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満たされなさを何で埋めるのか? 尾形真理子著『隣人の愛を知れ』【読書レビュー】

 満たされなさや淋しさを、何で埋めるのか。

 本書を貫くテーマであり、登場する人たちは、抱えている不足感を、それぞれの形で埋めようとする。

 夫の朝帰りに悩みながら夫に愛されたくて絶食を続ける妻・ひかり、特別な相手との不倫でプライドを守る知歌、自分と娘を残して夫が家を出て20年以上経つのに離婚を認められない母親・美智子。初恋の人との同棲を続けるヨウ、水を飲むように浮気を繰り返す夫・直人、製作のスランプと自尊心を保つために不倫に逃げる映画監督・関戸……。

 人物たちがちょっとずつ関わり、交差し合いながら、淋しさが募る彼女彼らの日常が進んでいく。

 世の中にはいろんな価値観があり、人の数だけ「夫婦の形」「パートナーとの形」「家族の形」「女性の生き方の形」があって当たり前なのに、「家族とは、妻とは、母親とは、夫とは、女性とはこうあるべき」という”あるべき姿”に、内から外からとらわれてしまう

 作中の人物たちは、意識・無意識に関わらず、そうしたとらわれているものから逃げようとし、抵抗する。そして、自分の弱さや至らなさを認め、自分や相手を赦し、ありたい自分のために選択をする

 人と人とが関わることで摩擦が起き、傷つき、ぶつかることで、最後はそれぞれが自らに正直に踏み出す姿がやさしく、勇ましかった。

欠落や満たされなさを埋めるための不倫

 もっとも共感したのは、大学卒業後ロースクールに通い司法試験に挑戦するも4年連続落ち、夢破れた35歳の知歌だ。今は、弁護士業務のアシスタントとして法律事務所に勤務している。

 10歳の時に父親が家を出てから、しっかり者の長女として、母と6歳下の妹と暮らしてきた。30歳を過ぎて次々と結婚していく周囲を眺めながら、「モテるでしょ」と言われながら、誰にもプロポーズされることはない美人として、仕事に勤しむ。

 そんな平坦な日々のなか、取材に来た世界的な映画監督・関戸と出会う。関戸は、知歌が一番好きな映画『濁流に泳ぐ人』を撮った。知歌が憧れる女優の、夫でもあった。

 雲の上の存在からお礼の食事に誘われたことから、地味だった知歌の人生が一転。色を帯び、ふたりは不倫関係になる。

 「今夜、会える?」関戸からの連絡に、知歌は心を躍らせる。

 ラメの入った黒いピンヒールを履き、関戸と会うとき用に買った白いジャケットと真新しいグレーのバッグを身につけて青山のバーや、外苑前の会員制ホテルに向かう。自分の部屋のベッドで目を覚ましても、「さっきまで一緒だったのに、すでにもう抱かれたい」と心もからだも、恋という厄介な熱病におかされている。

 恋人を作って家族を捨てた父親を許せなかった娘が、自ら不倫をする。そんな矛盾を抱え、この恋の先には何があるのだろう。そう煩悶しながらも、知歌は「捨てられる気の毒な妻より、愛人のほうがいいに決まってる」と、自分に言い聞かせもする。

 一方の関戸は、知歌と恋をしていたのだろうか?

 恋ではあったかもしれない。けれど、愛ではなかった。

 関戸は『濁流に泳ぐ人』以上の作品が撮れず、前作は特に酷評に終わった。さらに出演した若手俳優から、パワハラと告発された。自身の映画にスポンサーは集まらなくなり、企画は頓挫し続けている。一方、妻は女優として仕事を右肩上がりに増やし、輝きを増していた。監督としても、夫としても、自信を失っていた。

 そんななかで逃げ場となり、関戸の満たされなさを補う存在として機能したのが、素朴な30代一般女性、知歌だった。

 ふたりの蜜月は、ある出来事から呆気なく終わる。

 知歌にとっても、関戸との恋は自分の欠落を埋めるものだった。

 世界的な映画監督という、社会的価値のある男に選ばれ抱かれることで、「自分は価値のある人間だ」と知歌は信じることができた。理想の人生に現実が追いつかないことでのコンプレックスやプライドを、関戸が満たしてくれた。

 他者と肉体的な関係をもつことでしか、解消されない淋しさはある。

 知歌は、他者評価でしか自分を認められていなかった自分に、気づくのだった。

 最後は自身の素直な声に従い、大きな決断をする。その再生が清々しく、力強い。

 関戸の妻であり女優・青子の言葉の一部、「失った信頼に対して、今後どのように“取り返しをつける”のか」が心に食い込むように沁み入り、余韻を残す。

 わたしたちは、自らの選択も後悔も、取り返しがつく、つかないではなく、“つけていく”のだ。

 正しさや正解はわからなくても、取り返しをつけていくんだという意思が、これからの道に光を照らしてくれる。

 既存のモノサシで測られることも、測ってしまうこともしんどい人へ。

 自分の心に耳を傾け、自身に寄り添い、内なる声を聴く。ありたい私でいよう。

 この小説は、そんなふうに自分のモノサシを作り出せる一助を与えてくれる。

 著者の尾形真理子さんは、LUMINEや資生堂、TIFFANY & Co.などの広告を手がけるコピーライターであり、クリエイティブディレクターだ。小説の中でも言葉の密度は高く、そのまま書き写したいような研ぎ澄まされた一行にも出会える。

 LUMINEのフードコートで、ひとり夜ごはんを食べているアラサーやアラフォーの女性へ、尾形さんが、この作品をそっと隣に置いてくれたような気がした。



(おわり)

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