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聞けない _『リファ』#26【小説】

 五輪・パラリンピックの開催が、いよいよ二週間後に迫ってきていた。

 デルタ株の感染拡大は収まるどころか深刻化し、ワクチン接種は遅れている。開催までに、高齢者以外に広くワクチン接種を行うことはもはや不可能な状況だった。これほどの規模のパンデミック下という、最悪のタイミングの開催だ。

 延期が決定した一年前には、こんなにも低いワクチン接種率で開催するとは予想していない。政府と五輪主催者が掲げてきた「安全安心」のスローガンは説明されることなく、空虚だった。

 「もう一か八か、やるしかないよね」という、同意せざるを得ない空気が日本中を覆っている。一か八かの賭けに賭けられているのは、国民の健康だ。五輪のために国民の命を危険に晒す政府を私たちはいま、目撃している。

 子たちを寝かせたあとに静まったダイニングテーブルで、ノートパソコンを開き、五輪関連の報道に目を通していた。SNSで流れてきた、東京五輪開催中止を訴える団体のキャンペーンに署名した。

 もはや、署名が手遅れであることなんて、わかっている。それでも。

 緊迫する医療現場、コロナの影響を正面から受け続ける飲食業界をはじめ、経済的に困窮する人たち。痛い痛いと泣いている人がこうも見えていながら、祭典を無邪気に祝う気にはならない。

 「どうして東京五輪は止められなかったの?」将来子どもたちに聞かれたときに、最後まで抗った大人たちがいたにはいたことも、可視化したかった。どうせ変わらないから。諦めの感覚に、全体が支配されること。それこそが、民主主義の一番の脅威だ。

 「橘さんへのお返し、買ってくれた?」

 ソファーに座って本を読んでいた太一から、聞かれた。何の話か。記憶とを連結させるのに、時間がかかった。はっとする。

 橘とは太一が一緒に仕事をするデザイナーで、先週末にうちに遊びに来ていた。「出産祝いをしていなかったから」と、息子二人分のプレゼントを持ってきてくれた。その内祝のことだった。

 暗黙の了解がわからないことが、時々起こる。日本の慣習に、だ。

 私の育った家の法事や祝い事は、そのほとんどが韓国式だった。両親や祖父母がそれで育ってきたから、日本式を知るすべがない。子どもが生まれるまでは、外とは違う違和感に耐えるのは正月ぐらいだったが、葉が生まれて行う、お宮参り、百日祝い、初節句、七五三などはすべてGoogleに教わった。

 誰かから贈り物をもらったら、その三分の一から半分程度の額でお返しする内祝文化は特に、今もインストールでききれていない。

 韓国では贈り物を受け取ったらそれを憶えておいて、「何かの婚礼の際にいつか返せばいい」という考え方をする。日本式のお返しをするとむしろ、贈った側の誠意を突き返されたと捉える。

 その感覚は、私にも染みついている。すぐに返すのは水くさい関係に思えるし、贈り物を返すのは、貰った本人じゃなくてほかに返して、回せばいいぐらいでいる。肌で理解していないから、強く意識していないと、日本的礼儀がごっそりと抜け落ちるのだった。

 「ごめん、忘れてた。今から三越伊勢丹オンラインストアで探す」

 慌てて、サイトを開いた。贈り物を選ぶ際にデパートというブランドに頼るのも、受け売りだ。

 「一緒に見よ。食べものがいいよね」

 太一の声の調子から、私は単にうっかりして忘れていたと受け取ったようだった。太一が冷蔵庫から新しいワインボトルとグラスを取り、隣に座ってパソコン画面をのぞいてきた。

 買い物をする行為自体に喜びをあまり感じない太一が、珍しい。私の分のグラスにも、白ワインを注いでくれる。

 「お返しの風習に、なかなか馴染めなくて。出産祝いの内祝をするときも失礼のないように、抜け漏れがないかすごく緊張した」

 「大げさだな。俺だって、冠婚葬祭のマナーはよく知らないしググるよ。お返しを選ぶのは俺がやってもいいんだしさ。一緒に選ぼうよ」

 太一は、座っていた椅子をからだごとこちらに近づけ、肩と肩を擦りつけてもきた。

 大げさ、考えすぎ。太一が良かれと思って励ます言葉が、私を萎縮させる。

 太一の親しみを、素直に喜んで受け取れないところもあった。やましいところがあるから妻に優しいのか。そんなうがった見方をしてしまう。

 太一のスマホを見てから、一ヵ月半が経っていた。その後進捗があるのかどうか。それも含めてもう一度、次は能動的に太一のスマホを見ようと試みたが、寸前で止めた。良心が痛んだのだった。

 本人に、聞く機会も逃してしまった。今、聞こうか。京都に帰った日の朝に、見る気はなかったけれどSlackを開いちゃって、兵藤小夜子とのやりとりを見てしまった。あれは何だったの? さらっと聞けばいい。太一のほうにからだを向けた。

 「無難なところでワインかなぁ。A5等級サーロインステーキももらうとうれしい」

 屈託ない太一に、勢いが押し戻される。まあいいか、と他愛ない会話に集中することにした。

 「橘さんって、一人暮らし?」
 「恋人と住んでるはず。お、『愛される食品100』という特集やってるよ。チーズの味噌漬け、骨つきハム、うまそ」
 「だったら、スイーツもうれしいんじゃない。ピエール・エルメのマカロンとかどう?自分じゃ買わないからもらったら、ときめく」
 「いや〜、酒かな。橘さんもワイン好きだし。コロナで外に飲みにも行ってないだろうし」

 グラスに入った白ワインを飲み干し、おかわりを太一のグラスにも注ぐ。

 からだを寄せ合い、他愛ない会話をポンポンと交わし合うのは楽しい。身体性を伴って一緒にお笑い番組や映画を見て、あーだこーだと感想を言い合える関係の喜びは当たり前にあるものではない。コロナの出現で、噛みしめるようになった。

 ただ、楽しい会話は、コミュニケーションが取れている錯覚をもたらす。

 本当に聞きたいはずの一言が、夫に聞くべき言葉が、どうしても私の口から出せなかった。太一に少しずつ、肝心なことを話せなくなっている。



つづく

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