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告白 #01

【あらすじ】
舞台は、ドラマ『冬のソナタ』を機に韓流ブームに沸く2004年の東京。
大学3年の星山美蘭(ほしやまみか)と速水優一郎(はやみゆういちろう)は、つき合い始めて2年が経つ。同じゼミに所属し、周囲公認のカップルである。美蘭は、韓国からの留学生ヤン・ソユンとの会話をきっかけに、在日コリアンである自分の出自について思い巡らせるようになる。ただ、優一郎にも友人にも、外国人である自分について話せないでいた。一方の優一郎は、就職後のことを見据えた同棲を提案するが、美蘭の態度ははっきりとせず、もどかしさを抱く。美蘭は優一郎に自分について話し始めようとするも受け流されてしまい……。親、知人、世間の差別感情を内面化した美蘭が、優一郎たちとの関わりで前に踏み出すまでの物語。



 境界なんて、この世に存在しないようだ。
 秋晴れの空を見上げた星山美蘭(ほしやまみか)は、どこまでも広がる澄んだ青を自分に取り込むように、深く息を吸い込んだ。
 「みやこ祭」と掲げられた門を抜けて、美蘭はキャンパスを歩いた。レンガ造の洋風な外観の建物たちが視界に入ってくる。重要文化財に指定されているものがいくつもあるそうで、朽ちたレンガ色と空との対比が清々しい。
 中庭には、色とりどりの屋台が立ち並ぶ。たこ焼きの香ばしさや、わたあめの甘い匂いが迫ってきた。
 美蘭は立ち止まり、数分前とは違う理由で深呼吸をする。人が大勢集まる賑やかな場所に行く前はいつも、少し身体がこわばる。
 先に来ていた速水優一郎(はやみゆういちろう)は美蘭に気づくと、目をぱあっと輝かせて高々と手を振り、上下の白い歯を見せた。
 「起こしてくれたら、送ったのに」
 近づくと、昨夜のことを詫びるように言った。その言葉には気心をしれた間柄への安心が表れていた。意味なんてない時間をともに過ごすことによってだけ近くなれる、人と人との距離はある。美蘭は、お腹の奥から温かいものは広がるのを感じた。自然と口角が上がる。目が合うと、優一郎は打ち上がった花火のようにまた無邪気に破顔した。
 ずっとこの、いたずら好きの小学生みたいな笑顔を見ていたいなと思う。
 「サモサ、どこまで準備できてたぁ?」
 走ってきた佳代子があいさつもなく、美蘭と優一郎の間にかぶさるように入ってきた。ゼミ仲間の一人で、昨夜も優一郎の部屋で一緒に飲んでいた。
 「おはよう。昨日の夕方、アミールと一緒に下準備してある。調理室の冷蔵庫に形を整えた状態で入ってて、あとは衣をつけて揚げるだけ」
 美蘭はバッグからエプロンを取り出し、つけながら返す。
「紙のお皿やコップは?」
「消毒スプレーとハンドソープと一緒に、袋に入ってるよ」美蘭はブースのバックヤードを指差す。
「よかったー。ミカの計画的なところ、最高」
「そうなんだよ。オレと出かける時もいつも、行く先の営業時間、その周辺の店情報とか先に調べてくれるからね」
 優一郎がどこか誇らしげに加勢する。
「はいはい、しっかりした自慢の彼女だもんね」佳代子が退屈そうに言う。ブース内にある揚油と鍋を確認しながら、美蘭が返す。
 「自信がないだけ」
 自分の口調が思ったよりきつくなったことにハッとし、二人の目を盗み見た。気にしている様子はなく安堵する。
   「ほら、事前に準備しておかなくてもその場で対応できる人みたいに、自分ならできると思えないの。自分のことを信じられないっていうか」
 「なんかミカってさぁ」
 佳代子が、軽い口調で言う。
「生徒会長やりながら可愛くてオシャレなコ、って感じの、無双感あるよね。そういう器用にデキるコって教師にも好かれるし高飛車になりがちだけど、ミカは、そういうところがないよね」
 何気なく放たれた佳代子のことばに、優一郎は自分が褒められたみたいに相槌を打つ。美蘭は、なぜだかドキリとした。
 確かに美蘭は、他人から見られる印象よりもずっと、気弱で臆病な自分をかなり前から知っていた。活発で負けず嫌いな部分と、抱えた膝に顔を埋めてうずくまっているような部分が、自分の中で奇妙に同居していた。それが透明な殻のようなものとなって、もう長い間美蘭を覆っているような気がする。
 優一郎からの眼差しを感じて、ふと我に返る。慌てて言葉を探す。
「それよりさ、優一郎たちのフィッシュアンドチップスは、できてるの?」
 優一郎は数軒先にあるブースを見るように、目で促した。ジェイコブや健太たちがコーラを飲みながら、クラブのDJブースに集うようなテンションで準備していた。
 今日から3日間続く「みやこ祭」の初日は、祭が始まる前の高揚に満ちている。

