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晴れない春を抱えたまま <読み切り小説>

 まぶたと眼球の間を、羽虫がせわしなく動き回る。鼻腔にも数匹が迷い込んで、飛び回る。定位置にあるはずの目と鼻が、定まらない。
 頭全体がぼーっとする。不快で、わずらわしい。
 きた、マスクをつけていてもなのか。
 空気の冷たさはまだ冬のそれなのに、からだの異変で、春の訪れを感知する。
 ん? 違うな。そもそも季節はずっとずっと前からそのままあって、冬とか春とか、あとからやってきた人類が、言葉を授けた。名前があるから、季節にも、明確な境界があるような気がしているだけ。
 ゆったりと水が流れるように、季節は溶け合って交わりながら、毎日移り、巡っている。

 スギ花粉とのつき合いは、もう三十年近い。
 発症したばかりの当時は、花粉症とはまだ呼び名がなくて、アレルギー性結膜炎か何かだった。
 掻きむしった両目を真っ赤に腫らして、診察室に座る少女。不安そうな様子でそのうしろに立つ母親と一緒に、医師からの説明を受けている。ゆらゆらとあいまいな記憶が現れて、すぐに消えた。
 組んだ手を、空に向かって伸ばす。
 目線の先に、蕾を見つける。
 素っ裸だったさくらの樹に、いつの間にか生まれていた。蕾たちは、開きたい開きたいと中から声を上げそうなほど、ぱんぱんに膨らんでいる。
 あと一週間もすれば、順番に花を咲かせていくのだろうか。今年の開花は早そう。心がはねる。
 確かに踊った心のまま、脚を肩はば以上に開いて、ひざを曲げる。心肺停止した人に救命処置をするような意思を込めて、上下に屈伸する。
 でも、心は戻ってくれない。
 また、塞いでいく。

 この日本の春とつながっている一つの空の下で、戦争が始まった。
 海の向こうでは、人が手にした武器を、人に向けている。
 いつも通り朝にランニングをする主婦がいる同じ地球上で、この瞬間も、人が殺され続けている。
 巨大な侵略者は、生活者のいる住宅地を、病院を、攻撃し始めた。
 痛いよ、やめて、壊さないで、奪わないで。悲痛な声が、私の耳まで飛んでくる。
 気に入らないから、力に物を言わせて、言うことを聞かせようとする。自分ではない他者の存在を、丸ごと否定する。
 「自分たちの一部で、一体である」と侵略を正当化する大国の歴史認識に、私も殴られる。
 小さかろうが、数が少なかろうが、あなたと同じように、私にもある。私たちの文化や言語や歴史、民族性、家族が、ある。
 この戦争に、誰しも同情するのはわかる。
 ただ、唯一の被爆国である被害者としてのみウクライナに共感し、ロシアこそ悪そのものだと弾糾する日本人に、自国の近代史の理解レベルを問い詰めたい欲求にかられる。
 からだも声も大きくて、数も多いやつらが、私からまたはぎ取って、奪っていく。
 それでもスギ花粉の症状は、例年通りそのリズムを刻む。
 地球の一部でしかない。
 ちっぽけな歯車として、私は走る。
 頭の中にも入ってきた羽虫が、うるさい。これ以上増えたら私が蝕まれる。追い出したい。
 走っても、走っても、どこにも行けない。 

