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紫檀のライトを焚いて死にたいⅡ/あんスタ!!ボギータイム感想文Ⅱ

物語には終わりがある。
彼らの物語もいつか終わる。ならば物語の終わりまで、私は私が見つけた輝きの行く末を見届けたいと思うのです。

*

七種茨の精神性が好き。
どれだけ過酷な状況に落とされても絶対に這い上がる強さと、誰より「生きること」を渇望している貪欲さが好き。
でも、もし…もしも叶うなら、たとえファンに見せる姿が偶像だとしても
「七種茨」が好きな人はここにいるよ!ということが、いつか茨先生の心に届いたらいいな、と思う。

七種茨を考える①ーファンレター読まない問題

七種茨のファンになったとき、真っ先に思ったのは
「おそらく七種茨宛にファンレターを書いたとしても、この人はこちらの意図を取り違えるだろうな」ということでした。

毎日たくさんのファンレターが事務所に届き、開封し、読んだとして
ファンからのメッセージに感情を動かされているビジョンが、まるで見えないのです。

それは彼が育った環境がそうさせたのか、彼がプロデューサーであるからなのか。
両方だろうなと思いつつ、どちらにしてもファンレターから『愛』は受け取らない。

ファンの声が力になる、なんてのは言葉の綾で
『精神的な支えにする』のではなく『ファンが今求めていること』を推察してEdenのビジネス戦略に反映させるのが、茨にとってのファンレターなんだろうなと思いました。
「○○という番組での殿下とジュンの絡みはやはりウケが良かったようですね!」
とか、クソ真面目に分析するんだろうな、と。

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あくまでファンからのメッセージは営業戦略考のツール、市場調査にすぎなくて「それはどうして?」と聞かれたら

「自分がファンに見せている姿は偶像であり、本来の自分とは似て非なるものだから」

と、答えそうな気がします。
『商品としての七種茨』に対する反応は、『七種茨という人間』への反応とは異なる。だから、ファンレターはいち顧客からのレビューシートで、それ以上でも、以下でもない。『ほんとうの自分』をわかっているのは、自分だけ。

一度でもファンレターを書いた経験のある方ならわかっていただけると思うのですが、ファンレターを書くことって、本当にむずかしい。

推しから受け取った感動をいかにして失礼がないように、適切な言葉を用いて届けるためにはどう表現したらよいか。
いざ書き上げたときにはこれを読んだ推しが嫌な気持ちにならならないだろうか。

自分の内なる感情をぶちまけるだけなら誰にだってできることですが、相手は生きている人間です。
キャラクターじゃない。感情があるんです。
そう思うと、途端にペンを握る手が震えてしまいます。
「ありがとう」と「大好きです」を伝えることがなにより難しい。ファンレターを読む、たった数分のための活動にもかかわらず…。

そんな思いと闘いながらファンが一生懸命レターセットを選び、そして七種茨というアイドルを想って「大好き」を詰め込んだ時間とことばは
悲しいかな、よりにもよって大好きなアイドルの手によって、本来の意図とは異なる方法で無惨にも消費されていく。

ファンの知らない、知ることがない『七種茨』というアイドルは、きっとそうなんだろうなあと、さみしさを覚えたのでした。

七種茨を考える②ー潜在的な自己評価の低さ

七種茨のファンになったとき、ファンレターの扱い方を想像すると同時に「なんて自己肯定感が低いんだろう!」と驚いたことを今でもよく覚えています。

下層のゴミクズ、最低野郎、落ち葉と同じゴミのような存在………………。
枚挙にいとまがないほど、私が好きになったアイドルは自分自身を卑下しているらしい。
口を開けば自分を下げる人間、初めて見ました。
最早謙虚の域を超えて痛々しさすら感じられます。自分を下げるのは結構ですが、自分を過度に下げることは自分を応援している人のことも下げていると彼は気付いているのでしょうか。
静かな怒りを覚えますが、それは置いておいて。

以前ボギータイムの感想を書いたとき、私は

「茨の自己肯定感が低いのは、中学生にもならないこどもの時点で『他人は頼れない』と強く思った生い立ちのせいではないか」

と述べました。
確かに、自身を卑下する発言の背景にはあまりにも過酷な生い立ちがあることでしょう。しかし、七種茨は自分自身のなにもかもを肯定できない、という訳ではないと思うのです。

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ソリッドでジュンに語った内容を見るに、自分が今立っている場所に至るまでの努力は肯定できるものの、自分の潜在的な価値は肯定できないのが『七種茨』という人間なのではないかと私は思っています。
(Edenというユニットの中での自分のポジションを得るため、凪砂や日和に負けないように努力したことは肯定できるものの、自分のポジションそのものに対しては「自分みたいな最低野郎が」という枕詞がつく。)