 異文化コミュニケーション論。それが、美蘭が三年から選択したゼミだった。
 研究室には、美蘭と同じならなんでもいいと選んだ優一郎や佳代子たち、一年からの友人のほかに、ヨーロッパ、中央〜東南・東アジア、北米、南米からの留学生もたくさんいた。
 そのグループワークの一環として、学園祭で各国の料理を作り、出店することになった。美蘭たちは各地域に詳しい学生に教わりながら、料理や出店の計画を進めた。
 美蘭と佳代子のブースではインドからの留学生アミールをリーダーにサモサとチャイを提供し、優一郎はイングランドから来ているジェコブたちとフィッシュアンドチップスを出す。
 美蘭の向かいの屋台では、おたまを持ったヤン・ソユンが、鉄板と鍋とを組み合わせたような鉄の調理器具の前で味付けをしていた。韓国ブースのリーダーであるヤンが選んだメニューは、屋台料理として始まり、家庭でもおやつやおつまみとして親しまれているトッポギだった。オレンジ色のスープはいかにも辛そうで、コチュジャンやニンニク、砂糖で甘辛く煮込んだ香りが食欲をそそる。
「ほらミカ、口を開けてよ。ぼくが食べさせてあげる」
 スプーンで餅をすくってヤンが、腕を差し出してきた。
 美蘭は毎回、ヤンの振る舞いに戸惑ってしまう。
 好意を抱いてくれているのだが、それをかなり直接的に表現してくるのだ。その積極性は、どうやらヤン個人の特徴ではないようだった。
 ヤンによると、ぼくたちは愛するひとに愛しているとことばや態度で伝えるのは日常で、恋人になれば男性も女性も手紙を書いて交換する。恋人たちそれぞれに、たくさんの記念日があるのは当たり前、ということらしい。
 肌の色や顔の造形は日本人男性と差がないのに、その恋愛観やアプローチは大きく違っている。
「『冬のソナタ』観てないの? あれはドラマだけの世界じゃないよ。韓国人の男女はロマンチックなものが好きなんだ」。
 つい最近、ヤンが説明していたその情景を思い出す。
 美蘭が何も答えずにいると、ヤンは隣に来ていた。心配そうに覗き込んでくる。顔が近い。美蘭はそっと身を引く。
 「ミカ、韓国料理は好きじゃない?」
 首を傾けたヤンが、ささやくように言う。
 「そういうわけではなくて」
 家で母が作るから、心の中でつぶやいたことではない返事をする。ヤンの手からスプーンを受け取り、容器に移して、トッポギの餅の先を口に入れた。その瞬間むせそうになる。
 「辛い!」
 家で食べているそれよりも、何倍も辛かった。辛さへの耐久性はあると自負していたのに、食べられたものじゃない。
 「ヤンくん、これ辛すぎるよ。唐辛子どのぐらい入ってるの」
 「ほんと? 韓国人の舌はこんなもんなんだけど」
 美蘭は一瞬ことばに詰まるも、続けた。
 「もう少しローカライズしたほうが、人気が出ると思うよ。お餅を噛んだときに甘辛いタレが染み出すところは、とてもおいしいから」
 「そうか、日本人には辛いのか。教えてくれて、ありがとう」
 「……」
 ことばを探すが、出てこない。ヤンは無言で細かくうなづいている。
 「わかった水を足すよ。味の深みに気づいてくれたの、うれしいな。お肉といろんな野菜で煮込んでる」
 足元が揺れているような感覚になる。ヤンは不思議そうに美蘭を見つめ、話題を変えた。
 「ところで、ミカはどうしてサモサとチャイを選んだの?日本料理じゃなくて」
 「日本の学生は、自国の料理以外を担当することになってるよ」
