オリエンタル納言

現役保育士がお洒落を楽しみ、文章で世の中の不条理を訴えていく。 いじめや差別、LGBT…

オリエンタル納言

現役保育士がお洒落を楽しみ、文章で世の中の不条理を訴えていく。 いじめや差別、LGBTQ+に悩み続けてきたからこそ、私なりの表現を貫いて…。 『社会の底辺からこんにちは』ブログ運営中です。 https://orientalnagon.com/

最近の記事

  • 固定された記事

社会の底辺からこんにちは

エッセイを書き始めて今年で、3年目を迎えます。 自らブログを開設してから1年が経ち、そして新たなチャレンジとしてnoteを開設しました。 「社会の底辺からこんにちは」は、ワタシが開設したブログのタイトルになっています。 エッセイを書き始める前、ワタシは地獄のどん底に落ち、そしてある日を境に社会の底辺のような生活を送るようになりました。 幼少期からの夢であった保育士を辞めざるを得なくなり、いつしか生きる希望を見失ってしまったのです。 「結婚」という幸せの絶頂を迎えるときに、

    • 盲目的な恋に狂わされ

      ワタシは過去にマッチングアプリであらゆる人と付き合って来ました。 20歳前から密かに始めたアプリは、今でこそ「出会うための1つのツール」として普通になって来たけれど、あの頃はまだ「出会い系」と呼ばれることも多く、付き合っても出会った経緯を答えることはできませんでした。 だから彼氏ができて「どこで知り合ったの?」と聞かれると、「友だちの紹介かな?」とか「合コンで出会ったよ」と言うことしかできなかったのです。 そしてワタシはこのマッチングアプリを約10年ほど愛用し、数々のダメ

      • 社会の中で生きること

        昔から私は寝るのがあまり得意ではありません。 ひんやりと冷たい布団の中に足を入れて、体全体が包まれるような感覚になっても、目だけは冴えてしまって、中々眠ることができないのです。 一人きりの夜は、いつも以上に布団が冷たく感じて、その上、孤独が一気に押し寄せてしまいそうになりました。 忙しすぎる頭の中では、ありとあらゆる不安なことを思い浮かべて、そして布団の角をキュッと握りながら体を丸めて、ただただ気絶するように明日が来ることを願いました。 周りと比べてしまう癖を悔やんだり、

        • ワタシの結婚観

          25歳くらいで出会った人と2、3年付き合って結婚して、なんとなくの家庭を築いていく。 そんな漠然とした未来を想像していた学生時代のワタシは、今の結婚した姿を見たらどんな気持ちになるのか、正直想像もつきません。 「こんなはずじゃなかった」と言うかもしれないし、「これでよかったのかもしれない」と言うかもしれないし・・・。 それも全く検討がつかないんです。 ワタシが住む地域は特に結婚して、子どもを産んで、家を建てて、老後の資金を貯めながら子どもと共に生きる考えが根強く残ってい

        • 固定された記事

        社会の底辺からこんにちは

          泣かずにはいられない・・・

          抱きしめている私を同じように抱きしめ返すことをしなかったあの日、頭の中で別れを悟るしかありませんでした。 どれだけ強くぎゅっと離れないようにしても、彼は同じように抱きしめ返すことはしなかったのです。 機械音だけが響く部屋の中は、いつも以上に寒く、孤独が大きく重くのしかかってくるようでした。 「どうして・・・」そう聞いても、彼は答えようとはしませんでした。 その代わりに私の肩を持って体から引き離して、「ごめん」とだけ答えたのです。 その言葉に全てが込めれらているように、もう

          泣かずにはいられない・・・

          先生と約束したあの日から

          「ねえ、せんせい。わたしね、いつかゆかせんせいみたいなせんせいになるのがゆめなんだ」 「そっか。じゃあいつか一緒にお仕事できるのかな?楽しみだなぁ」 「うん!やくそくするよ。だからね、ゆびきりげんまんしよう」 「うん。ゆびきりげんまん🎵〜」 そう約束を交わしたあの日から、私は保育士になる夢を持つようになりました。 大好きなゆか先生と同じ「先生」になりたくて、温かくて優しい手をした先生と二人だけの指切りをしたのです。 あの日からずっと、私の夢が変わることはありませんでし

          先生と約束したあの日から

          まだ見ぬ夢を探し続けて

          保育園で働いている時、子どもたちに言い続けた言葉があります。 「夢を持つことはとても素敵なことなんだよ。それがたとえ、途中で変わったとしても、それは悪いことじゃないんだよ。それだけやってみたいと思う気持ちが、面白そうだなってワクワクする気持ちが芽生えていることだから」と。 だから私が受け持った子たちは、多くの夢を持ち、同じ夢でも、はたまた昨日言った夢とはまた違う夢を持ったとしても、その気持ちを後ろ向きに考えることはありませんでした。 そしてその姿を近くで見ていた私も、同じよ

          まだ見ぬ夢を探し続けて

          愛してほしいと、叫びたくて

          「愛してほしい」そう何度も声にだして、叫びたくなる日がありました。 「私だけを見てよ」そうやって、すがりつきたい日が数え切れないほどありました。 私に向けられなかった愛情は、別の誰かに向けられて、その視線をただただ羨ましいと思いながら眺めていたのです。 けれども決して口に出して思いを伝えることは、できませんでした。 だから顔色をうかがって、大好きな人たちが喜びそうな言葉を探して、必死に見てもらおうとしていたのです。 同じように、ただ純粋に愛して欲しかったから。 けれど