自分しか信じられるものがなかったから「生きること」に貪欲で、上昇志向が強くて、何事も自分の手中に収めて栄養分にする。
自分の努力は誰より自分がわかっている反面、劣悪な環境で育ったからか『自分の価値の自己表現』が低い。

だからこそ、トップアイドルの地位にも、副所長というポストにも、青年実業家という肩書きにも満足できないのではないでしょうか。
「まだまだ自分はこれからです」
という言葉は単なる謙遜ではなく
「こんなところで満足しては行けない。いつ誰に足元をすくわれるかわからない」
という自己評価の危うさが潜んでいる…と私は感じたのです。

わからなくもないんです。

親に捨てられ孤児院で育ち、民間軍事会社に送られたかと思えば突然莫大な遺産を相続することになり、中学生にもならないちいさなからだで大人社会を渡り歩くしかなかった…なんて

誰のことも信じられなくなるのも無理ないだろうなって。
もしも信じて託したら、まっとうそうな理由をつけて、せっかく手にしたチャンスを根こそぎ奪い取られるかもしれない。
リスクを考えると「信じたい」気持ちがあったとしても「他人を信用しない」が正解になってしまう。実際に、苦い経験をしたこともあったでしょう。
とてもかなしいことですが、それくらい慎重にならなければゴッドファーザーの遺産など管理できないだろうなと、私は思います。
そして、そんな環境で何年もひとり戦っている。
そんな状況、誰だって精神を摩耗してしまいます。
今しっかり立っているのが奇跡に思えるくらいです。

自己評価(低い)→努力→成功→自己評価(低い)

のある種負のループは、確かに大きなエネルギーを生む一方、ゴールが見えない迷宮のようでもあります。いつになったら満足できるのかなんて、もしかしたら本人ですらわからないかもしれない。終わりのないマラソンをずーっとずーっと全速力で走っているようで、正直、見ていて苦しくなることもあります。

そんな茨の姿を見て「かわいそう」と思う人もいるかもしれませんね。
だけど、彼のファンになって、七種茨は同情されるのが一番嫌いだと知ったから、私は「七種茨はかわいそう」なんて絶対に言いません。

その代わり、あんスタ世界でファンをしている私は死ぬほどファンレターを書くし、現実世界でおたくをしている私はこうして思ったことをnoteに、ことばに残します。ライブではEdenから受け取ったエネルギーをペンライトの光に変えて「これでもか!」というくらいステージに返します。
茨のメンカラを「見てるか?!ここに!七種茨が好きな人間が!!ここにいるぞーーッ!!」と言わんばかりに焚いてやります。

そして、願わくばいつの日か
偶像でもなんでもいいから、『ファンの私』に見せるものが偽物だって構わないから
「七種茨のことが好きな人が、ここにいます」
「七種茨に救われた人が、ここにいます」
と、ただそのままの言葉の意味として届きますようにと

『営業戦略上のツール』が
「アイドル・七種 茨は愛されていた」

と気づくための『ツール』になりますようにと、祈り続けます。

なぜ、祈るのか。これは持論ですが
茨はファンを救えても
ファンは茨を救えないと思っているからです。

「ファンは茨を救えない」ということ

「茨はファンを救えても、ファンに茨は救えない」
このことを考えてみましょう。少しだけ、私の話をさせてください。

社会人になって初めて出会ったアイドルがEdenでした。
Eden推しになった動機が不純こそすれ、気付けば私は『アイドル・七種茨』のファンになっていたのです。

茨の活躍を追いかけるうちに見えてきた、どんなに逆境に追い込まれようと、どんなに蔑まれようと、「生きること」「他人に自分を認めさせること」に誰より貪欲な姿に何度助けられたことか!

仕事の期待とプレッシャーと厳しい指導に押しつぶされそうで、気がつくと泣いていることなんかしょっちゅうで、だけど、一度落ちたら底なしに落ちてしまうとわかっているからなんとか踏ん張らないといけない。とはいえどれだけ頑張ってもぜんぜんうまくいかなくて、全部投げ出してしまいたいときもあります。

そんなとき
「茨だったらどう考えて、どう行動するだろうか」
と考えると、もう少しだけ頑張ってみようかな、なんて気持ちに不思議となるんです。だって、茨だったら絶対に諦めないだろうから。推しが諦めなさそうなことをおたくが諦めること、あるーー?!私にはありませんでした。

…といった風に少なくとも私は茨のおかげで今日もなんとか生きていますが、逆はどうでしょうか。
ファンの声を数字として捉えているとしたら、そもそもファンは
「茨にエールを届ける」
という土俵にすら立っていないと思いませんか?