 シャワーからあがると、夫の陽一がダイニングテーブルに座っていた。
 ノートパソコンを開き、資料か記事を読んでいるのか。眉間にしわを寄せて、難しい顔をしている。
 パンデミック生活は、その訪れから丸二年が過ぎた。夫が家で仕事をすることには慣れた。
 長女の華は、二年の間に本格的に小学校に行かなくなった。
 そんな父親と姉に呼応しているのか、光輝は幼稚園に行ったり、行かなかったり。
 リビングの真ん中に鎮座する光輝は、夢の世界にいるのか、ささやくような声でひとりごとを続けている。
 食べごろのバナナような真っ黄色の笛がついたひもを、首から下げてもいる。ピーピーピーとひとしきり吹いたあと、ひもを両手で握りしめ、上げ下げするように動かし始めた。
 「ままー! うごかすと、くびのうしろが、あつくなるんだよ!」
 黒い瞳をまん丸にしている。
 風がふわりと通る。全身がゆるむ。
 口角が上がったのを感じた。
 こんなにも愛くるしい存在と暮らせているんだ、私は。
 聞くともなく聞いていた陽一が、「摩擦を知ったのね。大発見じゃん!」とケタケタと笑う。
 「タロウさんからおみやげにもらった、紅茶飲む?」
 陽一が紅茶を入れようと、キッチンに立った。「ありがとう」と、飲みたいの返事をする。
 タロウさんは、うちから歩いて三分のマンションに四人家族で暮らしている。
 タロウさんの長女と華が友だちで、タロウさんは建設の仕事をしている。一年の半分は開発途上国に出張に行っていて、ときどき、はちみつや紅茶のおみやげをくれる。
 今回もらったのは、パキスタンからの桃のフレーバーティーだった。
 橙色のティーバックが30個、箱の中に並んでいる。パッケージの外側に、TAPALとブランドロゴが書かれている。
 その下に書かれた「GREEN TEA TROPICAL PEACH」の説明に、私の常識が揺れる。日本の緑茶の概念とはまったく違う、そのわからなさにわくわくもする。
 「桃じゃなくて、まさにトロピカルピーチの香りだよね」
 私は、陽一が注いでくれた異国の緑茶をすすりながら、味わうように言う。
 「おいしいなぁ。タロウさんのちょっとしたおみやげ、いつも楽しい」
 陽一が悦ぶ。
 家族の友だちがいて、その友だちからのお茶を入れ合う。
 誰かと暮らしをともにするということは、日々の面倒さを差し引いても余りあるものを、私にくれる。

 「11年前も金曜だった」と、陽一が、誰に言うともなくぽつりと放った。
 ああ、そうだ。今日は、大事なあの日だ。
 あの日の私は、フリーランスのライターとして忙しなく動き回っていた。取材の約束があり家を出ようとしたとき、怒鳴るような緊急地震速報の音が鳴った。
 大きく揺れた。地響きまで聞こえそうな地面のうねりは、なかなか収まらない。私は机の下に潜り、脚にしがみついた。
 取材は中止になり、黒い濁流に家や車や人が飲み込まれる様子を、テレビ画面の前で見続けた。
 呆然としたまま、無力感だけが私を覆いつくした。
 11年前の今日と、そこからの数カ月が蘇る。
 あのときからもう、陽一は私の近くにいた。
 当時は、恋人なのか、そうじゃないのか。お互いの気持ちは、あいまいだった。
 陽一は、職場の渋谷から私が当時住んでいた不動前のマンションまで、大勢の人の波を歩き、数時間かけて来てくれたのだった。
 あの日がなかったら、陽一と暮らすことを強く望まなかったかもしれない。
 パソコンの画面に意識を戻した夫の、少し薄くなった後頭部を眺める。愛おしさがあふれてくる。
 陽一は隣にいて、灯台のように私を照らし続ける。
 たくさんのしてもらっていることを、どうして、すぐに忘れてしまうのだろう。
 いつもそれは手の中にあるのに、気づくことは難しいんだろう。
 「歩いて、来てくれたよね」とだけ、親しみのある背中に投げた。

 なぜ、学校に行かなくなったのか。
 彼女について何もわからないのだけど、行かなければならない場所だったところから、全国一斉休講で「行かなくてもいい場所」と、本人の中で認識がカチリと切り替わったのだと思っている。
 自室から出てきた華が、リビングにきた。
 かつて小学三年生だった自分と比べると、はるかに大人びたその横顔を見つめる。顔色も、表情もいい。
 学校で何かあったの? ママたちに何かできることある? 聞いても「学校のぜんぶが、つまらない」「勉強を自分でやれたら、いいでしょ?」と繰り返すだけ。
 行かない理由を言葉にしてしまうと、そのほとんどの感情がこぼれてしまうのかもしれない。
 行けない理由を言葉にできたら、もう解決しているのかもしれない。
 華の目に映る世界も、小さいからだで受け取っている世界も、心象風景のまま見たいし知りたいと、親として思う。
 学校なんて、社会という共同体で生きていくための筋トレみたいなものなんだから、やり過ごして行っておけばいいのに。そう、親の私としても思う。
 潔癖で、その奥に強い光を放つ娘と目を合わすたび、もどかしくもある。たった九年生きただけで、『人間失格』と言わんばかりの憂いた顔をしやがって。つまらないなら、かわいそうな自分に酔ってないで、楽しくするように躍り狂ってみなさいよ。
 かつて子どもだった私が、鋭敏さと繊細さを前面に出してくる女友だちに、物申したそうにもしている。
 問いただしたり、諭そうとすると、華は余計に閉ざすだろう。
 陽一とは、長い目で待とうということになっている。このままでいいわけがないとジリジリしながら、待つ。
 「ねぇ、ママ、聞いてる? おひるごはん、華が作っていい?」と娘の呼びかけで、意識がここに戻ってくる。
 一人称を華と呼ぶ幼児性に、どこかほっとする。
 「もちろんよ、助かるわ」。母親の声で返す。