          愛してほしいと、叫びたくて

          肉まんは友の味

          9月の終わり頃になると「肉まん始めました!」とポップが書かれ、肉まんたちがホカホカの香りを漂わせながら「買いなよ!美味しいよぉ」そう誘っているような気がしてなりません。 だからいつも、始まってすぐについつい肉まんを買って、一人で食べることに小さな幸せを感じます。 けれども、この肉まんにはとても悲しく、そして虚しい思い出がたくさん詰まっていることも確かなのです・・・。 中学生の頃、友だち欲しさに太ることに一生懸命になった過去がありました。 一人でいることが怖くて、誰でもいい

          ボタンが飛んでった日

          ワタシは大人になって初めて「痩せた」喜びを感じました。 それは適度な運動でも、管理された食生活の賜物でもなく、ストレスと鎮痛剤の繰り返しで得た負の喜びだったのです。 それでも、嬉しかったんです。 人生で初めて痩せて、太っていた自分からは想像もできないくらい、オシャレが楽しく思えて仕方がなかったから。 側から見たら不健康だったとしても、当の本人は満足感で溢れていました。 痩せてるってこんなに素晴らしいことなんだ。 こんなに世界が広く、美しく見えるんだ。 そんなドラマの主人

          ボタンが飛んでった日

          故郷でもない場所で『ふるさと』を歌った日

          これはワタシが小学6年生の頃のお話です。 学校での思い出なんてこれっぽっちもないワタシですら覚えている、とても恥ずかしくて謎が多すぎるエピソードだなと今でも思っています。 もしかすると、ワタシと同じ体験をしている人がいたとしたら、きっと仲良くなれるだろうなと思うほど、あの日の出来事は記憶に残り続けています。 ワタシの小学校は緑化活動と音楽に力を入れている所でした。 昔からやっていた風習なのか、米のとぎ汁を各家庭で持ってきて川に流す活動をしたり、定期的に川の掃除を学年ごとに

          故郷でもない場所で『ふるさと』を歌った日

          嘘の正義と放送室

          放送室の独特な匂いが鼻の奥に残り、鈍い痛みが手の平をジーンとさせた小学五年生のあの日。 ワタシは、恐ろしく冷たい大人の嘘の正義によって、一生心に残る傷をつけられました。 あの日のことを、これからも忘れることはないでしょう・・・。 小学五年生になった時、担任になった先生は変わった人でした。 周りには常に可愛らしい女子たちが教卓を囲み、時には肩を組んだり、頭を撫でたりしながら楽しそうに話をしている姿を今でも覚えています。 先生と呼ぶには少しだけ違和感があるその人を、ワタシは好き

          嘘の正義と放送室

          人身事故が起きた朝

          心地のよい眠りの朝、連続で鳴り響くスマホの着信に、無意識に腹が立ったように電源を消そうとボタンを探しました。 見つけた時には着信は鳴り終わり、再び眠りにつこうとするとまた、着信が鳴ったのです。 何度も鳴り響く音に根負けしたワタシは、仕方なく電話に出ることにしました。 「もしもし、お母さんです」 「・・・なに?」 「最寄りの駅で人身事故があったみたいなんだけど、電車がかなり遅れるみたいだよ」 そう電話越しに話す母は、少しだけ興奮気味でした。 ワタシの夫は、仕事に行く時には電車

          人身事故が起きた朝

          失恋の金木犀

          少しずつ秋の香りと共に、寂しさを覚えるこの季節にふと思い出すことがあります。 お店の中を通ると秋を感じさせるように金木犀の香りが鼻の中を通り抜けて、さらにまた寂しさを覚えるのです。 大好きだった彼は、秋の夕暮れと共にワタシの知らない誰かの元へと去っていきました。 たった一枚の紙切れをテーブルの上に置いて、何も言わずに、お別れも言わずに、知らない誰かが書いた彼を想う手紙が、ワタシにお別れを告げたのです。 あの日、彼の家に会いに行った時、彼はいつも通りワタシを迎え入れました

          船の汽笛が聞こえても

          崩れた家を背にして、どこまでも続く海を眺めながら、船の汽笛に耳を傾けて一本のタバコに火をつけて、泣きながら吸った味は今でも忘れられない苦い思い出となっています。 祖父が愛した場所が跡形もなく消えてしまったあの日から、ワタシもそしてその場所に住む人たちの時間も止まってしまったのかもしれません。 震災からもうすぐ一年が経とうとしていても、何ひとつ前を向くことができない現状を、ただただ海を眺めながら感じることしかできませんでした。 過去の写真を振り返り、祖父との記憶に思いを馳

          船の汽笛が聞こえても

          ネガティブの海に沈みたい

          ワタシは昔からマイナス思考です。 そしてその感情は、あらゆるところで「悪いものなんだ」と否定される場面がありました。 メディアやネットの中では、「もっと前向きに、ポジティブに生きよう」という言葉を見かけることもありました。 その度にネガティブな自分を責めて、とても苦しくなっていたんです。 心が鉛のように重く、そして体が少しずつ黒い影のようなものに引き込まれていくように。 そして精一杯明るい言葉を口にして、前向きな人たちの言葉に耳を傾けて、時には誰かが言った名言を励みにし

          ネガティブの海に沈みたい