少なくともファンを数字として捉えている段階では、ファンが茨を救うなど、到底難しいことだと私は思います。

七種茨タイプの自己肯定感、どう上げる?

ここまで
「七種茨が『七種茨は愛されている』と気付いて欲しい」
「そしてその一助に、ファンも加わることができたらもっと嬉しい」
という願いと、その願いに対する七種茨のパーソナリティについて、私の解釈を述べてきました。

それでは実際に茨の潜在的な自己評価を上げよう!となったとき、一体どんな方法を取るとよいのでしょうか。目標は「ファンも加われること」です。
そのためには、そもそも「自分は愛されている」と多少なりとも茨自身に気付いていただかなくてはなりません。

色々方法はあるかも知れませんが、私は茨の懐に入り込める人物が、何度心をへし折られようとも、何度も何度も真正面からプラスの感情を伝えていくことが一番の近道になるのではないかと思っています。

Edenのメンバーも茨に対して心を開き始めていますが、コンクエスト・ボギータイムを見ている限り、どうにもやり方がまずかった感が拭えません。

じゃあ、誰なら茨の背を押せるんだ?!となったときにふっと現れた人物。そう、ボギータイムの超個人的MVP:紫之創 しののんなのです。

しののんと茨

最初にしののんと茨がペアになったとき、茨はしののんのことを駒として捉えていました。
硬派なイメージで売り出しているAdamの営業戦略上不要であり、そして何より自身の中で一番の地雷だったバラエティに今後出演することがないように、しののんを利用しようとしましたね。

もしも自分がしののんの立場だったらどうでしょうか。こっちはなんとか頑張ろうとしているのに、相手と仲を深めようと頑張っているのに、どれだけ頑張っても相手はこちらを見ているようでまったく見ていない。
相手のことが嫌いならそれは、まあ…。となりますが、少しでも好感があるのならあまりにもつらくて、かなしくなります。

しののんは茨のことが嫌いではなくて、むしろ「せっかくペアになったんだから」「頑張りましょう!」と歩み寄ろうとしている。なのに当の本人のやる気がまるでない…。地獄絵図です。

でも、しののんは諦めませんでした。
何度素っ気ない態度を取られても、諦めず、粘り強く、『ビッグ3の七種茨』ではなく『七種茨』自身に向き合い続けたからこそ、茨はしののんに心を開いたのだと、私は思うのです。

*

茨がしののんに心を開いた瞬間、それは守沢千秋先輩からの指令だと思います。

「かわいい彼女のお弁当」というお題でパンの耳を持ってきたしののんですが、その意図が茨はわからない。

『本当はきちんとお弁当を作りたかったけど、疲労困憊で、先輩の優しさに甘えた』
シーンですが、パンの耳をクソ男判別メーカーと捉える茨。一見するとシュールで面白いものの、冗談ではなく本心からの発言なので
「ああ、茨は人への頼り方がわからない子なんじゃないか」
という彼のパーソナリティが垣間見える場面でもあります。

ここに関連して、ボギータイムのジュンのミニトークで
「茨は人を使う判断ができる」
というものがありましたが、それはあくまでも仕事上のことだと感じています。人材に合った仕事の割り振りなどという合理的な判断を下せる点は茨の長所なのでしょう。

しかし、心の中で「しんどいな」「ちょっと疲れたな」と思ったときに弱音を吐ける相手、というのはぱっと思い浮かびません。思い浮かばないどころか自分の弱いところやかっこ悪いところは、絶対に他人に…特に身内には見せたがらないのではないでしょうか。
「しんどいな」と思ったときに人を頼る方法を知らないか、そもそもそういうときに「人を頼る」という概念がないのが七種茨のような気がします。

他人の前歯を折る感触を覚えながら、たったひとりで自分の心を守り続けるしか生きる術を見出せなかったのかと思うと、なにも不思議なことではありません。

でも、概念があるとかないとか言っていてもつかれるときはつかれてしまうのが人間というもの。

そういうときに人の気持ちを否定せずそっと寄り添えるのが、しののんの素敵なところだなあと私は感動しました。

パンの耳のくだりで茨が「じゃあ自分がよく飲むサプリメントを爪で弾き飛ばしたとしても喜んでくれるのか」と発言した際にも、茨の言葉を否定せず、笑わず、そっと優しく受け止めてくれましたよね。

