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友達の定義。私の友達は1人だけ。

友達の定義ってなんでしょう。

「友達100人できるかな」とか、
「友達何人いる?」という話題が聞かれることがありますが、
友達の定義って本当に千差万別だよなあという話を今日はしていきたいと思います。

ふわっと思ったことをふわっと書いているので、ふわっと読んで頂けたら嬉しいです(*^_^*)



友達の定義について考えるきっかけとなったのは、ある日の夫との会話の中でのこと。
夫が友人の結婚式に参列した数日後、一緒に席次表を見て「よくこんなに呼ぶ人がいるよね」という話になりました。

夫と私はどちらも深く狭くのタイプ。
かつ、色んな気持ちをぐるぐると考えるタイプ。

「こんなに呼ぶ人いないよ」
「誰を呼ぶ呼ばないも面倒くさいし、呼ばれなかった人が悲しい気持ちになるのもやだし」
「呼んだけど、なんでって思われるのも嫌だしね」
「たぶんたくさん友達がいる人ってそうゆうことあんまり考えないし気にしないんだろうね」
「人によって友達の定義も違うしね」

と、そんな会話を繰り広げておりました。
そこから改めて一人で友達の定義について考えてみました。



自分にとって「友達」と呼べる人、呼んでいる人はどんな存在なのか。



小学校や中学校が一緒で、今でも1~2年に一回思い出したように会う子。
以前の職場が一緒で、時々ごはんに行く子。

時々会う子はいるけれど、
「中学の時の子」
「前の職場の子」
家族に〇〇と会いに行くと伝える際の伝え方は、所属名などでざっくりしている。

それに比べて、
一生で一度、わたしの中で友達カウンターが動いた存在の子の場合。
「〇〇(名前)と遊んでくる」
と名前で家族に伝えている。
もちろん話に出す回数の違いもあるが、

私の中では、
会話をしようと思わずとも話が出てきて、
無言の時間にも気づかない、
ふとした思いつきで誘える、
そんな存在しか「友達」と呼んでいなかったことに気づきました。



このnoteを読まれている方はどうでしょうか。
ありえない、びっくりと思うのか
あるいは共感される方もいらっしゃるのか…
きっとそれぞれ違うことを感じると思います。



今回、友達の定義を考える上で面白いなと思ったのが、友達の存在も思考の癖が関係しているんじゃないかなということ。

例えば、「嫌われるのが怖い」「否定されるのが怖い」という考えがどこかにあると、友人を誘うのも「断られたらどうしよう」などと考えることがあると思います。
そうなると、そう考えてしまう相手との関係性はそこまで信頼がなかったり、自分の中でもどこか一歩距離を置いているのかなと気づきがあったりします。

一方で、「断られても気にしない」という考えの人の場合、そもそも上記のような考えもないでしょうし、関わり方も「窺う様」ではなくて自分から近づいていくんだろうなあと思います。



そう思うと、考え方や捉え方の違いで友達の定義が変わりますし、そもそもの接し方が変わる。
接し方が変わることで関係性も変わるかもしれない。



今の状態を変えようと思ってはいませんが、
もし変えたいと思っている場合、もしかしたら少し変えるだけで思ってみないところが変わっていくのかなと思い、なんだかわくわくした気持ちになりました。
変化は良い変化も悪い変化もどちらでもあるので、なってみないと分かりませんが、やっぱり人生ってすべてつながっていて面白いなと思った日でした。


改めて、1人の友達をこれからも、おばあちゃんになっても大切にしたいなと思います^^



本日もお読みいただきありがとうございました💛
それでは、また!





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