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母の場合 _『リファ』#18【小説】

 「せやけど」母が語気を強める。

 「それを理由に、卑屈になることはなかった。梨華が出自を理由に自分の価値を下げるようなことがあったなら、悪かったな」

 母の口からさらりと語られた「悪かった」に、戸惑った。どう反応すべきか逡巡し、そこには言及せず質問を続ける。資料や本に残る史実ではなく、母の体験としての歴史を知りたい。

 「就職差別とか、在日であることで何かの機会を失うようなことはなかったの?」

「お母さん自身は、感じたことがないんよ。男の人はあったよ。まだ、履歴書に本籍地や韓国名も書かないといけなかった。勉強ができる在日韓国人、在日朝鮮人が一様に医者や弁護士を目指すのは、国家資格で差別の外に出られるから。飲食店やパチンコチェーンの経営、金融、芸能人に在日の人が多いのは、一般企業に就職できなかったから。自分で商売するしかなかったんや」

 よく語られる話である。子どものころも親戚の集まりに行くと、兄たちは「医者か弁護士になれ」と呪文のように大人から繰り返されていた。進学校に通っていた従弟の兄ちゃんは、親戚中から医師になることを期待されていたっけ。

 母方の祖父母も親戚も、父方の祖父母も親戚も自営業だった。母のほうの祖父や親せきは手広く事業をしていたから、経済的な苦労はなかった。だからこそ、お金では買えない医師という社会的地位を、喉から手が出るほど手に入れたかったのだろう。

 祖父は、医者に娘を嫁がせる方法も考えた。医師とばかりとにかくお見合いをさせられたと、母から聞いたことがある。

 結局のところ、母は住宅設備メーカーに勤める父と結婚し、従弟の兄ちゃんは三浪するも医学部に受からなかった。今も、親戚に医師はいない。

 「学生を終えたあとに、就職するという選択肢はまったくなかった?」

 「ないない。卒業したらお見合い結婚。専業主婦。そういうものやと思ってたから、反発するも何もない。むしろ、女性で四年制大学を卒業させてもらえて、感謝してた」

 「在日韓国人同士でお見合い結婚することにも、抵抗はなかったの?」

 「それも、そういうもんやと思ってたから」

 日本社会全体が、女性を家事労働に追いやっていた時代だが、儒教が色濃い韓国は、男尊女卑の価値観は日本以上に強い。母が「そういうもの」と疑問すら抱かなかったのは、時代と環境によって育まれたのだろう。

 京都駅の改札口で母が漏らした「ええ時代やなぁ」は、嫌味ではなく、心からの言葉だった。

 この国で生まれ育っているのに外国人と扱われて指紋まで取られ、男性の後ろにいるのが当たり前で、家を守るのがしあわせだと外側から強固にシステム化された鳥かごの中に、母はいた。母からすれば私は、どこにでも行ける野鳥だろう。

 「生まれによって自分を卑しめることがなかったのは、韓国に暮らす親戚を訪ねたり、民団主催の団体旅行で韓国に行ったりしていたことは大きいかもしれへん」

 母は、私が聞き流した部分に話を戻した。

 大学生の母は、祖父と本籍地を訪ね、親戚巡りをしたそうだ。叔母や叔父と言葉は通じなかったが、顔を合わせてその存在を確かめたことで、こうやって引き継がれて自分が在ることに納得できたという。団体旅行では、同じ境遇にいる同世代と話せたことで晴れていくものはあった。そう振り返った。

 すべて、初めて聞く話だった。

 「話したことなかったっけ?」母が家の鍵をかけ忘れたぐらいに言うものだから、直線的に苛立つ。そういう機会を、私は与えられなかった。初めての韓国旅行は、アルバイト代を貯めたのだ。力が入る。

 「日本人であることを疑わずに生きてきたら、ある日突然、実は韓国人だと出自を明かされた。でもその数分後には、国籍を変えるから日本人になると説明された。根をはっていたつもりが根無し草で、頼るべき大きなものが幻想だった。寄る辺のなさを味わったよ」

 「母国とか祖国とか国籍とか、血なんかに帰属しなくていい」

 「そう言われても簡単じゃないって。誰もがどこかの国に生まれて、国家は生まれた瞬間からそこにある」

 黙り込んだ母に、「何ひとつ、自分の意思で選んでもいないし」と畳み掛けた。国籍について、それを両親が子どもの意思の外で変更したことについて、親のせいにするつもりなんてなかった。なのに、被害者意識の塊のような不満を、母に投げていた。

 親の前にさらされると、自分の中にある子どもの部分が大きくなる。他責にしてイヤイヤと泣く次男のような甘えが、溢れてくる。

 出自について聞かされたときの、足元が抜け落ち、宇宙空間に放り出されたような感覚を思い出す。

 「あんたはあんたの、自分の世界を、生きるんや」

 自分の世界を生きなさいーー。

 繰り返し聞かされたことを、母の声で何年ぶりかに聞いた。放たれた言葉の弾は、しゃぼん玉のように空を舞い、弾けた。言葉と記憶の余韻が残り、混じる。

 私の世界を生きる? 私はどこへ向かい、どう生きればいいのか。向かうべき方角が見えない焦燥にかられた。

 「アイスコーヒー飲も」、重くなった空気を入れ替えるように、よいしょと母は腰を上げた。冷蔵庫の扉を開けながら、

 「明日の朝、じいちゃんとばあちゃんの墓参りについてきてよ」と言った。

 断る選択肢は、用意されていなかった。



つづく

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