、ペンチでグイグイしているのが分かりまし

          上のまっすぐ生えてた親知らずがなかなか抜けなかった話

          インターネットに文章を投稿するということ②自宅にパソコンが来た小五の頃

          最初にはりきる癖は幼い頃からです。織葉と申します。 ①から間髪入れず②の投稿です。 小学校四年生でインターネットと出会った私ですが、小学校五年生になると、自宅にパソコンが導入されました。 幼い私が飛びついたのは、「ワードパッド」と「ペイント」でした。 ワードパッドは、自分の入力した文字が様々なフォントで表示されることに異常に興奮しました。当時、単語としての「ゴリラ」にハマっていた私は、あらゆるフォントで「ゴリラ」と打ち込んでは爆笑していました。 ペイントは、元々絵を

          インターネットに文章を投稿するということ②自宅にパソコンが来た小五の頃

          インターネットに文章を投稿するということ①インターネットとの出会い

          初めまして。織葉と申します。 何か新しいことを始めたいと思い、noteに登録しました。 自己紹介がてら、私自身の「インターネットに文章を投稿するということ」について、少し考えていきたいと思います。 私がインターネットと出会ったのは、小学四年生です。 小学四年生になったとき、市内の別の小学校へ転校したのですが、転校先の小学校は、それまで通っていたところと比べ、生徒数が1.5倍でした。また、立地も市内では駅に近い方面だったこともあったと思いますが、子ども心に「前の学校より

          インターネットに文章を投稿するということ①インターネットとの出会い