オリエンタル納言

現役保育士がお洒落を楽しみ、文章で世の中の不条理を訴えていく。 いじめや差別、LGBT…

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現役保育士がお洒落を楽しみ、文章で世の中の不条理を訴えていく。 いじめや差別、LGBTQ+に悩み続けてきたからこそ、私なりの表現を貫いて…。 『社会の底辺からこんにちは』ブログ運営中です。

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社会の底辺からこんにちは

エッセイを書き始めて今年で、3年目を迎えます。 自らブログを開設してから1年が経ち、そして新たなチャレンジとしてnoteを開設しました。 「社会の底辺からこんにちは」は、ワタシが開設したブログのタイトルになっています。 エッセイを書き始める前、ワタシは地獄のどん底に落ち、そしてある日を境に社会の底辺のような生活を送るようになりました。 幼少期からの夢であった保育士を辞めざるを得なくなり、いつしか生きる希望を見失ってしまったのです。 「結婚」という幸せの絶頂を迎えるときに、

    • 保育士だったあの頃へ・・・

      幼い頃、保育士になる日を夢に見て、子どもたちと過ごす日々を心待ちにして、保育士になることだけを考えて人生を一歩ずつ歩いてきました。 園庭を走り、笑顔の中にいることを想像し、胸がトキメク感覚が今でも忘れられません。 20歳を迎え、新品のエプロンに手を通し、園舎の中を一歩踏み出した時の気持ちは、まさに新たな冒険の旅に出発した主人公のようでした。 どれだけ困難なことが起きたとしても、どれだけ社会の厳しさを目の当たりにしても、きっとその気持ちは揺るがない、そう思っていたんです。

      • はんぶんこっ!

        「みんなで遊ぶおもちゃだから、全部使うよりも、はんぶんこにしたほうが一緒に楽しく遊べるかもしれないよ?ね?はんぶんこっ!」 「はんぶんこっ!」 「そう!上手に言えたね。じゃあ、貸してくれたからありがとうって言ってみよう!」 「あぁーと!」 「すごいよ!『貸して』『ありがとう』が言えたね。えらい!じゃあ、はんぶんこしたおもちゃで一緒にあそぼ!」 そう言うと子どもたちは、さっきまで泣きながら怒っていたにも関わらず、楽しそうに遊び始めました。そして、遊びの中で何度も「はん

        • 薬物乱用頭痛

          ワタシは長い間、うつ病と向き合い、偏頭痛の痛みに耐える生活をしています。 慢性的に頭痛がひどく、痛みを感じることが怖くて、ついつい薬に頼ってしまうんです。 そんな生活を続けていたら、いつしか「薬物乱用頭痛」という字面でも怖そうな心の病にかかってしまいました。 それでも気持ちを騙して、今の自分に嘘をついて働くことを選んでいました。 「薬を飲めば楽にはなるし、きっと大丈夫なはず・・・」と。 けれども日を追うごとに頭痛はひどくなり、それどころか薬がないと不安で仕方がなくなってしま

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        社会の底辺からこんにちは

          ワタシのそばかす

          ワタシには生まれつきそばかすがあります。 それも一部ではなく、顔全体に散りばめられたようにあります。 そのせいで幼い頃は、よく「顔に茶色のカスがついている」と馬鹿にされたこともありました。 だから大人になるまで、自分の顔についているそばかすが大っ嫌いでした。 ワタシのそばかすは母ゆずりで、母にも同じようにそばかすがあります。 物心ついた時には、顔中のそばかすが嫌で、母のことを無意味に恨んだこともありました。 「どうして、こんなそばかすだらけの顔で産んだの!」そう思ったことが

          ワタシのそばかす

          大きな木の下、雨宿り

          車に乗っている時、突然雨が降ってきました。 ワイパーを少しだけ早めにしながら運転していると、通りがけに大きな木を見つけたんです。 まるでジブリに出てくるような大きな木。 一瞬で通り過ぎてしまったのに、運転をしながらしばらくの間、その木のことをぼーっと考えていました。 その木はどことなく、子どもたちと一緒に雨宿りをした木に似ていたからかもしれません。 昔働いていた保育園の園庭は、他の園よりも少しだけ広くてあらゆるところに木が生えていました。 中にはものすごく大きな木もあって

          大きな木の下、雨宿り

          実習生が負った傷

          幼稚園を辞めて半年が経った頃、ワタシは保育園で働くようになりました。 幼稚園のようにまるで軍隊のような規律と厳しい掟の中で働く必要はなくなり、普通の保育士として働けるようになったことが何より嬉しかったです。 初めの頃は右も左もわからず、幼稚園からの癖も抜けず、馴染むまでに本当に苦労しました。 それでも一年、また一年と月日を重ねていくごとに少しずつ保育園の先生として働く喜びを感じる余裕さえ出るようになりました。 働き始めて3年目の春、ワタシは2歳児の複数担任の1人となりまし

          実習生が負った傷

          入道雲がたべたくて

          少しずつ秋の風が体を通り抜けて、季節の移り変わりを感じるようになりました。 それでも外に出れば、まだまだ汗がじわっと流れてくるような暑さではあるし、何よりこれから残暑が長く続いていくのかと思うと、ちょっとだけうんざりしてしまいそうにもなります。 ワタシは夏は嫌いですが、なぜか入道雲を見ることは昔から好きで、それは大人になった今でも変わりません。 空を見上げれば、大きな雲が空のどこかに存在感をアピールしているみたいにふわふわと浮いている。 そのなんとも言えない感じが、好きなん

