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最愛 _『リファ』 #01【小説】

とても大切な自分のものなのに、いつも許可なく他人に使われてしまうもの、なーんだ?

 
 数ミリの空白もなく、ぴたりと吸着している。

 寸分のすき間もなく一つにつながりたくて、私は太一の腰に回した両脚を交差して、締めつける。さらに奥まで太一が入ってくる。激しく突かれて、泣き声のような細い声がのどの奥から漏れた。

 私の上で激しく動く私の中を知り尽くした存在に、一切の緊張を手放している。快感の中で意識がとろみを増し、白濁していく。

 私の中で、太一が達したのがわかる。覆いかぶさってきた熱の塊が、呼吸に合わせて上下に微動する。

 「生理が終わったばかりだから、中で出したごめん」

 もう何百回、もしかすると何千回と交わした慣れ親しんだからだに、愛おしさが迫ってくる。うっすらと汗をかいた首筋に唇を這わせた。膣の中でイッたことを、ごめんと謝る太一の礼儀正しさのようなものもずっと好きだ。

 「うれしいよ。三人目が授かったら授かったで、とてもしあわせなことだから」

 くすぐるように耳元で言う。

 ふくよかな余韻が大きくなる。

 私は太一に馬乗りになり、胸元に手のひらをつけて指先で乳首を転がす。呆れるほど長く、舌を絡ませ合う。

 お尻に感じる太一の性器に、芯が通っていく。先端を手のひらでやさしく包むと、熱が増した。

 「もっかいしよっか」

 「いやいや梨華さま、ダメでしょ。仕事しよう」

 私の身体を横にそろりと寝かせ、太一は、切り替えるように大げさに頭を振りながら起き上がった。

 ベッドの隅でぐるぐると丸まっていた毛布をかけてくれ、唇をふんわりと重ねた。私から去っていく。

 自分に取り込んだはずだった塊を捕まえたくて、その背中に言葉を放つ。

 「コロナで、平日の朝にセックスする人たち、増えただろうね」

 「なんで?」

 「リモートワークで出勤しなくてよくなったから、子どもを送り出した後にどちらからともなく。私たちも、生物の本能と本能が引き合うようにそうなった」

 「出生率上がったりして」

 太一はおどけるようにケタケタと笑ったあと、洋服をまとっていく手を止めた。天井を見上げた表情ははっきりしない。

 「一つ一つ受け止める死ではなくて、個人の死が、数になってる恐ろしさはあるよな」

 いつも理論で考える太一から出てきた感傷的な内容を意外に感じながら、似たことを考えていたその重なりにうれしくもなる。

 「そう、ひと塊じゃないのに。個人の死や痛みへの想像力を取り戻すために、抗う。朝にする」

 「人類として、コロナと対峙してるのか俺ら」太一が吹き出す。

 数分前までは自分の中にいた存在が、シャツの上に重ねたセーターとチノパン姿の別のものに変わっていた。

 私と夫をつないだはずのものが、隔てられた元の状態に戻る。

 私と太一を隔てるものって、何なのだろう?

 この世に昨年、突如新型コロナウィルスが現れた。コロナとの生活が季節を巡ろうとしている。

 2021年のお正月は例年よりもずいぶん控えめだったとはいえ、コロナとの付き合いにも慣れてきた国内は、祝賀で盛り上がった。

 有無を言わせず運ばれてくるニューイヤーの高揚が落ち着き、学校の冬休みも終わって、長男の葉(よう)が通う学校は3学期が始まった。通常稼働の朝が、戻りつつある。

 コロナと生きる生活も、次第にそれぞれの日常になる。

 ただ、日常に至る途中には、それぞれの個々にとって劇的な出来事が起こる。劇的な出来事とは、そう呼ばれる多くは、ある関係性における事実の点と点が結ばれ、時間の経過を経て「あれは運命だった」「劇的な出会いだった」とあとから解釈されるものだろう。

 激動する時代を歴史として未来から振り返るのは簡単だが、渦中に放り込まれた人間が、自分たちの生きる時代を外から観察していくことは、容易ではないように。誰にとっても、自分の生きる時代が唯一の時代であるのに。

 でも私は、運命の瞬間を、リアルタイムで味わったことがある。その記憶は、何度も再生することで私を満たしてくれる。

 とある俳優が初対面の女性に、「やっと会えたね」と口説いたという逸話を聞いたことがある。なんて気取ったナルシストなのかと鼻白んだが、実際に自分の身に起きてみると、この表現しかない。誠実な表現だと敬服する。

 やっと会えたーー。

 膣の奥から込み上がった温かな歓びが、電流のように脳までかけ上った。あのときの、大きな驚きのあとにじんわりと広がった多幸感は、いつどんな場所でも、鮮明に蘇らせることができる。

 かつて沸き上がった感動が、彼といる理由を強固なものにしているとすら思う。
 
 私を惹きつけた相手こと扇谷太一は、コロナで日常になった二人の朝を終えて、仕事の顔に切り変わったようだ。
 
 リビングから聞こえてくる明瞭な夫の声が、裸のままベッドであれこれと思いめぐらせる私を照射する。

 「兵藤さんに今、脚本を確認してもらっているところなので。正式な返事は後日にしますが、あの偶然性に頼ったクライマックスは描き直してください」。そう返しているから、映像化を進めるテレビ局か映画のプロデューサーとのやりとりだろう。

 兵藤とは、経済ミステリーの新鋭として最近注目される女性作家、兵藤沙夜子だ。
 
 私ではない誰かに放たれている声なのに、声は歳を取らない。かつて、私を救い上げてくれた太一との記憶が蘇ってくる。

 どしゃぶりだった私の心に傘を差してくれたのは、もう十年前になる。

 私は、新卒五年目の27歳だった。


つづく
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