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家族との週末、よびさます記憶

週末は茨城の実家へ戻りました。
とくに何をするわけでもなく、両親の顔を見てのんびり過ごすだけ。

栗ごはんに秋刀魚の塩焼き、イシモチの塩焼きなどなど、母の美味しい手料理をお腹いっぱい食べて、しあわせ。母のそばにいて、たくさんたくさんおしゃべりをしました。

父とは散歩へ行きました。
近さゆえ、滅多に行くことのない地元の観光名所です。

秋の陽を浴びて、きらきら光る波。海は穏やかでした。


「あんたたちには何もしてやれなかったね。」
たわいもない話をしていると、母がぽつりと言いました。

両親はいま、ふたりの孫(わたしにとっての姪)の面倒を見ています。近くに住む息子夫婦は共働き。そのため朝早くにふたりを預かり、保育園の送り迎えと小学校の登下校の見送りをしています。言うことを聞かないとか、走っても追いつけないのよ、と言いながらも、電話口の母の声はいつも明るく楽しそう。

父は父で、自分のことを「じいちゃん」と言い、わたしに向かって「おい、みっちゃん(姪の名前)。」と呼び、慌てて言い直す始末。

すっかり、娘よりも孫。
両親は二度目の子育てをしているようです。

父と一緒に運動会や発表会の映像を見ていると、最後に、2歳のポーズをする姪が出てきました。そのときの、カメラ越しに「できたねえ、かわいいねえ~。」という父のやさしくあやす声。懐かしさと、なんとも言えない感情が湧き上がりました。

わたしもこんなふうに愛されていたのだ、という気持ちと、
今みたいに、父と母にはいつも笑っていてほしかった、という気持ち。鼻の奥がつんとしました。


わたしは、何もしてやれなかったという母の言葉に対して「何言ってるの。そんなことないよ、育ててくれてありがとう。」と素直に言えませんでした。

家族の楽しい思い出は、数えきれないくらい、たくさんあります。
でも、あまり思い出したくないこともあって。

両親は些細なこと(今思えばコミュニケーション不足)で、よくけんかをしていました。
何も言わない父。そんな父をなじる母。
居たたまれず、部屋へ逃げていた弟とわたし。


「あのときは忙しくて、お母さん余裕がなかった。」
自営業の父の仕事を手伝いながら、家事に育児に奮闘し、おまけに義父母と同居。子どもがいない二人暮らしの自分ですら逃げ出したくなるのに、母は大変だったことでしょう。だから、これまでも、これからも、責める気持ちはまったくなくて、感謝のきもちでいっぱい。


たぶん、素直に言えなかったのは、笑顔のふたりのもとで、のびのび過ごす姪っ子たちが、うらやましいのかもしれません。

今の両親を見ていると、あまりにほほえましくて。
楽しそうで良かったね、と心から思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。
恥ずかしいね、親離れできてないみたいで。

家族とか、親子とか、夫婦とか。
このテーマはつねに自分の根っこにあって、あまりふれたくないこと。向き合うことを避けている自分がいます。

いつかnoteにも書けたらいいなと思います。すこしずつ、深く、深く。

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