 美蘭は答える。自然な笑顔で応じられていると思う。
 「ミカは韓国料理も好きそうだよね」ヤンが軽い調子で言う。そのことばに一瞬まだ、足元が揺れた。
 「どんな料理も好きだよ」
  美蘭は微妙に視線をそらしながら素早く答えたが、不快な痛みが広がる。
 隣には、佳代子と桜がやってきていた。ヤンから、それぞれスプーンを受け取り口に入れるやいなや、からい、むり、みずちょうだいなどと騒いでいる。
 ヤンは、お腹を抱えて笑っている。
 3人の会話の輪にいながらそれを俯瞰するように、ヤンが言った「韓国人の舌」「韓国料理も好きそう」ということばが、内側で波紋のように広がっていた。
 水を飲み干して落ち着いた様子の桜が、嬉々として話す。
  「そうそう、『冬ソナ』、私も観はじめちゃった。ママが、ヨン様のグッズを集め始めて。世のおばさまたちが熱狂するのって何がある?っていう興味から」
 いま世間を席巻する韓流ブームのきっかけとなった、恋愛ドラマの話を持ち出した。佳代子が桜にかぶさるるようにことばをつなぐ。
  「うちの母も観てるよ。このピュアな純愛は日本のドラマにはないって」
 「ぼくのサークルで『冬のソナタ』1話目を一緒に観るイベント企画してるよ。来月上映する」
 ヤンが、ブースを挟んで身を乗り出す。
 「そうなの、行きたい」
 佳代子が目を見開き、叫ぶように返す。まったく、佳代子のノリの良さと旺盛な好奇心はすごいなと思う。佳代子が高いテンションで続ける。
 「ミカも、行こうよ」
 他人にはわからないくらい、わずかな間ことばに詰まった美蘭は冗談めかした。
 「おばさんの観るドラマはいいわー」
 「あーミカ、良くないよ。私たちもいずれそうなるんだから」
 桜にたしなめられ、ヤンと佳代子はつられるように笑った。
 ああ、またやってしまった。美蘭は一人ごちる。
 もう長いこと、美蘭は世間への気遣いとも言えなくもないような、些細なごまかしを繰り返している。内側にあり続けている違和感が大きくなる。
 自分を抑制しているものは一体何なのか、美蘭にはわからない。
 「こっち手伝ってくれないー?」フランスからの留学生のアナの声が意識に入り込んできた。美蘭は切り替えるようにそちらに応じ、アナのいるブースへ駆け寄った。
 調理しながら、他愛ない会話をする。祭りの高揚が、平常の規範を緩ませる。どうってことない話も盛り上がる。
 フィッシュアンドチップスの屋台では、優一郎たちが揚げたてのフィッシュをお皿に盛りつけていた。美蘭の視線に気づいた優一郎が微笑む。美蘭は口角を上げ、友人たちと並ぶ優一郎の背中を見つめる。
 この場を誰よりも楽しんでいるように、周囲には映っているだろう。
 それが内側では、自分の足元から立ち上がってくる苛立ちに似た何かを振り払おうとしていた。
 ヤンの恋愛観にまったくピンとこないこと、自分はヤンの言う韓国人の舌を持ってはいないこと。友人たちが韓国ドラマやK-POPの話題で盛り上がるなか、それを歓迎できずにいること。
 それはつらい、苦しいという感情と結びつくものではなかった。ただ、自分はどちらにも属せない、その寂しさからきているのかもしれなかった。



【第2話】

【第3話】

#創作大賞2024   #漫画原作部門 #女性漫画


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