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雪の世界遺産を歩く② 日光輪王寺 大猷院
先日、世界遺産「日光の社寺」を歩いてきました。
前回のお話はこちらです。
パワースポット日光二荒山神社をあとにして、次に向かったのは三代将軍徳川家光公が祀られている、日光山輪王寺です。
日光山の歴史について、簡単に書いておきますね。
世界遺産「日光の社寺」は、輪王寺・東照宮・二荒山神社の三カ所が参詣所とされていますが、明治以前は「日光山」としてひとつに包括された関東の一大霊場でした。
天平神護二年(766年)に勝道上人により開山された日光山は、鎌倉時代には神仏習合(「神道」と「仏教」とを調和させ、同一視する思想)が進展し、山岳修行修験道(山伏)が盛んになります。
江戸時代になると、天海大僧正(慈眼大師)が住職となり、天台宗の教えで徳川家康公を東照大権現として日光山に迎えまつります。そして天皇家から「輪王寺」の称号が勅許され、さらに天海大僧正(慈眼大師)・三代将軍徳川家光公が新たにまつられました。
明治元年(1868年)の神仏分離令(神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させる)以後、日光山は東照宮、二荒山神社、輪王寺の「二社一寺」と称され、現在に至ります。
輪王寺には、本堂である三仏堂(重要文化財)、大猷院(国宝)のほか、宝物殿、江戸時代の日本庭園「逍遥園」、常行堂、大護摩堂がありました。
全てを拝観できるセット券や単独拝観券がありましたが、この日は朝からたくさん歩いていたこともあり、大猷院のみ拝観することに。
大猷院は、徳川三代将軍家光公の廟所(墓所)なんですって。また大猷院までは4つの門があり「人間界から極楽浄土に昇るようだ」と言われています。
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常行堂(じょうぎょうどう)重要文化財
嘉祥元年(848年)に慈覚大師円仁によって、比叡山延暦寺の『にない堂』に模して建立され、常行三昧という仏様の周りを歩きながら念仏を唱える修業が行われていたとのこと。
歴史ある建物が次から次へと目の前に現れるので、常行堂と気づかずに素通りしていました…。
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社殿より目をうばわれりしずり雪
二天門(にてんもん)重要文化財
参道をまっすぐ進んでいくと、上の方に大きな門が見えてきました。二天門は世界遺産「日光の社寺」の境内で、1番大きな門です。
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正面の扁額(へんがく)は、108代天皇「後水尾上皇」によって書かれたもの。
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そして、左右に仏教の守護神である持国天・増長天を安置している事から「二天門」と呼ばれているそうです。
この持国天と増長天が、とても躍動感がありました。いまにも動き出しそう。
持国天(じこくてん)
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増長天(ぞうじょうてん・ぞうちょうてん)
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二天門をくぐり、さらに石段を上へ上へとのぼります。
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日光は、まだ冬。
夜叉門(やしゃもん)重要文化財
石段をのぼると、夜叉門が現れました。
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霊廟(れいびょう)を守る大事な門です。
夜叉門には、牡丹(ぼたん)の花が彫刻されているので、「牡丹門」とも呼ばれています。よく見ると、大小さまざまな牡丹の花がありました。
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四人の夜叉「阿跋摩羅、毘陀羅、烏摩勒伽、犍陀羅」が安置されていることから夜叉門と呼ばれています。
この夜叉の表情がどれも生き生きとしていて、アニメのキャラクターっぽい。どこかくすりと笑わせる、ユーモラスなものでした。
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阿跋摩羅(あばつまら)
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烏摩勒伽(うまろきゃ)
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毘陀羅(びだら)
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犍陀羅(けんだら)
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強そうなのに、なんとも愛嬌のあるお姿。白い犍陀羅のポーズが気に入って、真似して写真を撮りました。
大猷院(たいゆういん)本殿 国宝
夜叉門をくぐると、全国の諸大名が奉納したという大きな石燈籠が建ち並んでいました。そして、大猷院の拝殿に到着しました。
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1653年(承応2年)4月に創建。祖父である家康公(東照宮)を凌いではならないという遺言により、金と黒を使用した重厚で落ち着いた造りになっているそうです。
とはいっても、とても豪華です。
驚いたのは、その繊細な金細工。本殿はもちろんのこと、大猷院をぐるりと囲う塀にある直径3センチほどの柵にも、一本一本徳川家の葵の紋が彫られ、金細工が施されていました。
その当時、たくさんの労力と時間をかけて丁寧に作られたのだろうなぁ。
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なお、本殿内の撮影は禁止だったため、写真はありません。ぜひ足を運んで、その目でご覧になってくださいね。
皇嘉門(こうかもん) 重要文化財
そして境内の1番奥の院に、家光公が永眠する廟所があるそうです。
雪の残る通路を歩いて行くと、その廟所の手前に、守護するようにそびえ立つ門が見えました。
皇嘉門は大猷院と同じく1653年(承応2年)に創建され、明朝様式の竜宮造りで、別名「竜宮門」と呼ばれています。
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静かにお祈りをして、大猷院をあとにしました。
おわりに
栃木県に住んでいるにも関わらず、訪れることのなかった場所。歩いてみると、歴史ある建物の迫力とパワーに圧倒されました。
日光の社寺には、まだまだ知らないことがありそうです。またいつか訪れたいなあ。
思いのほか長文になりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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