あっち側とこっち側 _『リファ』#11【小説】
「南美貴が逮捕されたニュース、見ました?」
ヨンエさんは、リングイネを口に運びながら、私をじっと見つめる。頼んだ白ワインを受け取り、ゆっくりと飲んだ。白く細い首に、喉仏が上下する。
「法を犯したとはいえ、たかが大麻所持であんなに好感度が高かった国民的女優を、ああまで叩くか。げんなりする」
ヨンエさんは苦しそうに言った。
その後、南美貴を取り巻くネットニュースは加熱した。
南は出演して居たCMをすべて降板し、公開を待つだけだった出演映画までもお蔵入りしそうになっている。
南が犯した罪そのものよりも、彼女が在日韓国人だと知れ渡ったことでバッシングが何倍にもなった印象だ。
国籍で人を決める人種差別主義者がこんなにもいることが、可視化されていた。
「“国民的”女優だったから、琴線にふれたのはありますよね。信じていたのに、って。信じていたって何を?ですけど」
「純血が好きなのよ、この国の人たちは」
長い時間かけて噛みすぎて味がなくなったガムを吐き捨てるように、ヨンエさんは放った。
ヨンエさんはずっと朝鮮名を名乗り、朝鮮国籍であり、自分が在日朝鮮人であることをオープンにしている。
民族学校に通った中学時代のマスゲームの授業が退屈で仕方なかったとか、校内で日本語を使ったら教師に立たされてビンタされたとか、チマチョゴリの制服を着ているだけで下校時に石を投げられたとか、自身の体験も明け透けに語った。
ヨンエさんから話を聞くと私はいつも、中学のバスケ部での試合を思い出す。”チョン中”と呼ばれていた京都朝鮮中学の生徒と、公式戦で当たった。
試合は、うちの中学が勝った。ベンチを離れようとしたら、ハーフラインを隔てたベンチにいた朝鮮中学の生徒たちが、張り詰めた空気の中で叱られている。負けたことを激怒されながら、「泣くな」と檄を飛ばされてもいた。
聞き耳を立てると、泣いてはいけない理由は「敵に弱みを見せるな」ということらしかった。
「お前たちが生きていく世界は、敵に囲まれているんだ。わかっているのか?」と。軍隊だった。最後まで聞いていられず、私は逃げるように体育館を出た。
自分はこっちの人たち側じゃなくて、よかった……。私ははっきりと、ほっとしていた。
私はこっちの人たちとは違う。線引きをしてもいた。
在日で、朝鮮名や韓国名を名乗っている人のことをよく知らない。その無知が恐怖につながり、主義や民族意識が強そうと、決めつけていた。
実際、現在の韓国と北朝鮮が、思想も経済政策も価値観も大きく異なるように、同じ朝鮮半島にルーツはあっても、朝鮮中学高校に通う北朝鮮系と、日本文化に馴染もうとする韓国系は相容れないものがあると思う。
だから、自身の出自をありのままに語るヨンエさんにも、私が自分のことを話すことはなかった。
ヨンエさんからも、一度も聞かれなかった。
とはいえ、私が通名を使っている在日朝鮮人、在日韓国人をすぐ見分けられるように、ヨンエさんも知っているだろうが。
私が注文した真鯛のグリルと、ヨンエさんの豚肉のソテーがテーブルに置かれた。
「おいしそう」とナイフとフォークを入れていると、頭部にヨンエさんからの視線を受ける。何か怒っている?
「私は持ってへん。選挙権」
ああ、と思う。在日朝鮮人と在日韓国人の不遇さを訴える時の、合言葉だ。
私も聞かされた。日本で生まれ育ち、日本語で会話して思考し、日本語の夢を見る。日本で働いて祖父の代から税金をきっちり払い続けているのに、税金の使い道は意見できない。韓国籍や朝鮮籍だと、投票する権利がないから。
帰化すれば、自分たちの声が届けられる。
ヨンエさんも、日本で育ち日本企業に就職し日本社会に貢献し、毎月給料から税金を引かれながら、政治に参加できる一票を持たない。国民と認められていない。
私はただ、無言でうなづく。
「どういうつもりで、そっち側から南美貴を見てんの?」
「え」
間抜けな声が出る。
「日本人のように振るまっていて、恥ずかしくないの?」
突然向けられたヨンエさんからの敵意に、絶句する。
恥ずかしいとは、何に対してなのだろう。ヨンエさんはふっと悲しそうに眉を寄せて、表情を曇らせた。
「なんで、今ある環境に適応して生きようとするの?」
時間をかけて彼女の中で堆積していたものが、吐き出されたようにも感じた。まばたきすらうまくできていないほど、頭が働かなかった。
「前の会社で、私が北朝鮮や在日朝鮮人のことを聞かれたり話したりしているとき。梨華さんは隠していた。話せる機会はたくさんあったのに。いつも私に同情していた。気分が悪かった」
前職にさかのぼっての彼女の言い分をただ、聞くしかできない。
彼女は静かに、怒っていた。
「なんで通名なの? なんでもっと堂々と生きないの?」
「え」
また気の抜けた声で反応する。
記憶がヒューと巻き戻る。
血のつながりがある地を踏んでみたい。最初の海外旅行先に選んだのは、韓国だった。説明するのが面倒で、一人でソウルに行った。
自分の居場所と出会えるかもしれない。探し求めていたものと出会える淡い期待は少なからずあった。
ソウルのまちでは、出会う人たちから「Where are you from?」と聞かれた。外国からの観光客に聞く、お決まりのフレーズだ。
帰化を終えて国籍は日本だったものの、「I am Japanese.」と返すたびに違和感は残った。
ソウルの街にあるハングルの看板も、暮らす人たちが交わす会話も、何ひとつ理解できなかった。聞き取れない、話せない自分は、何も伝えることができない。
日本にも居場所はないけれど、韓国にもない。ここじゃない、そう悟った。
韓国でも、在日韓国人は韓国人ではないとされるらしい。今はもう蔑称として使わないことになっているらしいが、蔑視を込めて「半チョッパリ(半分日本人)」と在日を呼ぶと聞いたことがある。
日本から見ると朝鮮人と呼ばれ、朝鮮からは日本人といわれる。そして今目の前で、同胞のよしみで友人から責められてもいる。信じがたくて笑い出しそうだった。自分は一体、何人なのか。
私自身が自らに対して、堂々と生きろ、と問いかけることはあっても、他人にどちらの名前で生きるかを強いられることは気持ちの良いものではない。
在日の中にも、居場所はないのだ。いろんなことが、どうでもよくなってくる。
楽しみにしていた真鯛の味も、よくわからない。
「ヨンエさんを何か不愉快にさせ、傷つけていたらごめんなさい。けど別に、国とか民族とか、背負ってないんで」
そう返すのが精一杯だった。
育ってきた環境が、彼女と私は違う。
ヨンエさんは、私に何かしらの仲間意識を抱いていたのかもしれないが、在日朝鮮人、在日韓国人であることを理由に結託しているのが、昔から大嫌いだった。多面的であるはずの自分が、一つの属性だけに収斂されることへの反発からだろう。
お互い無言で、料理を片付けた。ドルチェのバニラジェラートと、エスプレッソを流し込む。
気まずい空気を裂くように、「取材日時決まったら連絡ください」とだけ伝え、ヨンエさんと別れた。
つづく
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