          入道雲がたべたくて

          気弱さん

          初めて働いた場所は幼稚園でした。 ボロボロの園舎に水が滴る外の廊下。オモチャなんて限られた数しかなくて、子どもたちは遊ぶことよりも課外活動や鼓笛、そして英語学習のためだけに日々を送る。 そんな場所が、以前働いていた幼稚園だったのです。 今では人手不足がこんなにもニュースになっていて、保育士の不適切保育なんて言葉もあらゆるところで耳にします。 そしてワタシが働いていた場所は、まさに不適切保育に両足を突っ込んでいるような場所でした。 子どもたちの笑顔を見る余裕なんて、ありませ

          ネコを探して、30分

          今の働いてる職場には、部屋中に大きな窓があり、外から見えないようにすりガラスになっています。 けれども、すりガラスの隙間みたいなところからちょうど外の景色が見えるようになっているんです。 園舎がマンションの一角にあるため、隣は駐車場、そして目線を上げると大きな家が一つ、二つと建ち並んでいます。 その一つ目の家には、たった一回だけ猫が窓から顔を出してこちらを見ていたことがあったそうです。 その姿を発見した子どもたちは、必死に「ネコしゃん、ネコしゃん!!」と教えてくれたのです。

          ネコを探して、30分

          職場は家族じゃないですよ

          幼稚園、保育園、そして企業型で働いてきた保育士として、一言言いたいことがあります。 そう切り出してみると、なんだかとても高圧的で不穏な空気が感じられるかもしれません。 ただ、ワタシは数年間保育士として働いて、同じ職場の人たちに同じ気持ちを抱いたことが何度もありました。 けれども、その気持ちをずっと押し込んで我慢することを選んでいました。 理不尽に怒られた時は、我慢しました。 朝から不機嫌に当たられた時も、我慢をしました。 意見を押し付けて、「はい」としか言えない状況になった

          職場は家族じゃないですよ

          そっと弱さを、抱きしめて

          ワタシはとても弱く、脆い人間です。 そして同じように、脆く弱い人たちが大勢いることを知っています。 表の顔で笑顔を作っていても、ふと一人になった瞬間に涙が溢れてしまうことがある。 自分のことを責めて、責めて、責めて、やり場のない怒りのぶつけ方もわからなくて、また責めて、そして感情が涙として溢れ落ちていくのです。 楽しそうに笑っていても、何気ない会話の中で明るく振る舞っていても、突然苦しくなってしまう時があります。 きっとワタシと同じように脆く弱い人たちも、心の中で抱いた悲し

          そっと弱さを、抱きしめて

          いいところを見つけて

          保育士として働き始めてからあっという間に数年が経ち、あらゆることを体験したり感じてきたりしました。 幼稚園、保育園、そして企業型と色々な場所で働いたことがあるけれど、どの職場でもたった一つだけ共通して思うことがありました。 それは保育士自身に余裕がなく、一緒に働いている人たちの悪いところを探すことに必死になっていることです。 保育園で働いていた頃、ある先輩はワタシにこんなことを言ってくれました。 「一年間、同じクラスで過ごすことになるから、大変なこともきっとあると思う。で

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          忘れられた町は、思い出の町

          ワタシの祖母は石川県の珠洲市に住んでいます。 家の裏には海があって、そこで漁船を眺めながら汽笛の音を聞いて祖父と一緒にタバコを吸うのが日課でした。 けれども愛煙家仲間だった祖父は数年前に、コロナの影響により突然この世を去ってしまったのです。 そしてその数年後、未曾有の大地震がやってきて、今度は思い出の家も町も全て失ってしまいました。 震災直後には、祖母は何度も何度も電話越しで「生きていても、何も意味がない」そう言って嗚咽をしながら泣いていました。 大切な人を失った悲し

          忘れられた町は、思い出の町

          残業代は・・・ケーキです

          働き方改革という言葉が世間に浸透する中で、ワタシがいた保育業界は昭和のやり方をそのまま受け継ぎ、年功序列の厳しい環境の中で子どもたちと向き合ってきました。 9年間の保育人生では、想像もできないような珍事件が巻き起こっていました。 どれだけおかしいことをされていても、どれだけ劣悪な環境で働いていても、「これが社会の厳しさなんだ」と思うしか出来なかったんです。 その一つがこの、残業代にまつわるお話なのです。 社会人1年目で働いた場所は、地元から少し離れたところにある幼稚園で

          残業代は・・・ケーキです

          限界保育士がエッセイストになる日まで

          幼い頃から保育士になることが夢だったワタシは、お気に入りのエプロンに身をつつみ、子どもたちの笑い声で満たされていく日々を思い描いていました。 「さぁ、今からいよいよ人生が新しく始まる」そんな思いを胸に抱き、エプロンを着たあの日のことを今でも忘れません。 けれども現実は思っていた以上に辛く、苦しいことばかりでした。気がつけば保育士になって今年で9年目を迎えますが、現状は何一つ変わることはなく、どんどん働きにくくなるばかりです。 子どもたちの前で笑顔を作りながらも、徐々に壊れ

          限界保育士がエッセイストになる日まで