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告白 #03

 自分の家が特殊であることを知ったのは、いつだったのだろう。
 美蘭は、在日朝鮮人三世だった。在日朝鮮人といっても、日本の統治時代の朝鮮半島に、一世がどの地域に暮らしていたかによって韓国系と北朝鮮系に大きく分かれる。さらに両者は友好的ではない、と母から聞いたことがある。
 美蘭は韓国系で、さらにその中でも、民族性を強く主張することはないグループだった。
 「民団」と呼ばれる日本に定住する在日韓国人のための団体があるが、あるということを知っているだけで、そこが主催するイベントに行ったことは一度もない。美蘭にとって民団の存在は、民族や同胞を大事に考えているほうの在日韓国人グループの人たちのものだった。
 グループ、というのがあるのか。実際に美蘭は、個々の人たちに出会ったことはない。在日韓国人が多く住むといわれる街にも暮らしておらず、両親は祖父母たちの韓国語による会話を聞いて育ったはずだが韓国語は話せず、家の中でも、美蘭と和也は、日本名で呼ばれていた。美蘭も弟も日本の学校に通い、通名を使っている。
 こう説明すると、隠しているの?と聞かれるかもしれない。隠しているわけではない。そうなっていたから、こう答えるだろう。
 肌の色が違えば説明不要で伝わることであっても、この場合の「外国人」は、わざわざ伝える場面が生活の中にない。友人のほとんどは美蘭が韓国人であることを知らないが、自分の国籍は韓国だと明かすのは唐突だし、どこから話せばいいのか、相手は知りたいのかもわからない。
 美蘭も和也も、友人たちと誘い合わせて同じ教習所に通わないのは、周囲を混乱させないための心遣い、といったニュアンスに近いような気がしていた。
 「天ぷら、うまく揚がったわ」
 母が自画自賛しながらうなづくのに、「おいしいよ」と正直に反応する。父も箸が進んでいる。
 ふと、つけたままだったテレビ画面から、窃盗事件の報道が流れてきた。美蘭たちの住む世田谷区内で起きていたため、そろって画面に注目する。
「逃走した容疑者は、韓国籍の男性と見られる」とアナウンサーが読み上げた。
 怒りに似た激しい感情が、美蘭から引き出される。
「え? 逃走したのに、なんで韓国籍ってわかったの」
 強いことばが口からこぼれていた。
「身分証明書を落としたのかしら」
 母がのんびりと言う。そんなおめでたい理由ではないのでは、美蘭は怪訝に思うがこの違和感をうまく説明することができない。
「いつ何をしでかすかわからない犯罪者予備軍と、韓国人を捉える人種主義的な風潮はまだあるから」
 父がこの夜、まともに口を開いた。仕方ないよ、娘をたしなめるように美蘭に静かに微笑みかける。その微笑みのうしろにある感情は見えない。
「実際、いつまでも出稼ぎ根性が抜けない在日はいるから」 
 母が吐き捨てるように言う。
「日本で暮らすのだから、日本に合わせて生きていかないといけない。日本の人をわかろうとしないから、朝鮮人はこの国から出ていけって言われるのよ」
 忌々しくてたまらないといった顔で、美蘭に諭すように続ける。
「ミカ、優秀でいて。人を助けられる自分でいるのよ。そうじゃない人たちがいるから、粗暴だ、貧乏だって、いつまでも見下される」
 美蘭の身体が固まる。記憶がすうっと引っ張られる。
「朝鮮人だから、と言われないように」
 母は、時々で言うのだった。
 そのことばの先は、しっかりしなさい、人を救いなさいといった意味を含んでいた。
 霧に襲われたように、視界がぼうっとする。
 隠したい、と思ったことはない、そう考えてきた、つもりだった。
 それなのに、ヤンが韓国料理や韓国ドラマを話題にしたとき、美蘭は話を逸らし、うやむやにごまかすことばかりを考えていた。あの場から立ち去りたかった。
 県をまたいだ教習所にわざわざ通ったのは、ほんとうに「周囲への気遣い」だったのか。
 国籍を明かすことは、マイナスになることだと考えているからではないのか?
「あ、そうそう。もうすぐ貴子がうちに来るわよ」
 直前の母とは別人のような、いつもの朗らかな口調に戻っている。
「タカちゃん?」
「破談になっちゃったのよね。結婚の話が」

#創作大賞2024 #漫画原作部門 #女性漫画

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