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「もっと、豆と、生きる。」

「もっと、豆と、生きる。」

オリベの豆やはこの言葉をメインコピーに据え、今年の7月に全面リニューアルしました。

私の豆への思いは、この言葉に凝縮されています。

このキャッチコピーを作ってくださったのが、首都圏の広告・イベント会社に所属されている、初海 淳さんです。

 初海さんは地域ブランディングをはじめ、多くの企業・商品のブランディングを手掛け、2015年からは、知床ブランディングのクリエイティブ・ディレクションを担当されています。

 初海さんとの出会いは、上士幌町の「縁ハンスPROJECT」がきっかけでした。「縁ハンスPROJECT」とは、私のような生産者と都市のビジネスパーソンが協働してビジネスを作り出す、上士幌町が主催するマッチングプログラムです。

https://kamishihoro-enhance.biz/

それまでも「オリベの豆や」という名前で在来種の豆を栽培・販売し加工品も作っていましたが、これという強いコンセプトはなく「豆は色んな種類がありますよ。食べてみてください。」という説明しか持ち合わせていませんでした。

 ただ自分の中では、開拓期からの豆の歴史や畑で感じる豆の生命力、豆の多様性など、「豆だけ」ではない「その向こうにある何か」を伝えたいとずっと思っていました。
 
 そんななか、昨年(2020年)上士幌町の「縁ハンスPROJECT」に参加し、初海さんとお仕事することになったのです。
 初めてお会いしたとき、初海さんは「たくさんの農作物の中で、なぜ豆なのかな?と思って話を聞いてみようと思った」と仰いました。
 そして、作っている豆のこと、私が豆についてどう考えているのかなどを丁寧に聞いてくださいました。
 

 今まで豆について思っていたこと、感じていたこと。打ち合わせを重ねるたびに、今までおぼろげだった「なぜ、豆を作っているのか」「豆そのものではなく、豆を通して何を伝えたいのか」が少しずつクリアになってきました。そして何より、豆への思いを真剣に聞いてくれる、という経験が私にとってとても驚きで、そして嬉しかったです。

「なぜ、こんなに多くの種類の豆を作っているのか」
「なぜ、作らなくても良い豆をわざわざ作っているの。」
「誰にも頼まれてないのに。」
「しかも手間のかかる豆ばかり。」

これまで色々な人に何度も聞かれました。でも、明確な答えを返せませんでした。それは、自分の中ではっきりとした答えがなかったから。そして、豆への思いを真面目に熱く語ることに、どこか気恥ずかしさがあったから。
 

 北海道生まれではなく、農業に縁もゆかりもなく過ごしてきた私。ただ畑で豆と接しているだけで専門家のような知識もない私の話を、誰が聞いてくれる?豆について熱く語っても誰も耳を傾けてくれるはずがない、と思っていました。

 でも、豆を作ることはやめたくないのです。
春に畑から湯気が立ち上り、カッコーが鳴き始めるのを待つ。祈るように種子をまき、発芽に安堵する…この十勝で何年も、何十年も続けられてきたその営みを私も受け継ぎたい。それぞれの豆が持っている物語を私も紡ぎたい。そして、この広くて豊かな大地で育った美味しい豆を、たくさんの人に届けたい。

https://note.com/oribe_beans/n/n11064f65baf6

「縁ハンスPROJECT」に参加することで、胸に秘めた豆への思いを初めて人に伝えることができました。
 
そして何度目かの打ち合わせの後、初海さんが作ってくださったコピーが

「もっと、豆と、生きる。」

です。

一瞬で、心が震えました。
私が感じていた豆のあれこれが、この一言に凝縮されています。

 日本各地から北海道に集まり、ここで豆と生きてきた人々。        いま、豆と生きている私たち。そしてこれから豆と出会う人たち。

この言葉は、時代を超えてたくさんの人が豆を「自分ごと」にできる魔法の言葉です。
オリベの豆やは、豆と一緒にこの言葉を届けたいです。

 仕事のことで悩む時。どうしようかな…と迷う時。何かと心が揺れる時。
この言葉が私を原点に戻してくれます。
そうだ、私はこの言葉が欲しかったんだ、と思います。

 そして、畑で、家で。豆と一緒にいればいるほど、この言葉がしみ込むように自分の中に入ってきて、北海道を開拓してきた人たち、これからも豆を作り続ける人たちに思いを馳せます。
たくさんの曲がり角や分かれ道を経て続いてきた豆の道。
これからも私の道しるべになってくれるこの言葉に出会えたことに、とても感謝しています。

豆のことを知る。豆を食べる。
「もっと、豆と、生きる。」

この言葉が、たくさんの人に広がればいいなと思います。


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