 娘とスーパーまで歩く。
 「あの黄色い花、きれいだね」
 華が、向かいの家の庭からのぞくアカシアを指差す。
 「かわいらしい花だよね。小さい花たちが集まって、房状になっているのが、身を寄せ合っているように見えない?」
 私は、感じていたままに返す。
「ふさじょう?」
「うん、ぶどうみたいじゃない? デラウェアのかわいさに、似てる」
 華は私の問いかけには答えず、「あの花の名前、知ってる?」と質問で返してきた。
「アカシア。ミモザとも言うね」
「ミモザ、アカシア」。
 華が、ゆったりと、韻を踏むように繰り返す。
「どっちもいい響き」と、スキップするように続けた。
 道の先に、犬の散歩をする桜井さんを見つける。華が、うれしそうに手を振る。あいさつを交わす。
 桜井さんは、このあたりで一人暮らしをする地主だ。
 私の母より十歳ほど下だと思うが、時間と愛情を持て余しているのか、光輝の通う幼稚園で、週に二、三回非常勤講師としてアルバイトをしている。華もお世話になった。
 小学校に上がった元園児やその友だちが、桜井さんの自宅へよく遊びに来ているという話も聞いたことがある。
「あれ、華ちゃん。なんで?」
 桜井さんは、遠慮なく聞いてきた。
 なんで? のあとに続くのは、 この時間にどうして、ここにいるの? 元気そうなのに、学校に行ってないの? であることは察しがつく。
 桜井さんからの視線を感じながらも私は気づかないふりをし、華からの反応を待つ。
 桜井さんも待ってくれる。
 桜井さんの足元で、コロンという名前だったはずの小さいプードルがくるくる回っている。短いしっぽをふるふると振っているから、機嫌は良さそう。
 コロンは、背中の中央にキティちゃんのようなリボンのついた、紅白の水玉模様の服を着ている。
 犬が前かけのような服を着ることも、おめでたすぎるデザインも、笑えないギャグのような気がする。いろんなことを、どうでもよくさせてくれる気もする。
 きゃんきゃんと跳ねるようなコロンの歩みに合わせて、三人で並ぶともなく、列をつくるでもなく歩く。
 無言の居心地の悪さに耐えられなくなったのか、桜井さんが口を開いた。
 「わたしはね、いつも祈ってるわよ」
 サバサバと明るい声が、淀んでいた川の水を押し流す。
「祈る?」
 私と華は、立ち止まる。二人の声は重なり、ほぼ同じ動きで桜井さんを見た。
 私は、華のほうを見る。華が目を逸らす。
 桜井さんは「親子ねぇ」とあっけらかんとしたまま、続けた。
 「みんな大きくなっていっちゃうけど、華ちゃんが、楽しく過ごせてたらいいな。華ちゃんのママもパパも元気だったらいいな。かかわった子どもや保護者を、いつも想ってる。他人の私が願う。祈る」
 大人のきれいごとだろう。華が冷めたように、わかりやすくそっぽを向いた。申し訳ないが、私も鼻白むものがあった。
 「願うだけじゃ、祈るだけじゃ、一歩も動かないじゃないですか」
 反射だった。
 内にとどめておくはずの強い言葉が、口をついていた。
 私は、はっと我に返る。
 桜井さんは、なぜかうれしそうにしている。
 「そんなの、わたしだってわかってるわよぉ。当事者じゃないわたしは、何もできないの。でも他人の私が願うことは、幸せでいてほしいと祈ることは、プラスはあっても、マイナスはないでしょ」
 桜井さんのさっぱりとした声には、明るい力がある。
 放たれた言葉の軌跡が、私のからだを貫通する。
 青すぎて憂鬱だった空を、どこまでも高く飛んでいく。
 コロンが急に、走り出そうとする。桜井さんはコロンに引っぱられるように、「じゃあね」と手を上げながら追うように走った。
 現れて消えた桜井さんのうしろ姿を、見えなくなるまで見つめる。
 華と、目を合わせて笑った。

 ただ人と人が、交わる。
 アカシアが咲く住宅街を、誰かと歩いている。
 どんな流麗な言葉で慰められるよりも、それが私を進ませる。



(おわり)

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