私はサプリメントの発言は決して冗談だと思っていなくて、本当にわからなかったから、実生活に置き換えてしののんに質問したと思っています。
とんちんかんにも聞こえる質問ですが、その質問に対して笑ったりせずに

「守沢先輩は無神経そうに見えるけど、実際はとても気配り屋さんで優しい人なんです。だから、いばにゃんがそう行動しても、かわいい彼女からのお弁当なら1ポイントだって駄目出しをするわけがないです」

と丁寧に肯定していく。
ほんのささいなことかもしれませんが、自分の考えていることを受け止めてくれるって、とても嬉しいこと。

失礼ながらしののんはどこか抜けているような雰囲気を感じていましたが、実際はそれ以上に周りのことをすごくよく見ていて、その上で分け隔てなく『人』として認識するとても素敵な男の子なんだなと心の底から感動した瞬間でした。だから、しののんの周りにはいろんな人が集まるのでしょうね。

それに、茨は人の頼り方がわからないと知ってか知らずか
「ぼくが動けなくなったら助けてくださいね。その分、いばにゃんが大変そうにしていたらぼくが助けますから」
とさりげなくお互いが得になるようにフォローするのは本当にすごいと思いました。

私も少なからず人を頼ることが苦手なので「いつでも頼ってね」と言われると正直困ってしまいます。でも
「しんどいときは頼ってね、その代わり私がしんどいときはモモチを頼らせて」
と言われると、前者に比べて遙かに頼りやすいです。

WINWINの関係なら相手にばかり負担を強いるのではないかという罪悪感がうんと少なくなるので、「じゃあお願いします」と自分が背負っているものをちょっとだけ相手に渡しやすくなります。

そして、このシーンでは茨からゴッドファーザーへの確執も描写されていましたね。

今まで最底辺にいたからこそ、もう二度と他人に笑われたくない。笑いものにされたくない。
バラエティで必死にアピールしなければ見てすら貰えない存在になりたくない。
見返してやりたかった。でももうそれは叶わない。そんなこと、わかっているのに…。

『無条件に愛されなかった』代償はあまりにも大きなものでした。
ですが、Edenのメンバー、とりわけ凪砂は『茨の周りにはもうたくさんの「愛してくれる」人がいる』ことに気づいていて、あとは茨がすこし周りに目を向けるだけだとわかっている。

私も同じで、方法こそまずかったものの「そういう風」に思ってくれている存在は、Edenは、七種茨が見つけて、ゼロからつくりあげたものなんですよ。自分の手で育てたものなんですよ、だからどうか気づいて欲しい…本当にあと少しなんですよ、という思いでいっぱいでした。
しかし、あと少し背中を押すのはファンの役目じゃない。だからどうしようもないとずっとやきもきしていたのです。

だから、ボギータイムに出演すると決めた凪砂の意図に茨が気づいたとき、しののんがあたたかな気持ちを茨に抱いてくれていると知って、あまりにも嬉しくて、嬉しくてたまりませんでした。

もしかしたら、茨が自分に向けられた愛にちょっと気づいてくれるかもしれない。

何かが好きとか嫌いとかの次元じゃなくて、今まで必死に生きてきた茨の半生を決して否定せず「大好きを増やしてあげたい」と思ってくれる。

こんなに素敵な人が後輩になったなんてどれだけ幸せなことか!

これは少し失礼な言い方かもしれませんが、しののんがやってくれるかもしれない。
ひとりぼっちでずーっと戦ってきた、ちいさな頃の茨に、迷彩服を着て野を駆けずり回ってきた茨に、そっと手を差し伸べてくれるかもしれない。

期待と緊張の涙で、私はいっぱいいっぱいでした。あとは茨がどう反応するかだけ…。

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もう、言葉なんていりません。

頑張れ茨、絶対できるよ。
もうなんだってできる。だって茨は強いから。

はじまりこそ契約だったかもしれない。
やり方は強引でも、危ない橋を渡ろうとしたときに「そっちは危ないよ」止めてくれる存在を得た。

茨の人となりを知り、その上で茨を好きだと言ってくれる存在がたくさんできた。

さらに今回、『アイドル・七種茨』ではなく『七種茨』として慕ってくれる素敵な後輩ができた。

ひとりでも強いけど、横のつながりが今ではもうたくさんある。
SS編で各ユニットが絆を強くする一方、Edenは着実に地獄へ歩を進めています。ほかでもない凪砂がゴッドファーザーたりえる存在になる覚悟を決めてしまったことで、凪砂と茨が半ば対立関係になりかけています。

