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分身 _『リファ』#12【小説】

 最寄駅に着いたとき、スマートフォンのデジタル時計は、15時20分だった。17時すぎには、葉は学童から歩いて家に帰ってくる。

 ヨンエさんから放たれた「なんでもっと堂々と生きないの?」の言葉が、頭の中で繰り返される。

 気をそらしたくなり、予定を変えて葉のいる学童まで迎へに行くことにした。葉と一緒に帰りたいと思った。子どもと過ごすことは気が紛れていい。

 小学校に来たのは、まだ葉を校門まで見送っていた入学当初のとき以来だ。コロナによって、参観日も保護者会も全てオンラインになり保護者が学校に行く機会はない。 

 学校の校舎の一階にある三部屋が、学童クラブのスペースになっている。
 
 葉を驚かせようと、子どもたちから身を隠すようにして息子の姿を探した。廊下と壁を挟んですぐの場所にちゃぶ台のようなテーブルを置き、男の子四人で座ってカードゲームをしている。

 誰も、葉の母親である私の姿に気づいていない。

 ゲームをしながら葉たちは、話をしてもいる。驚かせようと、壁を隔てた廊下に座り込んで四人の声に耳をそば立てた。

 「た、た、た、たんじろうがね」

 葉の声を聞いて頬が緩む。『鬼滅の刃』のキャラクターたちの話をしているのだろうか。

 「ずっと気になってたんだけどさ、ようちゃんの、たったったったって話し方、なんなの」

 一人の子が、放った。素朴な疑問のように聞こえるが、小学一年生に悪意があるのかないのかは、わからない。

 「わかる。すっごい変だよね」

 「ぼ、ぼ、ぼ、ぼくは、とかふつうに話せないの? みんなとちがう」

 二つの声も追随した。三人が、葉の吃音のことを指摘しているのは間違いない。

 葉は今、どんな気持ちでいるんだろう。この状況を、どんな顔をして受け止めているんだろう。

 胸の真ん中を強く押されたような痛みが、私の中を通過した。心配していたことが、数センチ先で起きていた。

 初めてのわが子は、特別な感情を抱いてしまうものなのだろうか。

 葉に対して、どこか自分の分身のように感じるときがある。離れていても、見えない糸がどんどん伸びてどこまでもお互いを結んでいるような感覚は、葉が成長しても残っていた。

 次男の銀には、別人格として対峙できるのに。一心同体のような葉の傷みは、そのまま自分のものだった。

 三人分の声がクスクスと笑いに変わった。自分の分身が今、削られている。

 私は堪えきれず立ち上がり、たった今迎えに来た保護者を装い、葉の名前を呼んだ。
 
 学童のスタッフに予定を変更して迎えに来たことを説明し、葉を連れて校舎を出た。
 
 葉が私の前を歩く。

 ランドセルが揺れる背中が、とても小さく見えた。



つづく

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