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保育士だったあの頃へ・・・

幼い頃、保育士になる日を夢に見て、子どもたちと過ごす日々を心待ちにして、保育士になることだけを考えて人生を一歩ずつ歩いてきました。

園庭を走り、笑顔の中にいることを想像し、胸がトキメク感覚が今でも忘れられません。

20歳を迎え、新品のエプロンに手を通し、園舎の中を一歩踏み出した時の気持ちは、まさに新たな冒険の旅に出発した主人公のようでした。
どれだけ困難なことが起きたとしても、どれだけ社会の厳しさを目の当たりにしても、きっとその気持ちは揺るがない、そう思っていたんです。

それから数年の月日が経ち、ワタシは保育士として園庭を走り回ったり、子どもたちとあらゆる感情を共にしたりすることができなくなってしまいました。

目を閉じると暗い視界に映し出される子どもたちの顔。
静かな部屋に響く笑い声。
どれも当たり前に存在していたかけがえのないものたちを、ワタシはまた手放してしまうことになったのです。

仕事を辞めて心がとても軽くなりました。
けれども、子どもたちのことを忘れられずに、ふとした瞬間に涙が溢れてしまいそうになるのです。

保育士として働いていた時間が、あの子たちとの思い出が、いつまでも心の中から消えてはくれませんでした。
いっそ、保育士なんてならなければよかった。
いっそ、思い出ごと消えてくれればよかった。
そんなことを思ってしまうことがあるのです。

ただ純粋に子どもたちのために時間を使いたかった。
ただ純粋に子どもたちの笑顔を守りたかった。
ただ純粋に保育士として過ごしていたかった。
ただそれだけのことが、これほどまでに難しく、そして目には見えない壁の高さに、立ち尽くすことしかできなかった自分の弱さを、恨むことしかできませんでした。

ワタシは今でも、「保育士です」と自分の職業を話す時には、そう答えています。
どこかでワタシは、まだ「先生」と呼ばれていた頃に未練があるのかもしれません。
そして心の奥底で、保育士としての日々を手放すことを恐れているのかもしれません。

ワタシのように純粋に子どもたちのことが大好きで、大切で、ただ必死に命を守る仕事をしていた「先生」たちを知っています。
けれどもそんな「先生」たちもまた、あらゆる理由を経て、エプロンを脱いで別の人生を歩いていきました。

どれだけ優しくて、どれだけ愛情深い人でも、続けられない環境がありました。
そして閉鎖的な場所で、知らなくてもいい気持ちをたくさん知り、そして少しずつ心に入ったヒビを無視して、「先生」として子どもたちの前に立ち続けていたのでしょう。

ワタシは今、人生で初めて「保育士に戻りたくない」という感情さえ芽生え始めています。
どの場所に行っても、嫌な人はいます。
嫌な人だけで終わればいいものを、それ以上に不快な気持ちにさせてくる場所ばかりだったことに、心の底から憤りと、怒りと、喪失感を感じているのかもしれません。

そして一度ヒビが入ってしまった心も無視して、また別の場所で亀裂が深くなっていくことを気づきながらも、知らないフリをしながら本当の居場所を探し続けてしまったことが、何より罪深いことだったのかもしれません・・・。

ワタシはこの気持ちを受け止めることができず、今もまだ子どもたちとの過去にすがり、楽しかった日々の思い出から抜け出せず、いつまでも心のエプロンを脱ぎ捨てることができずにいるのかもしれません。

「先生」だった頃の自分だけを見つめながら・・・。

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