あんさんぶるスターズ!!という壮大な神殺しの物語の中で、神の血を受け継ぎながら神を殺そうとする茨と、神の寵愛を受け、神になろうとする凪砂。

茨が周囲に目を向け始めた一方で、凪砂は孤独に戻ろうとしています。あまりにも危うくて、一瞬の誤りで全てが総崩れしてしまいそうな予感。どれを取りこぼしても大切なものを守り切れないだろうという不安。
Edenがどんな未来に進むのかは年末にならないとわかりませんが、ボギータイムを経た茨なら、きっと、きっと大丈夫だろうと私は信じます。
つらいし苦しいけど、信じることしか私にはできないから。
だからどうか、最後は笑っていて。Eden4人揃って、笑っていてくれれば、それでいい。

しののんと茨②「『誰かのために』がんばる」こと

しののんとはボギータイムではじめましてだったのですが、そんな私が感じるしののんの一番の魅力は、すーっと心に沁みていく言葉選びや彼の真心からくる優しさだと思っています。

それは彼の言葉選びの丁寧さだったり、他人を否定しない姿勢だったりという彼の人柄からくるものだと思いますが、それ以上に言葉にすることは難しくても
「愛されること」を知っているし
「愛すること」も 知っているからこそ、あのような優しさがあるのだと感じます。


人が人として生きていく上で必要な『無償の愛』を知らなくても生きていくことはできるけど、きっと知らず知らずのうちに自分も他人も傷つけてしまいます。自分も他人も苦しくて、「苦しい」ってことにさえ気づけないのだとしたら、そんなに悲しいことはありません。


しののんの
「今じゃなきゃ、たぶん駄目なんです」

というセリフがすごく好きです。

笑いものにならないためには逃げ隠れるのが最適解だと考えていた茨に対して、しののんは
「誰から見ても褒めるしかないような、最高のアイドルになって輝くこと」
こそが最適解だと訴えましたね。

自分より歳も上で、経歴も上の相手に自分の意見を主張するのはきっと勇気のいることだったと思います。

それでも、守沢先輩からの指令の際、茨とゴッドファーザーの確執が提示されたことによって茨としののんが
『認識されない苦しさを知っている』共通点を得たからこそ

逃げ隠れてボギータイムをやりすごす
=誰にも認識されない
=ゴッドファーザーが茨を黙殺して茨が傷ついたように、今度は茨が茨自身を黙殺して、傷つけてしまう

というヘビさんチームの構図に気づき、そしてしののん自身もDDDでの経験をもってロジカルに主張することができ、茨もしののんの人柄を掴みつつあるからこそ、すんなり受け止められたのだと思います。


「強くなって輝くために、結果を出すためにがんばりたい」
とまっすぐ、自分の言葉で伝える姿があまりにも必死で。
事務所も違えば得意なジャンルも違う。ボギータイムの収録が終わればしばらく会わないかもしれない相手にも、勇気を持って伝えることができる。

副所長さんだし…BIG3のEdenだし…などという余計な先入観は持たずに
『七種茨』という一人の人間に、真っ正面から誠実に向き合い続けたからこそ茨は周りいる人の思いに気づき始めたのだと、私は思っています。

茨の心の中で『七種茨』を守り続けている迷彩服を着たちいさな茨に、「もう大丈夫ですよ」とそっと手を差し伸べてやさしく抱きしめるような。
氷のように凍てついた心を、じんわり溶かしていくような。

しののんの『無償の愛』を、しののん自身がどうしたら伝わるだろうかと考えて考えて言葉を選んで、なんとか伝えよう、届けようとする気持ちがひしひしと伝わってきますしそれを黙殺せず受け止める茨に
「ああ、やっとここまでこれたのか」
と私は静かに泣きました。

無数のライトの中で、私は

私は星の数ほどいるファンの一人に過ぎなくても、茨が自分に向けられた愛に気づき始めたということだけで凄く嬉しいし、七種茨のファンでよかった〜〜!て思うんです。

スタライ・スタステ・ESMGでEdenのライトと茨のライト、それからRa*bitsのライトを焚いたとき、本当に楽しかった。
次元なんて関係なくて、ただステージから与えられる熱量に応えたい!という思いはみんな同じで。
だからこそ、『愛』に気づき始めた『アイドル・七種茨』の行く末を見届けたいと思うのです。

辿り着く先が天国でも地獄でも、私はきっと見届けます。
紫檀のライトを焚いて死にたい。
それが、私の願い。

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